奇跡の教室 受け継ぐ者たちへのレビュー・感想・評価
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映画館でこんなに泣き続けたのは初めてだ!
内容はとってもシンプルで、不良クラスが先生の一存でコンクールを目指しちゃう話。普通にあるんだよね、こういうのは。天使にラブソングを、とか。でもこれはそのコンクールってのが重くて、集団虐殺について。
やっぱり歌とかダンスとかとは違って、絶対受け入れづらいと思うし、取りかかりづらいと思う。それをよく(細部は描かれてないし急にみんな参加し始めた訳だけど)まとめたなあと。
生徒の個性はよく描かれてるんだけど、プライベートとか深いところまでは見せない感じも良かった。
しかもこの話の難しいところは、宗教とか人種差別とかも全部ひっくるめてるところ。そこからなぜ虐殺が起こったかとかに繋がるんだけど。
最後、メアリー?のスピーチで被害者と同じことを言ってたのが良かった。本当に後継って感じがして、こういう意味があったんだなと思い知らされた。
順位の発表では観客も含めて一体になったと思う。感情が弾けた。
これは義務なんだと思いたくなった
様々なシーンで考えさせられる
とにかくいろいろな視点で考えを巡らせられる内容でした。
ナチス強制収容所という場所が生まれた背景とその罪深さを改めて考えさせられるだけでなく、現在のフランスであっても人種や宗教による差別、仲違いが絶えず永遠に考え続けなければならないテーマであることを、あらためて認識。
また、教室で繰り広げられる風景が、日本の教育とは明らかに違う。
一人一人が内容を自分ごとと捉えて怒ったり、本気で悲しんだり、苦しんだり。
自己主張が素直で激しい様子は、受験のための詰め込みのための教育である日本とは全く違っていて、すこしうらやましく感じてしまいました。そういう演出なのかもしれませんが。
いつも日本で普通に生活していては気づかないけれど、世界ではあたりまえの光景を垣間見た感じです。
第二次世界対戦時のホロコーストについて深く知見があったほうが、もっとのめり込めるかな、というところ。見終わったあと、もっと歴史を振り返り、今のISの問題に対しても理解したいという動機が生まれてくる内容でした。
自由で哲学的なフランス映画
フランスの高校の落ちこぼれクラスがコンクールに出る話だ。日本のドラマでも似たようなものを放送している。寺尾聰主演の「仰げば尊し」だ。ドラマは吹奏楽コンクールだが、この映画は歴史コンクールというなんともアカデミックなコンクールである。ちなみに吹奏楽部は日本各地でブラック部活として問題になっているようだ。
映画では、自己中心的だが成績が悪くていじけていて反抗的な生徒たちでバラバラの教室を、熱血おばさん教師がコンクール参加の指導のなかで次第にまとめ上げ、生徒たちに自分たちでものを考える力をつけさせる。ステレオタイプのストーリーだが、実話に基づいているそうだ。そういえばドラマ「仰げば尊し」も実話を基にしているとのことだった。
映画の教室は白人と黒人と東洋人、クリスチャンとムスリムといった人種と宗教の入り混じった生徒たちで、中東のIS騒ぎ以来の難民問題の影も微妙に感じさせる面もあり、日本のドラマよりもはるかに複雑でデリケートな状況だ。
結末は大方想像がついていたが、それでも感動する。それはおばさん教師が一人の等身大の人間として、権威に頼らず、強制せず、頭ごなしの否定もせず、正面から生徒たちに向き合った結果だからだ。
フランス映画は議論の場面が多く、映画そのものが哲学的だ。予算だけ豊富なハリウッドのB級映画とは、考察の深さが違う。
そういえば代表的なシャンソン「Sous le ciel de Paris」に次の歌詞がある。
Sous le pont de Bercy
Un philosophe assis
Deux musiciens quelques badauds
Puis les gens par milliers
「ベルシ川の橋の下に哲学者が座り、そして二人の音楽家がいて、それから数千人の人々」みたいな感じの意味だ。多分。
国旗のモチーフが自由平等友愛のフランスでは、哲学は日常生活のなかに普通に存在するようだ。その分だけ、フランスに暮らす人々は精神的に自由である。権威と体罰が大好きな日本とは、自由の質も度合いも違うのだ。
教えられるのではなく、自ら学ぶ、という教育。
