淵に立つのレビュー・感想・評価
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監督がなぜこの映画を撮りたかったのか
上手い映画と思います。ありきたりでない。役者も、リアリティがある。よく出来ていると思います。 でも、そもそも映画ってなんなのかを考えてしまいました。家族、友情、愛、信頼、優しさ、努力、思いやり等々、善や美徳と思われているものが、実はカタチだけ、上っ面なものもある。本音と建て前、自己中心、無関心、支配欲。本能を理性が飼いならしたつもりが、突発的なリビドーで起こる不条理な事件は、世間に溢れています。普通な人にだって闇があるだろうし、怖い、不気味。そんなことは普通に生きている人の多くは、イチイチ言わなくてもわかっていると思うのです。自分の胸に手を当ててみれば。完璧なものはない。うさん臭い。 だけどだからと言って全部が全部、嘘で偽善、とも言い切れない。少しは人間にもいい面があろうよと、前向きに生きていくエネルギーを貰うために、映画だって観るんだと思います。その意味では、この映画は、オカネを出してネガティブなエネルギーを買うようなもの。才能はあっても、何を伝えたいかポジティブな目的がないと、ブラックホールみたいな怖いものが生まれてしまいます。不用意に覗くと闇に落ちかねない。要注意。淵に立ってはいけません。 辛口ですみません。
家庭・人生、翻弄される
最初から最後まで息苦しかった。 八坂が一家に到来してからもうすでに嫌な予感がする。 なんだろう。 確かに「家族ゲーム」を想起させるがそれもまた違う。 最初からお母さんの昭恵おかしかった。 こういう家庭って自ら崩壊への道を歩いていく。 当然元々そういう「罰」もありうる。 蛍の悲劇が発生した後さらに重くなったこの映画だが、 最後どういう話か主旨を掴めにくいという一面もある。 八坂の友達を裏切らないという信念も最初からいい糸になってるが、その人が消えることにつれ、あんまり意味のないことになる。 だから、 どういう話だろう。 しかもエンディングも好きじゃない。 どういうこと? オープンして意味あるのかあー せっかくいい演技を見せたキャストが集まったのに、 作品自体意味主旨不明。 こんな作品どこから意義を見出すべき? 残念ながら4点以上無理。
親の罰
色の中では、僕は白色が一番嫌いである。
白色というのはとかくキレイ過ぎる。
自身を真っ白く着飾るのは、私は清廉潔白ですよと
殊更にアピールしているようで嘘臭くて信用ならないし、
でなくても「汚れる余地がある」という不安感を覚える。
(まあ学生時代の約2年間、真っ白な服を着て
真っ白な部屋にカンヅメで、早朝から深夜まで
独り黙々作業し続けたのが若干トラウマなのも大きい)
なので、浅野忠信演じる八坂には、登場時から
不穏な空気を感じずにはいられなかった。
綺麗過ぎる白シャツと作業着、綺麗過ぎる言動。
主人公やその妻子に優しく丁寧に接する姿を
見ても、どこか底が知れず不気味なのである。
その白々しいほど整った身なりが変化し始めるのは、
川の淵で主人公・利雄に侮蔑の言葉を吐いてから。
あそこから彼の言動は少しずつ助長し始める。
それに合わせるかのように作業着には汚れが
目立ち始め、終いには彼はその作業着を脱ぎ、
強い衝動を連想させる赤色のシャツをあらわにする。
* * *
いや、僕は彼が最初から赤い本性を隠していたとは思わない。
最初の彼は本気で更生しようとしていたんだろうと思う。
けれどきっと、利雄の妻子と親しくなるにつれ、自分が
(あんな小さな男の為に)犠牲にした年月の重さを
思い知らされ、怒りを蓄積させていったのだと思う。
そして、もう決して手に入れられないもの、
他人に取られてしまったものを叩き壊したい
という衝動に突然駆られたのだと思う。
* * *
まあ、そんな行為を正当化できる訳もない。
僕に言わせれば親の罰はあくまで親の罰で、
その罰を子どもが背負うなんてのは間違ってる。
利雄はテメエ可愛さで妻子を八坂へ差し出したようなものだ。
おまけに娘の不幸は自身が招いた事態だと自覚していながら、
「事件のお陰でやっと家族になれた」だと宣うなど、
もはや愚劣ですらある。どうしてお前が罰を負わず
妻子が苦しむのかと横っ面を張り倒したくなる。
一方で八坂が罪を犯したばかりに、その息子は
復讐の為にお前を殺すと脅される。
「いいっすよ、自分、死んでも。それで気が済むんなら。」
そんな台詞を息子に吐かせる立場に追い込んじゃ駄目だよ。
映画の最後に、利雄は全てのツケを支払う羽目になった。
だが、それよりもっと大きなツケを支払ったのは周囲の人々だ。
娘が泳ぎ去る幻は、彼女がようやく自由になれた
姿だったのだろうか。それが唯一の救いだろうか。
中盤の4人で寝そべる姿がそのまま写真黎明期の
遺体記念写真のようになってしまうカットは、
悲劇と言うべきか皮肉と言うべきか。
* * *
映画のタイトルにある淵とは何だったのだろう。
自制を失い衝動的に罪を犯すその境界?
