淵に立つのレビュー・感想・評価
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家族という名の迷宮からの脱出
世界共通かは知らないが、家族というのは仲良く助け合う、愛と慈しみに溢れた状態が理想とされている。自分自身の経験からも、家族は呪われた呪縛のようでもあるが、同時に心が安らいだり支えてくれたりするものだと思ってきた。
が、『淵に立つ』が提示するのは、そんな常識が通用しない家族の姿だ。家族同士が憎み合ったり崩壊したりする話も世の中にゴマンとあるが、そのどれとも似ていない。なぜなら、そもそも家族はこうあるべきという概念が、この映画にはサッパリ感じられないのだ。
家族という形態に向けた不信感のようなものは、深田監督の多くの作品に共通しているが、常識的な倫理観をハナから受け付けないこの映画は、とても「自由」だし刺激的だ。
普通に共感しづらい物語やキャラクターを、みごとに演じてみせた役者陣も素晴らしいし、ちゃんと自分のビジョンを貫き通した深田監督の作家性にも拍手をおくりたい。
対立する概念が混然とよどむ淵に私たちは立っている
説明過多になりがちな日本の商業映画のなかにあって、台詞や表情の控え目なニュアンスで、過去の出来事や人間関係の情報を小出しにする深田晃司監督(脚本も兼ねる)の姿勢が好ましい。観客のリテラシーへの信頼が伝わるからだ。
罪の贖い。過去からの復讐。過ちと罰。宗教観にもかかわる深遠なテーマを、淡々と提示していく。わかりやすい答えを出そうとはしない。宗教だけに限定される話ではなく、“人の業”を考えさせる切実な内容だ。
浅野忠信の浮き世離れした存在感がはまっているのは、近作の「岸辺の旅」などと同様。彼がまとう服の色(白黒から赤へ)の象徴性も、シンプルだが効果的だ。
映像表現の点では、ゆっくりのズームインと音響の繊細な制御が連動した印象的なショットがいくつか。
生と死、加害者と被害者、罪と罰、破滅と再生。一見対立しそうなものたちが混然とよどむ淵に、いまも私たちが立っていることを教えてくれる。
三者がそれぞれに立つ罪の「淵」
〈映画のことば〉
8年前に、蛍が事故に遭って、ようやく俺たちは夫婦になれた。
八坂と利雄との間には、殺人事件の主犯・共犯となるべきどんな過去があったのか、本作は明示的には描いていなかったようでですけれども。
そして、蛍が車イス生活を余儀なくされた原因の事故について、八坂がどんな関係に立つのも明らかにされないまま、八坂が鈴岡一家の前から忽然と姿を消してしまいます。
それが、利雄に対する復讐(彼が鈴岡家を訪ねた本懐)を無事に遂げたからなのか、利雄に対する蛍を手にかけてしまったことの罪の自責なのか、蛍を偶然の不幸な事故に遭わせてしまったことの責任感・贖罪の気持ちからなのか。あるいは、単なる第一発見者に過ぎないのかー。
いずれにしても、蛍が遭った(遭わされた?)「事故」は、鈴岡一家の中に、やがて大きく芽を吹くことになる不幸の「落し種」になったことだけは、間違いがなさそうです。
結局のところ、殺人を行い、被害者の遺族には贖罪の手紙を書き続けている八坂にしろ、八坂の犯行時に、(どんな理由からかは本作の描くところではなかったと思いますけれども)お世辞にも軽いとは言えない加功行為で八坂の犯行に与(くみ)したことを秘めて章江との結婚生活を営み、蛍との生活を送ってきた利雄にしろ、人妻でありながら八坂に不倫の感情を抱いた章江にしろ、主要な登場人物のそれぞれが、それぞれに立っていたのは、それぞれの罪の「淵」ったことは、間違いのないことのようです。
そして、少なくとも敏雄、章江について、かつて自分が蒔(ま)いたタネを自分で刈り取る結果になったという点では、巡る因果の重さ、恐ろしさを描いて、余りがあったというべきではないでしょうか。
そう考えてみると、本作は、充分な佳作だったと言えると思います。
(追記)
〈映画のことば〉
おめえは、本当に小せえ野郎だな。
そんなに俺が怖いか。
俺がクソみてえなところで、クソみてえな奴らの相手をしているときに、おめえは女を作って、ガキまで作ってよ、どうなってるんだ。
その立場が、何でおめえで、俺じゃあないんだ?
