八重子のハミングのレビュー・感想・評価
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佐々部監督らしい信念ある真面目な映画
佐々部監督が原作に惚れこみ、自分で資金を集めてつくった、本人曰く「自主的映画」だそうな。 物語は、若年性アルツハイマー型認知症を認知症を患う妻に寄り添う夫を、夫の視点からみたハナシ。 「やさしさとは何か」と題する講演を行っている老人・石崎誠吾(升毅)。 彼は、12年間、若年性アルツハイマー型認知症を患った妻・八重子(高橋洋子)に寄り添っていた。 時期は平成3年頃から・・・ というハナシで、誠吾の講演を基軸に、過去のエピソードが語られていく。 この脚本構成はかなり上手い。 講演会は現在であるが、過去の(最終エピソードが10年ほど前)エピソードを紡ぐのに無理がない。 そして、エピソードが時系列に並んでいなくても、観る側が混乱しないよう、過去のエピソードから大過去に移る際には、誠吾の語りが入る。 まぁ、こうやって構成云々をいうのは、どうしても認知症の配偶者に寄り添って看病するハナシは似たり寄ったりになるからで、これでも観たようなエピソードであっても、それでも関心が薄れないようするには、作り手としてかなり努力している。 ほかにも工夫はあり、誠吾を短歌詠みに設定しており(原作がそうなのだろうが)、前半と後半で、彼が詠んだ短歌が画面に現れ、アクセントとなっている。 また、50代半ばにして、認知症の妻を介護せざるを得なかった誠吾が、持て余した性欲を満たすために妻をラブホテルに連れ込むエピソードは、可笑しくも哀しかった。 この男女間の欲情は、後半にもチラリと描かれていて、苦しい介護生活のなかでの笑いを誘うようにできている。 さらには、タイトルが示すように、ハミング=記憶の歌の扱いも上手い。 米国ドキュメンタリー映画『パーソナル・ソング』でも描かれていたように、個人個人が記憶に残っている音楽を耳にすると、記憶や感情が蘇るという効果がある。 この映画で使われているのは童謡や唱歌であるが、なんの謂れもなく出してしまうと、あまりに安直になって、かえって薄ら寒くなってしまうが、この映画では、八重子は小学校の教師で音楽を教えることが得意だったとしている。 なので、郷愁を誘う歌が流れると、涙腺スイッチがはいってしまう恐れ大である。 演技陣は、認知症が進む八重子を演じた高橋洋子がすこぶる上手い。 映画出演は28年ぶりだというが、足元のおぼつかなさなどは、ほんものだと思わんばかり。 それに対して、夫役・升毅は、受けの演技ばかりなのだが、出番はコチラの方が多く、映画全体をしっかりと支えている。 舞台となった萩市の風景など、じっくりと撮られていて、丁寧な撮影だと感じたが、撮影日数は2週間にも満たないということで、そちらにもビックリさせられました。
たった13日間での撮影
たった13日間での撮影で、12年に渡った介護を描いた…には驚きでした。 夫をガンから引き離す為に、妻の八重子さんは認知症を発症されたのでは…と思えてならない。 友人と飲みに行って、片方が酔っ払らってしまうと、もう一人はもう、酔っ払うことは出来ない様に…。 日々の積み重ね、毎日の飲食内容、コミュニケーションの良し悪しが源病となる様である。 介護は、する方もされる方もホント大変です。これ以上、要介護者が増えない様に、毎日を意識的に生きたいモノです。 なぜなら、現在、私はお一人様だし、将来、連れ合いが出来たとしても、こんなにも大変な介護はさせられない…と思うし、したくもないから、予防を心がけたい。
理想的な夫婦の形の一つかも
一部、冷ややかな目で見ているような評価の人も目にしますが、登場人物がみんないい人ばかりなので、高齢化社会と介護を扱ったおとぎ話のように感じてしまう人もいるんだろうな。実話なんだそうですが。 家族、友人、知人、訪れる施設、飲食店、みないい人ばかりで、現実感が無いのかも? 昨今のニュースで介護殺人や介護施設の酷い状況、写真撮ったり食べ残したりするだけでネットを使って大騒ぎするラーメン屋とか、世知辛いニュースが多いので、この映画がおとぎ話に見えるのも仕方ないのかな。 八重子さんのご主人は、介護経験の講演を八重子さんがご存命の頃から行っていて、八重子さんと一緒に各地を回っていたそうです。晒し物にしていると家族から批判もあったようですが、そのことで地元では八重子さんは有名人で、葬儀の参列にはたくさんの人が訪れたそうです。