「回数を重ねる毎に違う見方が出来る」忍びの国 mikaさんの映画レビュー(感想・評価)
回数を重ねる毎に違う見方が出来る
もう…何なんでしょうね…。何度観ても、最後にはもう1度観たいと思ってしまう。
初見では「?」がいっぱいでした。なんでここでこういう感情になるのか?それを見出したくて何度も映画館に足を運んでしまう…。
気づいたんですが平兵衛の父が息子に築城をけしかける場面、最初のときと回想のときと声のボリュームが違う。回想では語尾を強くして明らかに息子に聞かせている。これも演出ですね。でも陳腐には感じないから不思議。
「川」の対決の直前、平兵衛が無門に「踊らされていた」と告げた時、最初は分からなかったけど、無門の眼の色が変わっている。けどここで戦いを止めても平兵衛は報われない。だから一瞬で無門はいつもの表情に戻る。だけど
、金のためにどんなことでもする虎狼の族に自分を捨てた親を重ねて怒りの感情を煮えたぎらせていた。それが平兵衛にも、無門が「分かったよ。」と明らかに表情を変えたあの時、分かったんでしょうね。だから「頼んだぞ」という答えになる。
そして闘いが進んで2人だけの世界へ。刀を交わらせて堪えているとき、平兵衛も少し笑っていたような…。きっとそれは、どちらが死んでもこの想いはきっと報われると感じたから。段々動きが鈍っていく平兵衛の刀を振り払った時の無門の表情は「虎狼の族は必ず滅ぼす」という想いだと感じました。
そしてラストシーン…わたし今まで無門の「表情」を主に見てたのかな?何度目かの視聴で目を半分瞑って耳だけで無門の「感情」を感じた時、涙が溢れました。今まではなかったんです。少し涙が溜まるだけで。それくらいあの叫びには色んな感情が込められていた。
やっぱり、小茄子を砕いた後の「あの眼」は大野智だからこそ出来たのだと思います。
結果は大切な人をなくしてやるせないものなのに、なぜか安心もする。それは無門が伊賀の者に背を向ける時、怒りだけじゃない、悲しみ・慈しみがあったから。虎狼の族に2度と染まることはないだろうとあの背中が感じさせてくれました。もう大丈夫だと。
観終わったあと、自分のなかの全ての邪念がなくなり浄化された気持ちになります。ほんとうに大野智を中心に創り出される世界は不思議です。
「今日は映画館行こうか?どうしよう?」
上映が終わるまではそんなことを毎日思う日々になりそうです。
あくまで個人的な見解です。長文失礼致しました。
ちなみに4.5にしたのはまだこれから新たな発見が出来そうという意味で0.5残しました。