ディスタンスのレビュー・感想・評価
全2件を表示
なぜが愛おしい、不親切な映画
この頃シネコン通いが続いていたので、久しぶりに不親切な映画を観た!と感じた。もちろん、よい意味で。
物語は、唐突に始まる。カメラの目線や映し出される人々から、主人公は作り手であり、作り手とその家族が題材だと分かる。ただ、肝心の彼らの関係や背景がなかなか掴めない。他人の家を覗く居心地悪さと、物語についていけないもどかしさに挟まれながら、とにかく画面を見つめ、耳をすます。…が、風などのノイズで、彼らの会話はなかなか聞き取ることができない。
緊張の糸がギリギリ切れるか、という頃に、ようやく過去における父の暴力という問題が浮かび上がる。語られる過去とホームフィルム、そして現在の彼らの姿…の反復。後半は、兄の結婚と新しい命の兆しという分かりやすいヤマ場になだれ込み、PVかというくらい音楽が前面に押し出される。(本作のプロデューサーが、もともと音楽畑と言う点も一因かもしれない。)
ある意味ベタな展開、ありがちな結末。けれども、この映画を思い起こす時、あまり結婚式とそこにまつわる諸々は思い出されない。そして、一応の決着に至ったにもかかわらず、もやもやや疑問が山ほど残る。また、そのもやもやが、観る者によって異なるのが興味深い。(些末な例で言えば、私は自宅にあふれる観葉植物が気になったが、友人は兄の仕事がよく分からなかったと話していた。)そして今も、余韻というには曖昧すぎるもやもやを抱えている。なぜか、どこか心地よく。分からないことは分からないままに、あれこれ彼らの今とこれからを想像してみる。
ふと頭に浮かぶのは、主人公が雪の中でくるくると踊る白いシーンや、薄暗い室内でぎこちなくタップを踏むシーン。なぜかは、よく分からない。一見不要なシーンであるのに、不思議と忘れ難い。
この映画は、とある映画祭で観たので、来場者プレゼントとして、作品に合わせてブレンドしたコーヒー豆を貰えた。翌朝、久しぶりに自分でコーヒーをドリップしてみた。この作品に、(記憶違いでなければ)コーヒーは登場しない。それなのに、なぜコーヒー?と、貰った直後は思った。けれども、丁寧にコーヒーを淹れ、カップを手でくるんで少しずつ飲むうちに、様々なシーンがあれこれと浮かんできた。寒々とした雪のシーン、ちょっとぎこちない笑顔で語らう家族の風景。なるほど、実はとてもコーヒーが似合う映画だっんだなと思い直した。
「何だかよく分からないもの」を、たまたまそこに集まった人々が一同息を詰め、手探りしながら観るという体験も、このような映画(祭)ならではと思う。そのような場の力もあり、とても豊かな気持ちになった。
セルフドキュメントは、良くも悪くも刺激的だ。観る者を揺さぶり、それが魅力にも繋がる。反面、身を削ることになる作り手にとっては、その後に向けてのハードルを上げるジャンルだと思う。監督の第二作に期待し、じっくりと待ちたい。
全2件を表示