…って、冗談だよ。冗談。
幼少の蛍に、手際よくオルガンを指導することで章江の信頼を得るなど、まるで染み込むように、静かに鈴岡一家の中に入り込んで行く八坂のその姿―。
八坂は、どこでオルガンの腕を磨いたのでしょうか。
(服役中でないことだけは、間違いがないかとは思います。刑務所は、矯正教育の一環として職業教育をすることはあっても、精神面での安定を目的として、音楽教育などの情操教育をしているということは、ないだろうと思いますので。)
普段は清楚な服装に身を包み、丁寧な言葉づかいで人当たりは悪くはないのですけれども。
しかし、その上着を一枚脱いでしまうと…。
そして、そもそも、八坂が鈴岡一家に現れた理由すら、判然としない。
その得体の知れない八坂の不気味さを、浅野忠信が好演し、なんとも言えない不気味な雰囲気を醸(かも)し出していた一本でもあったと思います。本作は。
いずれにしても「もんのすんごい映画を観ちゃった」ということは、間違いがなかったようです。
蟻地獄に嵌っていく恐怖
紛れもない名作。
"普通"の人たちがそれでも前に進もうとして、自ら不幸に突き進んでいく恐怖。そっちにだけは転んで欲しくないその方向に、物語はどこまでも転び続ける。
進行は淡々としているが無駄がなく、感情描写も端的かつ的確。観ているだけで息が詰まっていく。
視聴後、しばらく茫然自失、動けませんでした。
浅野忠信の演技が……
因果はめぐる
秘密が交差する負の連鎖
長さにビビりながら見てみた本気のしるし劇場版が、 地方局の深夜ドラ...
長さにビビりながら見てみた本気のしるし劇場版が、
地方局の深夜ドラマ発という事情もあってか低予算が見える絵作りながらそれを忘れさせる傑作で、
全く興味がなかったふか深田監督の本作も試しに見てみた。
結果、さすが海外でも評価されているだけのことはあり、説明を省いたスジの流れに引き込まれた。
確かに現実社会で出くわす物事や相手のリアクションがこちらの想像と異なっていて面喰らうことや、
結局何が原因で何が起きたのかわからないことも、珍しいことでは無い。
(映画やドラマだと伏線回収がもてはやされるし、自分も大好物なんですがね)
役者も浅野忠信も筒井真理子(後半、ワザと体型崩した?)はもちろん全員が適切な存在感。
結論として、深田監督の作品を追いかけてみることになりました。
起こる出来事は結構きつい内容なのに、 どこかこじんまりとしていて...
起こる出来事は結構きつい内容なのに、
どこかこじんまりとしていて地味な映画。
シーンのひとつひとつもまさに頭と尻尾はくれてやるぐらいの感じで、
もっと後から入ってもよかったのでは?と思える冒頭部分に、
もうこの辺で切って次に行ってもいいのでは?と思える結部分が多用されている。
もちろん故意の手法ではあるのだろうけれど、
どうにもこの映画においてはもっと長く精神を傷めろみたいな悪意のようにしか感じない。
何も感じない人からすれば、ただの間延びした感じにイライラするだけだろう。
ストーリー的には何があったかは綿密には語られないが、
おおよそこういう事なんだろうというのが中盤ぐらいで大体解ってしまうし、
だからこそまだ何かあるのかなと思っていたら何もなく終わっていった。
語られない物事を綿密に描写する必要はないと思うが、
もうひとつやふたつ何か絡まった事情があれば良かったかもしれない。
結局一人の人物の自業自得が全てなので、あまり感情移入も出来なかった。
筒井真理子さん
えぐいなあ
セリフをそぎ落とした、カットの間もいい
そうか、「絶望の」
変なタイトルな映画。「淵」って何だろう。田淵とか長淵とか人の名前でしか聞かない漢字。あれ、ひょっとして「ブチ」か?猫?
そうか、絶望の淵に立つ。
所々にその「絶望」があった。
八坂は約束が絶対。約束の為なら殺人も犯す。彼の絶望はアキエとの「密約」だと思っていた。トシオがいないその時に掌を返された。絶望した彼も覚悟し掌を返した。
アキエは常に「淵に」立っていた。彼女は神様に縋っていたが、次第に自分しか信じられなくなり、最後は道連を選ぶ。
そんなアキエを道連に向かわせたのはタカシだった。彼の絶望はアキエに言われた一言。彼はそれを受け容れようとする。そんな覚悟ない、と言い切られてしまうが、彼はあの人の息子。でもあの人とは違う覚悟があった。
トシオは絶望には鈍感。八坂が現れ居着かれても、アキエに八坂との過去がバレても、八坂がその後見つからなくても、絶望とまでは思ってなかった。そんな彼に訪れる「絶望の淵」は余りにシンドイ。
ホタルは絶望しても、自力で何とかする。
それがラストに現れる。
河辺で八坂のトシオへの一言が、劇中で八坂の心情が見られる唯一のシーンだが、そのセリフが戦慄。
セリフも少なく、ナレーターもテロップも無い作品で、フランス映画っぽいなーと思ったら、フランスとの合作でした。
決して楽しい話ではないが、「面白い」作品でした。
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