平穏な日常からドン底へと落ちるその境界?
気付かない内に人は淵のスレスレを歩いているの
かもしれないし、あるいは思いもよらぬ誰かから
手を引かれて、淵に引きずり込まれるのかも。
八坂はきっと映画の初めからそういう淵に立っていて、
そして最後、同じ淵に立ったあの妻を嗤ったのだろう。
* * *
相当に救いの無い物語なので万人にオススメは
できないが、静かで不気味な緊張感が充満する
サスペンス作として見応えがあった。
ただ、現代的であれ全時代的であれ、何かしらの
テーマが心に残る作品というよりは、人間心理を
主軸としたミニマムなサスペンス作に終始した
印象が拭えず、その点が不満点といえば不満点かな。
雰囲気が似て感じた『葛城事件』と比較して
そこでやや落とすが、観て損ナシの3.5判定で。
<2016.11.19鑑賞>
歓待
ほとりの朔子のときもそうだったけど、相変わらず水と緑と白の使い方や画の構図が美しく、それなのに、それでいて、全体の雰囲気は不快指数100%。 これはもう職人芸に近いと思う。 古舘寛治の薄ら寒さ、浅野忠信の薄気味悪い威圧感、太賀の浅はかなウザさ、これらもある意味職人芸に近いと思う。 とにかく色々引っ掛かりまくる映画だった。 26
役者の無駄遣い
筒井真理子の熱演に引き込まれました。 しかし、そこだけなんですよ。 何なの?この監督。 この作品の前に同時上映された『鳥』という作品も含め。 もうこの監督の作品は2度とお金を払ってまで見たいとは思いません。 何、このストーリー。 誰得? 誰目線に立っても寄り添えられない。 ものすごく味のある演者さんたちの、素晴らしい演技力を、このような作品のために浪費して欲しくないと思いました。
脳内処理にかなり時間が掛かった特別で初めての作品
演者さんの力もさることながら、深田監督の独自の感性と飾らない演出、そして音楽もマッチして良い作品である。 そして自分に置き換える事が出来る事象。 間違いなく観たほうが良い。 観てから暫くモヤモヤするのは覚悟しておきましょう。
家族
この映画の主題は、
ある人の罪を、その家族が背負わなきゃならないのか、って事なんじゃないかと思った。
母グモは、子供のために犠牲になることを美しいと言う。
子供は、母グモを犠牲にしてまで生きたくないと言う。
父グモはどうなのか?
父グモである利雄は、殺人事件の共犯者でありながら、自分だけ罰を受けなかったのみでなく、妻と娘に囲まれて客観的には幸せに暮らしていたが、彼なりには罪の意識に苦しんできた。
だから、母グモが共犯者と不倫をするように仕向けることで、自分の罪の意識を軽くした。
そのせいで、共犯者は子供を暴行し、子供が重度障害者になってしまった。
父グモは、母グモと子供が不幸になることを、犯罪者である自分に対する罰だと言い、
自分のせいで娘が重度障害者になってしまったことを「安心した」とまで言う。
罪の報いを受けることで、自分の罪が軽くなった気になるのはわからなくもないけど、
それは、本来なら無関係なはずの家族が背負わなければならないのか?
