「無門という名に込められた深い哀しみ」忍びの国 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
無門という名に込められた深い哀しみ
無門‥‥映画の冒頭の説明以外にも実は、家族、一族、一門というものを持たないという意味もあるのでしょうね。もちろん、名前も持たないわけですが。
日頃何気なくお墓詣りとかしていますが、人を思い出したり、亡くなった人を偲んだりするときに、名前というものがどれほど具体的な思い出を想起させるのに重要であるか。
戦争や災害の犠牲者を忘れぬための記念碑には必ず名前が刻まれているのもそのためです。例えば、どこの誰かもわからず亡くなったアフリカからの転覆した難民ボートに乗っていた人々。犠牲者を悼む石碑等があったとしても名前が刻まれることはありません。個別の故人を具体的な思いで悼んだり、生前を偲んでお参りに来る家族や知人はいないわけです。
事故の痛ましさは刻まれても亡くなったそれぞれの方の思い出は刻むことはできません。
お国の短い言葉‥‥『かわいそう』に込められた深い悲しみ(哀しみ)は伊賀で一番の凄腕であっても避けられない宿命を表したのではないでしょうか。
ラストシーンには、もし無門自身が将来亡くなったとしてもお国の思い出が引き継がれ、絶えることなく偲ばれ続けるように、という無門の深い愛情が溢れていたようで胸が熱くなりました。
たこさん、ありがとうございます。
おっしゃる通り、故人に思いを馳せることを繰り返すことを通じて、その名を聞くだけで鮮烈なイメージが脳内に刻まれていくのだと思います。言霊にはそんな意味もあるのではないでしょうか。
『君の膵臓をたべたい』で12年後が描かれたのも、段々薄らいでいく桜良さんの思い出を今一度鮮烈に呼び起こすためだと思うのです。
現実の世界で10年以上も経ってしまったら、
あの二人以外のクラスメートにとっては、通り魔事件で亡くなった気の毒な高校生がいたね、という程度の記憶しかないと思います。それじゃあ余りにも寂しいので、敢えて原作ファンからの批判を覚悟で脚本に入れたのではないのかな、とこの映画を観てから考えました。
忍びの国、実は、偲びのお国、なのではないでしょうか?
コメントありがとうございます。
お国さんは無門の中に隠された豊かな情緒ともいうべき人間的な本性を見抜いていたのでしょうね。それを発露というか発揮してしまったら生き残れない虎狼の世界で育たざるを得なかった無門をただ愛おしみ、慈しんだのではないでしょうか。人間として更生させようなどというお門違いな使命感などではなく。だからこそ無門にとってお国さんは何者にも代え難いただ一人の女性になり得たのです、きっと。
二人の「川」の場面。半端なかった。怖いほど凍りつくほどすごかった。
怖くて・・・二人を正視できないほど怖くて・・・泣いてしまった。
どうして、泣いてしまったんだろう?
平兵衛が悲しかった。胸が締めつけられるのを我慢してたら。
人を殺しても平然としているはずの無門が「かわいそうなやつ」と言ったよね。
あれって、平兵衛の悲しみを無門が受け止めたってことでしょう?
ラストでわかる。無門だからこそ、その言葉は重いんだって。
毒矢の場面も泣いたよね。無門と一緒に叫んでた。
無門の叫びが哀しかった。
心も無い無敵な忍びだった無門が「かわいそう」と言う。
その無門に、今度はお国が「かわいそうな人」と言う。
冷たく素っ気ない妻と頭の上がらない夫を面白がって見ていたら・・・
二人が、こんなに深い愛で繋がっていたことに、驚いて、
無門の絶望的な叫びで、目が覚めたように涙が溢れてきた。
かわいそう・・・なんて
ありふれた、日常生活ではフツーに使う言葉で
そして・・・私たちの使う「かわいそう」の言葉には、中身がなくなった。
あっても、薄っぺらい同情の気持ちくらいで
そんなもの2日もすればどこかに飛んで消えてしまうくらい軽い。
だから・・・かわいそうという言葉を私は嫌いだった。
それなのに、クライマックスで「かわいそう」が2度も使われている。
それってこの映画の届けたいテーマだってことでしょ?
「かわいそう」という言葉のほんとうの意味とほんとうの使い方を。
忘れてないかい?
忘れるべきじゃないんじゃないかい?
無門やお国に、命がけで教えられたような気がするわ。
私は、今、二人の出会いの場面を想像しているところだ。
映画では描かれていない。
お国の突き放すような夫への言葉でしか表現されていないけれど、
ほんとうは、特別な出会いだったような気がする。
無門がお国に何を感じ、お国は無門の何かを感じ取った。
逃してはいけないと感じさせる特別な何かを。
形でもお金でもなく、強さでもないもの。
私は、今、それを探しているの。
この作品を観たら、それを探し出すまでスッキリできないと思う。
無門とお国に心を奪われたままじゃ・・・・