エンドレス・ポエトリーのレビュー・感想・評価
全5件を表示
命ある限り好き放題にやってください!
主に父親の話だった「リアリティのダンス」の続きであり、前作からのキャストが続投していてオペラ歌唱で喋る母親もそのまま出てくる。ただ、オデッセイアのような流浪の日々から帰還した父親は、前作の成長をリセットしたかのごとく脇役に回り、大きな役割を果たすのはようやくラスト寸前。なので本作は「リアリティのダンス」の続編といより、ホドロフスキー本人が自分の若い頃を再創造した別個の青春ファンタジーと捉えた。
想い出が自分自身のものだからなのかはわからないが、ハチャメチャさは「リアリティのダンス」の方が上。しかし時代を踏まえた青春物としてはこちらの方がストレートに伝わってくる。それでも一番心を揺さぶられたのはラストの父親との和解だったりしたのだが。
自らの人生をイマジネーション豊かに語り直すこのシリーズ(と言い切ってしまうが)、老ホドロフスキーには心ゆくまで好き放題に続けていただきたい。あと何本観られるのかな。
ポエータ
アレハンドロホドロフスキーの自伝的作品で、作家性の強い、特殊な演出の作品である。監督の過去作も未見なので今作品の評価を語るのは難しい。かなり尖った前衛的内容故、その是非に関しては無意味である。それこそ監督に盲目的に支持しているファンならば、手放しで喜ぶことだろう。逆ならば、多分関心も示さない。でも、ニュートラルで鑑賞した場合、その圧倒的なギミックに心を奪われるのではないだろうか?これ程アイデアが溢れる作品を、是非日本映画も参考にして欲しいと願う。バジェットが少ない映画の一つの答えだと強く感じた作品であった。
自分を生きるための闘いの物語
この映画は、蝿として育てられたアレハンドロが自分の人生を取り戻し、ついに蝶として羽ばたくまでの、苛烈な闘いを描いた戦記モノであり、精神のロードムービーであると感じました。
「自分を生きる」と言うととても簡単そうですが、並大抵の闘いでは自分を生きる実感を得れないのかもしれません。特に、アレハンドロのように親に抑圧され、親の一部のように育てられてしまった子どもの闘いは凄まじいものがあると思います。
そしてこの映画は、マジックリアリズムという手法で、その闘いの凄まじさを余すことなく伝えることに成功しています。
ここで描かれているのは目に見えるような現実の世界ではなく、イメージの世界ですが、これはメタファーではなく、心的現実です。舞台装置とか見えていて虚構を演出していますが、これは表面的な現実ではなく、深層的な現実を描いているサインなのでは、と感じました。マジックリアリズムとはよく言ったもので、もうひとつの現実なんですよね。無意識と直結している天才ホドロフスキーが見えている現実世界。なので、すべてがリアルに感じました。濃厚な血が通っているから、虚さがまるでないのです。ファッションじゃねーんだ、遊びじゃねーんだよ!ってホドロフスキーの叫びが随時木霊しております。
詩という武器を手に、独立戦争に挑んだアレハンドロ。本作では、詩=パンクの印象を受けました。詩とは行為だ、なんてセリフもありますし。
あんな凶悪な父親及び支配的な一族の制空権から逃れるには、爆裂的なエネルギーでメチャクチャに暴れ回って反抗する必要があったのでしょう。ちょっとしたレジスタンスではすぐに鎮圧されてしまう。だからステラみたいなリビドーの権化みたいな女性を必要としたのだと思います。
また、闘いには前線基地と仲間が不可欠。イカれた(イカした)アート仲間の集うサロンや親友の詩人エンリケとの出会いがアレハンドロをさらに一歩前に進ませていますね。
そして繰り返し登場する、「脱ぎ捨てる」イメージ。アレハンドロが脱皮するたびに、より強靭な自分に成長していくようです。また、服を脱ぎ捨て裸になることには、束縛を破り、素の自分(自分を生きている自分)になっていく意味も含まれているように感じました。
なので、ボカシを拒絶しての上映に成功したのは本当に快挙でした。おかげで作品の本質を潰さずにすんだと思います。
しかし、成長しても拭いされない虚しさ。アレハンドロの人生の意味についての葛藤はかなり長く続きます。自分を生きれていないと、確実に虚無で苦しみますからね。
だが、それをついに打ち破る生と死のカーニバルの場面。鏡の中の自分=影との対決のシーンは、自分を生きる上での最終決戦です。そしてついにその闘いに勝利し、自分を獲得する。クライマックスのシーンは、赤と黒の祝祭の凄まじくも美しいイメージと、翼を広げた聖者のようなアレハンドロ。非常に深く感動し、忘れ得ぬシーンとなりました。
そして最後に描かれる大いなる赦し。あれだけ憎み、己を蝿にした張本人である父親を赦す。ホドロフスキーが真に描きたかったのはこれでしょう。
赦しは人類の中で最強の行為のひとつです。ここに至ることができれば、テーマとなっている心的な問題を乗り越えた、と言えるでしょう。ホドロフスキーは自身の作品をサイコマジックと呼び、セラピーと位置付けていますが、このセラピーは大成功ですね。赦される側である父親の表情がとても好きです。なんという安息。赦しは赦される側も解放されていくのだな、と実感しました。
本当に凄まじい作品でした。大傑作と言っても過言ではないと思います。
リアリティーのダンスが・・・。
リアリティーのダンスが好きだったので期待していたが、原作本を読んだせいで展開が分かってしまうからか?あまり、心に響かなかった。リアリティのダンスで、家族を癒す物語はほぼ終わってしまった(しかし、両親に溺愛されたというホドロフスキーの姉はどちらの作品にも出ていないのだが…)と言ってもいいだろう。なので、父との葛藤も、オペラ歌手志望だった母が、終始オペラチックなセリフを言う意味も薄くなってしまっている。アダン・ホドロフスキーは大人すぎて、青春物語としてはちょっと無理があったような気がする。
全5件を表示