「アクションおしかと思いきやとびきりの純愛映画」忍びの国 あさみしきさんの映画レビュー(感想・評価)
アクションおしかと思いきやとびきりの純愛映画
家族に売り飛ばされ、人でなし達により凄腕の忍びへと育て上げられ、自らも金がすべての人でなしとなってしまった主人公が、愛を知り、人へと戻っていく物語。
主演が主演だけに、鑑賞のメインターゲットの大半となる女子供にもやさしい表現手法で進められる。
常に飽きが来ない工夫なのか、コメディとシリアスのジェットコースターに色々な意味でのせられている気分にもなる。自分的にはくすっときたのだが、その辺は賛否別れるところかも知れない。
ほとんど吹き替えなしと聞いたアクションは、確かに目を見張るものがある。
が、自分が一番心を揺り動かされたシーンはアクション以外のシーンにある。
ほとんどさらってきたも同然であるはずのお国が、家族になるつもりがあるのか、本当の名を言わないのはどういうことだと怒り出す。金を稼いでこないことよりそちらが腹立たしい模様。なんだなんだ両想いか。まあ、あれだけベタ惚れされれば絆されもするか。そういや某別の国でも言っていた。お金は誠意なんだと。お国が本当に無門に求めていたのは誠意だったのかもしれないな。
本当は、無門は最初から人でなしでもお金が全てでもなかったのだろうと思う。家族にお金で売られた以上、ヒエラルキー的に「身内<お金」とならざるを得なかった無門が、そのお金を一文たりとも手元に残さずお国に捧げるさまは何とも健気でしかない。
それだけ想いあってた夫婦が引き裂かれた時の無門の悲鳴は、未だに脳にこびりついている。
もし無門が人でなしのまま、後先も考えて怒りに任せて無茶もしなかったら、きっとお国とはいずれうまくいかなくなっていたであろう。
大事な人を失うという感傷を、この夫婦のどちらもが味わっていると言うのも宿命的で、
この純愛の顛末には落涙を禁じ得ない。
夫婦間の事以外では、やはり、何より平兵衛との、因縁が面白い。
はじめは平兵衛の怒りを理解できず、決死の想いすらも「わかってたまるか」と目を逸らしてきた無門が、人に近づき、平兵衛の怒りを継ぎ、平兵衛のクナイを用いて十二評定を音もなく殺すシーンもなかなか、印象に残った。
一個人の感想としては概ね満足ではあるが、
余計な説明は出来うる限り省いた(それでもかなり優しい)ように見受けられるので、現代のシーンは個人的には蛇足かなと、感じたため満点には至らず。伊賀のような、義よりお金稼ぎが第一の界隈やコミュニティ的なものが現代にもそこかしこに存在していることは自明なので、ここはセリフだけでも十分通じるかと。実を言うとのぼうの時も現代の場所が出てきた時に、戦国時代から急に現実に引き戻された気がして多少後味が悪かった。