「贖い」淵に立つ ぷにゃぷにゃさんの映画レビュー(感想・評価)
贖い
とても宗教的な内容だと思った。食前の祈り、日曜の教会礼拝、など具体的な場面もある。右の頬を自ら打つのも、関係ありそう。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せってやつ、聖書の言葉をなんとなく覚えているが、どんな意味だっけ? よくわからないので、ちょっと検索してみた。右頬を打たれるということは、打つ方は左手で打つか、右手の甲で打つわけだが、当時のユダヤでは手の甲で打たれるのは大変な侮辱だったそうだ。そうすると、人前で侮辱されてもやり返さず、左頬を差し出すなんて、今もできることではないが、当時でも考えられないことだろう。前段として、ユダヤの立法で被害を受けた際の報復について、「目には目を、歯には歯を…」があり、これは受けた分と同じだけ返すべき、と過剰な仕返しを戒めているものだ。人はおおよそ、やられたらやり返したくなるもので、恨みや憎しみをそうそう水に流せない。キリストはそれを流せと言うわけだ。そして、自分が実践し、磔刑を黙って受け入れた。映画では自分で頬を打つから、もしかしたら違う意味があるのかもしれないが、憎しみや怒りを相手ではなく、自身に向けている行為に見えた。なので、やはり宗教的な行為に思える。
八坂は刑務所に入ったが、利雄は罪から逃れ、自分の行いについて反省もなく、何も痛みがない。妻の章江に自分が共犯と告白するのも、娘が自分の犠牲になったように言うのも、章江への配慮が欠けている。八坂も冷たいものがあるが、利雄の方がもっとずるくて冷たいんじゃないだろうか。罪を償っていない利雄は、大事なもので贖わなければならない。目には目をもって。ラストシーンの利雄の顔のアップは、奪われる瞬間を表しているのかもしれない。
白いシャツをピシッと着て、丁寧な口調の八坂は、穏やかで聖職者のように見える。オルガンもさらっと演奏できちゃうし、信仰のタイプを猿と猫に例えるところなど、知的でまるで教会の説教を聞いてるみたい。これが地なのか、それとも装っているだけなのか。結局、最後まで真の姿はわからず、蛍の事故に関与しているかも不明である。彼は、利雄に報復したかったのか。章江と蛍を彼から取り上げたかったのか。私は、八坂は人の意向を読み、望まれるように反応する、カメレオンのような人間のように思う。八坂に関わった人が、自分のイメージを彼に投影するだけで、八坂自身は空っぽ、そんな気がする。
浅野忠信、筒井真理子、古舘寛治の演技は素晴らしい。仲野太賀も良かった。そして、誰よりもすごかったのは、動きが制限された中で表現した、8年後の蛍役の真広佳奈ちゃん! その後、俳優の活動をしてないようだけど、彼女の演技をもっと観たい!
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。