思ったより世間は冷たくないなと思いましたね。 献身的な介護で若年性アルツハイマーとしては驚異的に長く生きられたとのこと。脳の機能は制限されていっても、気持ちは伝わるんでしょう。 試写会の会場は年配の人が多かったですがすすり泣く声があちこちから聞こえました。そして終了後、自然と起きた拍手。その後舞台挨拶に登壇された佐々部監督も喜んでおられました。 舞台挨拶では佐々部監督は自身の奥さんを亡くされた経験から、この映画を作ろうと決意されたこと、扱うテーマが重いことから大手の制作会社から協力を得られず、三年以上計画が頓挫しかけていたこと、自主映画ではなく自主的映画と呼んで欲しいということ、制作期間は13日間だったことなどを語られていました。 主演の升毅さんは芸能生活42年目にして初の主演映画だそうで、声を裏返らせて「やったぜ!」と叫んでおられたのが印象的。きっと舞台挨拶でもムードメーカーに務められてたんだろうなと思わせる舞台挨拶でした。 八重子役の高橋洋子さんは天然ボケな方のようで、自分のトークの番が来ても気が付かないなど、あれ?本当に痴呆なのでは?と思わせるボケぶりを発揮されて会場を和ませていました。 山野ホールの試写会にて。
愛
愛に溢れた介護。夫婦愛だけでは介護は難しいと実感した。他人の手や優しさ、助け合いが有ればこそ介護出来るんだなと思った。アルツハイマーは決して遠くもなく身近に起こるかもしれない事ですねー涙無しでは観れませんでした。
観て良かった。ただしツッコミも…
役者さんは熱演されています。山口弁も所々変に標準語ですが頑張って下さり大いに感謝。
夫がする妻の介護、若年性アルツハイマー、介護の為のリタイヤ、等増えつつある社会問題の現実を垣間見る興味深い作品です。
その上で、
「貴方のガン(との闘い)の為に八重子さんがアルツハイマーになった」という因果を含められ主人公が納得する冒頭に対して、八重子さんが亡くなられた際は母親娘それぞれの立場からもっと深みある受け止めの描写が欲しかった。
途中までの発言や行動に比べると薄く通り過ぎてしまったのが惜しい。伏線に応えるものを期待してしまいました。
細かいところながら、八重子さんが何年も?ずっと抱いているはずの同じぬいぐるみの新品感。風呂に入っている娘のフルメイク。両親共に教員の娘の設定にして足元の行儀の悪さ!食事マナーにも絶句。注いだビールに泡が皆無。ライティングで演技よりも目立つ喪服の袖シワ。白髪の仕上げの雑さが露骨に目立つサイドからわざわざ撮る。次女の披露宴シーンが不自然。講演シーンの聴衆反応へのカメラが多すぎてダレる。脚の弱った人が長時間しゃがんだ姿勢を保てるものか?
監督には安易に周囲の反応(泣くとか頷く等)を映すことで描写とせずに、人物の内面をえぐり映す別の手段と掘り下げを期待したい。
例えば、長女と次女を会話させることで、近くで子供から見る両親それぞれの姿、心配でも駆けつけられない働き世代のジレンマ、兄弟間でも公平な負担は出来ない現実も描けるのでは。
親の病身につけ込むような婚約者の挨拶訪問シーンは最初に御見舞いの一言もなく社会人の振る舞いとして不自然に思う。
道行く人の優しいようで素っ気ない挨拶だけでなく、親友の医師や懇意の喫茶店の店員さん等周囲の人が主人公のいない場所で漏らす本音を描けば、周囲の人がどう受け止めて会葬行列になったかの意味もより明確になるのではないか。
細部の詰め、描き込みは不十分なところがややあるものの画面には熱意が溢れている。
逆に映画を一本仕上げることの難しさを学ぶ事も出来た。
観て良かったと思う。
これからも是非価値ある原作の映像化に期待したい。
教育の素晴らしさ
素晴らしい人の言動・行動に泣ける場面が多くあります。 主人公のお孫さんには、泣かされました。 教育者、人間として、素晴らしい人だから起こった奇跡ではないかと思いました。 教育の素晴らしさ、良い人の周りには、良い人が集まり、良い人が育っていくのだと思います。 主人公と同じく萩市で活躍した吉田松陰による影響力と同じではと思いました。 真似はできませんが、多くの方に見ていただき、 この映画で、今までよりも、少しでも優しくなることで、 絆が深まり、より良い街づくりにつながっていくと思います。 ありがとうございました。
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