始終、他人事のように飄々としている利雄に、胸糞悪くなる。
しかし、最終的に母親は子供の命を奪おうとし、
子供は、母親を犠牲にしても生きようとする。
父親は、どこまでも傍観者…
罪と購い
2016年最後の鑑賞作品を飾るには余りにも深い内容であった。まるで明治時代の私小説のような文学性が高いストーリーである。
夫の結婚前の殺人共犯の罪。男を愛してしまう妻。しかし、すんでのところで交わりを断られた男は、あろうことかその夫婦の年端もいかない小さい娘に暴行を加え、死ぬ手前の身体的麻痺に追い込んでしまう。そう、総てはすんでの『淵』の所で家族はしがみつく人生を男に背負わされてしまうのだ。後半出てくる男の息子も又、そのすんでの家族と共に父親の罪の意識に苛まれる。こうしてまた男のせいで『淵』に立たされる人間を産んでしまう。生と死の淵を弄ぶかの様に男の亡霊が家族を追い詰め、淵から踏み外す妻。娘を道連れに心中を図ろうと淵から堕ちた母娘は、しかし一歩で又助かってしまう。しかし娘はその死からこちらに戻るのかそれとも堕ちていってしまうのか、父親の必死の救助と共にエンディングを迎え、その顛末を見据えることは観客はできず、淵を漂い続ける。そんな重厚な作品だ。
浅野忠信の切れている演技もさることながら、やはり古館寛治の煮え切らない演技は大変秀逸であり、注目していた役者としてとても満足する演出である。
哲学的なメッセージも含めた本作品の深遠な闇が、まるでコールタールの様に纏わり付き、引き摺られるようなそんな気持ちを深いため息と共に映画館を後にした内容であった。
こわかった。
筒井真理子がよかったです。
8年前の隠し切れない色香と、
8年後の罪悪感と介護疲れが前面に出た容貌とのギャップたるや。
すでに50代半ばで、どんだけ色っぽいねん、震えるわと思いました。
河原でヤサカと連れ立って、夫と子供が見えない場所へ行くわけですが、
絶対なんかあるやろという妖しい予感が漂っており、
ヤサカの腕がアキエに伸びた瞬間、ほらみたことかーと心の中で叫びましたよ。
怖い映画です。
ヤサカと共犯者のトシオがどういういきさつで誰を殺したのかがわからないですが、
まあ、それは主題からそれるわけですから、なくてもいいのですが、
ヤサカの真意が全く見えないことが怖くて怖くて、震えます。
もしかするとヤサカは本当のことしか言っていないかもしれません。
もしかするとトシオへの復讐に来たのかもしれません。
蛍は何をされたのでしょう。
もしかするとヤサカではないかもしれません。
でも状況からして十中八九、ヤサカが手をかけた考えるのが自然でしょう。
ヤサカの息子であるコウジくんがトシオの工場に働きに来るっていうのは、
やりすぎちゃうんかいと思いました。
わたしは、家族とか夫婦とか親子とかに存在するといわれる愛ってものは、
おおよそハリボテだろうと思っています。
なので、いまさらいわれなくても知ってるよ、という気持ちで見ていました。
冒頭からトシオとアキエと蛍の食卓は、すでに心が離れているな、
と思ってみていたのですが、どうやらあれは幸せだった家族の1コマと
捉える方が多いとか。
そっか、私には娘出産後はセックスレスになり、既に関係が終わっている夫婦に
見えていたのだけど、見たいものに近づけて解釈しているのですね。
それはさておき、夫とは没交渉であり、自然とあった信仰をアイデンティティの
柱として自認しており、それ以外の汚い欲望などはあまり見つめないようにして
普通に妻で母であることに納まっていたが、ヤサカに気を許し、秘めていた欲望が
もれ出てくるわけです。でも、一線は越えなかった。
アキエの中途半端な欲望の発露と拒絶が、ヤサカの欲望を蛍への暴力(?)へと
転嫁させる一因になったかもしれない。一人娘の前途が大きくゆがめられたことの
悔恨で、アキエは病的に潔癖症になる(男が汚いと思っている?)。
トシオはヤサカが蛍に何かしたから、はっきりと彼を憎めてちょっと喜んでいるようにも見えました。
自分の罪を隠してもらっている罪悪感の方がより居心地が悪そうでした。わかるかもと思いました。
隠したい気持ちがあるからこうじくんをどう捉えるかも違う訳で。
