「シーモア・バーンスタインの紹介映画」シーモアさんと、大人のための人生入門 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
シーモア・バーンスタインの紹介映画
イーサン・ホークは、よほどシーモア氏と気があったのだろう。ホークがシーモア氏に入れ込み、ドキュメンタリー映画まで作ってしまったのだから。それほど気があったのであろうし、表舞台に出たがらない天才を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いもあったりしたのかもしれない。しかし、生憎この映画からは、ホークのシーモア愛は感じられるものの、肝心のシーモア氏のドキュメンタリーとしての奥義が伝わりきらない。映画は、シーモア氏がピアノを指導するシーンと、シーモア氏が語る自身のエピソード、またシーモア氏の周辺の人々が語る彼のエピソードと、ホークの主観で構成される。それぞれのシーンがコラージュのようにスクリーンに貼り付けられ、シーモア像が浮かび上がってくる・・・かというとそうではない。
確かにシーモア氏は、実に物語のある人でエピソードにも事欠かないし、本人自体も魅力的でチャーミングな人なので、彼を愛する事は容易いだろう。しかし、この映画を通じてホークが伝えたかった事というのが、ホークのシーモア氏に対する入れ込みに塗れてその真意がぼやけてよくわからないのだ。シーモア氏の素晴らしいピアノテクニックを聴いてほしいのか、しかしそれにしては演奏シーンは少ない(演奏に被せてナレーションが被さったりもするし)。彼の歴史を見せたいのか?それにしては情報が少ない。彼のチャーミングな人となりを知ってほしかったのか、それにしては踏み込みが甘い。原題が「イントロダクション」というように、この映画は本当にシーモア氏の「紹介」に過ぎないのだ。それではドキュメンタリー映画としてはやっぱり物足らない気分にもなる。せめて、彼のピアノ演奏をもっとじっくり聴かせて欲しい。あるいはシーモア氏
の半生をじっくり聞かせてほしい。しかし、いずれも満たされないで終わってしまう。
ホークは役者としての自身のあり方に迷い、舞台恐怖症にさえなった時期にシーモア氏と出会ったと言う。シーモアも舞台恐怖症でピアニストを引退した人物だ。彼との出会いがホークにとってなにかを変える大きなきっかけになったのかもしれない。しかしそれはホークのあくまで私的かつ主観的な出来事にすぎない。作中、ホークがシーモア氏に役者としての悩みを吐露するシーンが出てくるが、それをドキュメンタリー映画で観客と共有する意義とはなんだろう?と考えてしまう。ホークのハリウッド俳優としての個人的な悩みが、観客の共感情とリンクすることは難しいだろうことなのに・・・。シーモア氏のドキュメンタリー映画という割りに、その熱量故に、イーサン・ホーク自身の自我が入り込み過ぎた感が否めなかったかな?という印象が拭えなかった。