問題児だらけの学級を教師の指導と愛で変えていく物語は数多ある。しかしながらこの映画が大きく違うのは、教師の立つ場所だと思う。多くの作品においては、教師が生徒を率いて先頭を立つイメージが強い。しかしながらこの映画の教師は、生徒たちを自由に歩かせそれに寄り添うように立ち、時々進む方角がずれそうな時にだけ、軌道修正の手を入れる。確かに、教師は「アウシュビッツの子どもと若者たち」というテーマとコンテストへの出場という機会を与えはするが、それはきっかけを作ったに過ぎない。コンテストへ参加するか否かも彼らの任意であるし、テーマについての考察、意見、調査、論議、淘汰、思考ということは、すべて生徒たち自身の主体的な力だ。教師は彼らのそばで「見守る」という、積極的かつ忍耐力を要する教育を生徒たちに施していく。その姿が印象深い。
「最近の若い奴は・・・」とはもう大昔から常々言われ続けていることだが、この言葉はろくに若者を知らない人が使う言葉だ。確かに若い世代はまだ物を知らず、甘ったれな部分に違いはないが、その一方で、何かを感じ取る力、何かを創造する意欲、エネルギーと行動力、繊細な感性、着想の面白さ、真意を見抜く鋭さ・・・など、大人よりも優れている点は数え切れないほどあるのも事実で、若者と本気で向き合ったことがある人ならそれを実感しているはずだ。この作品を見ても良く分かる。冒頭部分での荒れた様子は困りものだが、きっかけ一つで彼らはみるみる変わっていく。いや変わったのではない、本来彼らが持っていた力が引き出されたのだろう。彼らはただ迷っていただけだ。自分に才能があるかどうかも分からない。自分に何が出来るのかも分からない。何か出来るかもしれないけれど、どうすればいいのか分からない。だから有り余るエネルギーを持て余していた。それならば大人が、その有り余るエネルギーを意味のあるものへと変える方法を指し示せばいい。あとは若者たちの優れた感性と漲るパワーで、大人をも凌駕するものを生み出すことが出来る。そしてその時に最も重要な要素は、若者を「信じる」という姿勢であり、それを表現したのがこの映画の教師だ。
この作品を見ていると、まるでドキュメンタリーを見ている気分になる。何しろ、登場する若者たちのエネルギーが正真正銘ホンモノだからだ。体当たりでスクリーンにぶつかり、全身でカメラの前に身を投じ、全力で物語と歴史に向き合うその姿はノンフィクションに近い。監督も主演女優もそれを重々承知で、役者であり生徒であり若者である彼らをとことん信じ切って作品を作り上げたのが伝わるような気がした。この映画の主役は生徒たちのエネルギーだ。
それと同時に、我々がついリベラルなイメージを抱きがちな「フランス」という多民族多宗教国家が内包する不公正さと不自由さに対する作り手の思いにまで到達するなんて、ただただ唸るばかりだ。
絶対劇場で見た方が良い、という他の方のコメントを見て劇場鑑賞。迫力...
絶対劇場で見た方が良い、という他の方のコメントを見て劇場鑑賞。迫力があるアクションとかではないのに、劇場でという意味がわかった。
生徒達を信じる厳格教師と歴史を語り継ぐ大切。
落ちこぼれの生徒達を立ち直らせるのはよくある話。ただ、ナチ強制収容所の過去の歴史を振り返り様々な人種と宗教の交じりあう生徒達を一丸にまとめあげていく様は感動。
また、歴史を忘れさせないために若者達にコンクールで語り継がせる社会にも感動。
生徒達に自主性をもたせてまとめ上げる先生はさすが。
人間として歴史を理解するということ
パリ郊外の公立高校。
歴史教師アンヌ・ゲゲン(アリアンヌ・アスカリッド)が担任を受け持つのは、1年生の中でも成績が悪い生徒たちが集まったクラス。
他民族国家フランスの縮図のように、そのクラスも種々さまざまな人種がいる。
生徒たちは、良く言えば、自我が強く、悪く言えば、わがままなガキんちょばかり。
しかし、ひとりひとりの生徒を尊重するゲゲン先生は、みんなから信頼されていく。
そんなある日、ゲゲン先生はみんなに提案する。
ナチスに虐殺された子どもや若者たちについて考え、その内容を全国歴史コンクールで発表しないか、と・・・
というストーリーは、実話の映画化で、当初、反発しあっていた彼らが、テーマに取り組むうちに、互いを理解しあっていく。
ストーリーだけを書くと、お定まりの映画ということになるのだけれど、根底にあるのが、フランスの他民族性。
この高校だけでも、29もの人種の生徒が通っているから驚き。