いろんな解釈ができて、重層的と言いましょうか。
とにかく不穏に震えつつも見入ったのでした。
ラストは蛍とこうじくんだけが死んで終わっている夫婦だけが生き残ったのだとすれば、ちょっと酷すぎよと思います。どっちかわからなかったのですがね。
重たい…
ハリウッド好きとしては、とても重たい作品だけど…浅野忠信さんの裏と表の強弱が素晴らしかったし、筒井さんの色気と生活臭の強弱も素晴らしかったです。筒井真理子さんってこんなに演技が上手くて綺麗だっけと思いましたよ。なんつーか、やましいことをしたらいけないよ。って言う作品だ。
淵レベルじゃない
妻にそっけない夫と寄り添おうとする妻。
旧友が住み込みで働く事すら相談しない夫に腹を立てる妻。
子供が旧友と仲良くなり、妻は旧友と会話を重ねると共に、家庭内の空気も明るくなる。
重苦しい空気が軽くなる。
理想の家族の形に見えてくる。
そして事件が起こると空気はもちろん変わる。
そして最初と真逆になる。
明るい夫と笑顔も見せずやつれる妻。
この真逆になる流れがとてもリアルだった。
家族の空気なんて簡単に変えられる。
何かがきっかけで簡単に変わる。
大きな事件はなくとも新しい風を入れることで家庭内の環境は変わる。
そう感じさせられる作品だった。
家庭の絆の脆さとどこか危険な香り。
そしてあの曲が頭から離れない。
人には勧められないけど観ておいてよかった。
じわ、じわ、じわっと寄ってくるカメラ、じわ過ぎてその効果が必要かどうか疑問。 全編、異様に長く感じさせられました。もう少し短くできないか?というプロデューサーさんはいなかったのか? かといって綿密丁寧とも思えず、金属加工の場面と蘇生措置の作りもの感が特に際立ちました。 筒井さんが特にすばらしく、浅野忠信さんの役作りもさすがで古舘寛治さんの胡散臭さもいつも通りだっただけに残念。 観る人に何を伝えたかったのか、どんなことを感じてもらいたかったのかわからなかった。
この期に及んで
深田監督『歓待』『さようなら』も面白かったけど、本作、肚を据えた感じがして、すんごく面白かったです。
家族とか、友情とか、そういう共同体を一切信じてない感じが振り切ってて良かったです。
一切信じてないというより、信じてないのに共同体が成立しているように振る舞う気持ち悪さ…例えば古舘寛治さんのセリフ「おれたちは本当の家族になれた」…などを描いているのが面白かったなあと。
古舘寛治さんホントに気持ち悪かったですが、家族のかすかな絆を探る太賀さんは気持ち悪くなかったです。彼は本気で探しているわけだから。そういう強弱が良かったです。
妻役の筒井真理子さんが走り出すシーンが印象的で。あそこは、子どものためでも夫のためでも信仰のためでもなく、ただ単に好きな男が見つかったかも…と走り出す。恋のせいでどん底に落とされているのに。
この期に及んで、恋かよ。と思いました。
その筒井真理子さんが美しかったです。アンナ・カレーニナとか、『浮き雲』のゆき子とか、そういう古典を彷彿とさせるような美しさでした。
傑作だ
傑作なんだよ。でも、どこがどう良いのか解かんないの。そこが凄いよね。 浅野忠信があんな感じで家に来たらさ、そりゃ筒井真理子じゃなくても惹かれるよ。そして筒井さんの恋する女っぷり。自分の存在で、あんな風になってくれる女の人がいたら嬉しくなっちゃうね。 後半はズドーンと来て「ここに主題があるんだ」と思って、なんか解った気もするけど、解かんないの。そこが凄いよね。
心に響かなかった・・・
「寅さん」が出演者全て「善い人」なら本作は全て「悪い人」か。(蛍は別)
それがテーマかも知れぬが・・・救われない後味、特にラスト。
心に響かなかった理由
(1)予測不可の展開もあったが先が読めるシーンが所々あり残念
(ミエミエの伏線布石はあざとい)
・序盤蛍の後ろ姿をジッと見る八坂・・・この娘に何かやる
・必要以上に八坂に近づく章江・・・この二人に何か起こる
・孝司が描く蛍の画の妙な色使い・・・蛍に何かやる
(2)共感=「あるある」「わかるわかる」だがそれが無い
・いくら夫の旧友とはいえ現れた日から同居させる?
