「罰と赦されざる罪」淵に立つ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
罰と赦されざる罪
小さな金属加工工場を営む利雄(古舘寛治)には、敬虔なプロテスタントの妻・章江(筒井真理子)と10歳になる娘・蛍(篠川桃音)がいる。
無愛想な利雄と章江との間は、どこかしっくりいっていない雰囲気。
ある日、八坂(浅野忠信)という男が利雄の許を訪ねてくる。
彼は利雄の旧友で、つい先ごろ、刑務所を出たばかりだという。
利雄は、八坂を住み込みで働かせることにする・・・
といったところから始まる物語は、他人が入り込んで家族間を不穏にする物語の様相だ。
オルガンを上手く弾くことで娘・蛍に気に入られ、それが契機で章江も八坂に心を許すようになる。
そして、八坂は章江に刑務所に入っていた経緯を話す。
人を殺めた。
そこに至るまでに、彼は罪を犯していたと告白する。
それは、考え方が誤っていた罪だという。
約束が法よりも何よりも最重要、他人もそうあれかしと考え、自分は常に正義である・・・と。
このシーンの八坂はすこぶる怖い。
そして、印象的だ。
つまり、「殺人」という行為以上に、自分自身の考え方(価値観と言い換えてもいい)が罪だと言っている。
「罪」、これがこの映画のキーワード。
その後、家族と親身になった八坂は、利雄一家と川遊びに出かけ、その際、利雄に「あのとき、お前がいたなんて、誰にも、ひと言もいってない」と迫り、観客側に利雄が隠していた過去を明らかにする。
そして、このとき、八坂と章江は少ないながらも身体接触がある。
この出来事を、八坂は章江との情交の「約束」と受け取るが、後日、情交に及ぼうとした際に章江にはねつけられてしまう。
八坂は、章江の裏切りに対して、娘・蛍を奪うという挙に出(映画では直接の描写はないが)、そのまま出奔してしまう・・・
と、ここまでが前半。
ここまでならば、入り込んだ他人によって崩れていく家族の映画、のようなのだが、後半に入ると、そのレベルでは収まりきらない。
8年後、娘は重度の障がいを負い、まるで動かなくなってしまう。
章江は極度の神経症になり、まるで自分の罪を洗い流そうかとするように、何度も何度も手を洗い、娘には誰も近づけないようになってしまう。
一方、利雄は、前半のしんねりむっつりの不愛想な表情から、柔和な表情へと変化している。
そこへ山上という青年(太賀)が工場でやって来て、章江がそれまで知らなかった利雄の過去、つまり八坂の殺人の共犯者であったということを知るようになる。
このとき利雄がいう言葉が衝撃的だ。
「蛍のことは、自分の罪への罰だ」と。
さらに、章江に向かって「お前も、八坂と関係した罰だと思っているんだろ」、そして「罰を受けて、やっと家族になれた」と。
このシーンの利雄の心の闇は深くて、観ていて理解できない。
その後、利雄たちは山間部の村で八坂に似た男をみたという興信所の情報をもとに、その場所に向かうが別人であり、八坂は捕まえることはできない。
映画はもうひとつ事件があり、その結末がどうなったのかはわからないまま終わるのだが、常に白いワイシャツ、白いつなぎ服と汚れひとつない男(八坂)=心の闇の象徴のようなものは、とらえることなどできない・・・
八坂は「赦されざる罪」の象徴だと解釈することができるが、人間の原罪ということなのだろうか。
わかったようでわからないような映画だが、こころの深奥をかき乱される映画であることは確かである。