見た目はもちろんのこと、宗教、習慣も様々。
互いを理解することは、なかなか難しい。
そんなあたり、この映画では巧みに描いている。
ひとつは冒頭のエピソード。
卒業間近の3年生のイスラム教の生徒が、学校に卒業証明か何かを受け取りに来るシーン。
まだ在校中なのだから、校則で決められたスカーフ禁止を守れ、守らないと学校に入れない、と騒動になる。
過去の歴史を振り返る映画かと思っていたので、このエピソードによって、過去と現在は根本のところでつながっている、大きな違いはないのかもしれない、と意識させてくれる。
もうひとつは、カトリック教会に描かれた宗教画をゲゲン先生が説明するシーン。
天国と地獄が描かれた画であるが、地獄のなかにモハメッドが描かれている、と説明する。
これにより、教室内は騒然となり、殺気立つ。
しかし、先生は、こう続ける。
「この絵が描かれているのは、カトリックの教会です。つまり、彼らにとってイスラム教徒は敵であり、地獄に落とすべきだと考え、敵愾心をあおるプロバガンダなのです」と。
ほほぉ、フランスの教育は進んでいる。
一方的な見方をしないことを教えている。
歴史=過去に起こった出来事=覚える、ではなく、歴史=過去に起こった出来事はなぜ起こったのか=理解する、である。
理解することは難しい。
相手のみならず、自分を(特に自分の非も含めて)受け容れなければならないからである。
この授業のエピソードがあるからこそ、後半のナチスの虐殺に関するテーマが活きてきて、生徒たちが互いに理解し(理解しようとして)歩み寄るところが活きてくる。
コンクールで1位を獲る(獲った)から素晴らしいのではなく、見た目も宗教も習慣も異なる生徒たちが理解しようとして歩み寄るところが素晴らしいのである。
果たして日本はどうだ?自分の負の歴史に誠実に向き合っているか?
実話に基づく作品。
高校の落ちこぼれ達が、ナチスによるユダヤ人絶滅政策に関するテーマで全国歴史コンクールに参加する事で変わっていくと言うのは、いかにも学生物語にありそうな話ですが、実話という所が凄い。
もっと『凄い』と思ったのが、第2次世界大戦を巡るナチスの非道の歴史を語り継ぐために、“全国歴史コンクール”と言うものがフランスで催されていると言う事。フランスは戦勝国と見られる所もありますが、実際には一部は枢軸側に居たので、歴史を語り継ぐという事は重要なことなんだと思います。自身の負の歴史に目を向けるということは大変ですが、誠実に実行しているんですね。
この作品は、高校生たちが全国歴史コンクールを通じて成長していくという物語と言うところに感動したんですが、もう一つ、やはりその全国歴史コンクールと言うオブラートに包んで表現したナチスによるユダヤ人絶滅政策の非道さに心を動かされました。こんなことは二度とあってはいけないです。
翻って我が国日本。自分の負の歴史にきちんと向き合っているだろうか。誠実に過去を見なおしているだろうか。そう言う問いかけをされたような気がします。
「きっと彼らにとっては宝物のような出来事」
劣等生だから、落ちこぼれだからといって、皆があんなに素敵な先生に出会うわけでもなく、素晴らしい体験ができるわけでもなく。
だから、彼らにとってはゲゲン先生との出会いも、コンクールへの出場も、まさに「奇跡」。
教室で騒ぐ彼らは本当にやんちゃで子供だけど、ふとした発言や行動がとても大人。これはフランスという移民の多い国で暮らすことにあると思う。そんなシーンが時々出てきます。
評価が若干低いのは、正直「これがアウシュビッツを扱ったものでなけれれば、それほど感動しなかったかも」と思ったから。
ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。
本編スタート後もわらわら人が入って来たので、気が散ってしまった。最初の10分だけもう一回観たい(笑)。
私は例外
高校1年、落ちこぼれクラスの生徒達が担任に誘われ励まされ、生き残った人の講話を聞き、奮起して強制収容所について勉強をして歴史コンクールに参加した実話に基づく話。
学級崩壊に近いクラスの子供達がホロコーストと向き合い受け止めたり、団結したり、哀しみ尊ぶ様子をみることもさることながら、一緒に講話を聞いたり考え学んでいる様な気分になる。
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