・いかにも「ムショ帰り」の所作(歩き方、礼、食べ方)は不自然
・八坂似の写真、鮮明なのに後姿だけ?せめて横顔くらい撮れるハズ
あげく追跡しピアノを教える姿までソックリの演出はやり過ぎ
(3)そもそも八坂(と利雄)の前科内容は?それによって二人の見方がかなり違ってくる。(利雄の「足を押さえていただけだ」など無意味なセリフ)
※8年後の蛍役の女優に障害者だけ演じさせず章江の空想シーンで健常な姿を映したのは監督の気配り? などと余計な気を回させる演出不要
※観賞後書店で原作を見かけたのでラストの4,5ページサッと目を通したが
映画とは全く異なる展開にビックリ!
この通りのほうがまだ良かったのに、と感じたがもちろん作者は了承したのでしょうね・・・
もう淵に立ちたくない
とてもホラーな一本 そしてとてもシュールな一本 中盤からドキドキが止まらない。疲れます。 まさにずっと淵に立たされてる様な、不安感、恐怖感がつきまとう。 浅野忠信怖いわ。 筒井真理子の演技凄い。
絶望の淵。
一見平凡で平和に暮らしていたはずの家族が、ある男の出現
によって徐々に破壊されていく。冒頭から居心地の悪さだけ
強調された不穏な描写が続くが、男の素性が明らかになった
瞬間に見せる浅野の表情がエラく怖い。夫が事情を明かさぬ
まま勝手に居候させることに異を唱える妻も娘も、やがて男
の礼儀正しく親切な術中に嵌り、その後の不幸を呼びよせる
ことになるのがやるせない。もし自分が妻の立場だったなら
どうしただろう…と後悔先に立たずの精神疲労と老いぶりが
見事な筒井の化け姿に背筋が凍る。これは耐性ホラー映画だ。
男の目的は最初からそういうことだったのだろうか、或いは
元々の潜在的要素なのだろうか、様々な思いが脳裏を巡って
どうかこれ以上…と思う後半も意外で容赦のない展開が続く。
観客まで絶望の淵に立たされてしまう不条理を味わえる作品。
(夫の過去、妻の秘密、何をどうすれば良かったんでしょうか)
娘の「行ってきます」に応えるお父さん。妻の「行ってきます」には無反...
娘の「行ってきます」に応えるお父さん。妻の「行ってきます」には無反応な夫。 特別幸せそうでも特別不幸でもなさそうな平凡な家族の中に、殺人罪で服役していた夫の古い友人がザワザワって感じで入ってきた。 少し穏やかになったと思ったら突然嵐になって悲惨な爪痕を残して去っていった。それでも家族の日常は過ぎていく。もしもあの時って後悔と罪と罰、 復讐を背負って。 とにかく重たい内容だけど、役者陣が見事に演じてます。特に筒井真理子の歳の取り方がリアルで気持ちの変化が痛いほど伝わりました。役作り凄いです。
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