劇場公開日 2017年6月3日

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「痛快?どこが?」花戦さ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0痛快?どこが?

2017年6月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

単純

実在した花道の池坊の初代専好を主人公にした映画である。ポスターを見た感じではコメディかと思ったのだが,かなり重い内容で,爽快感のない話であった。こういう邦画の観客層は年齢層が上がってしまうのが常で,普段映画館などに来ていない連中が茶の間のテレビ感覚で見に来ることが多くて辟易するのだが,今回もまた上映中に喋りをやめないババァどもがいたのには非常に腹が立った。

花道の家元の先祖の話であり,茶道の家元利休も絡むため,映画で使われた全ての生け花作成に全面協力した池坊は言うまでもなく,三千家が揃って協力していたのだが,映画の出来としてはあまり芳しくなかった。何より,いずれのシーンからも,時代劇の雰囲気があまり感じられないのが致命的だと思った。

脚本家は,今の大河の脚本を担当している人である。この映画を見て,今の大河が何故あれほどつまらないのかが分かった気がした。この脚本家は,観客が時代劇に求めているものを全く理解していないとしか思えない。時代背景や,当時のしきたりなど,私のような素人でも知ってることがことごとく疎かにされていて,これでは時代劇の雰囲気など出る訳がないと,ほとんど呆れてしまった。例えば,秀吉の第一子の鶴松が病死した際には,秀吉は悲痛のあまり自分で髷を切り落としてしまい,他の大名もそれに倣って髷を切ったと史書にある有名な話を完全に無視してしまっては,時代背景も何もあったものではあるまい。

キャスティングにも大きな問題があった。信長の中井貴一は怖さが感じられず,秀吉の市川猿之助は,風林火山の大河の信玄役でうんざりさせられた歌舞伎演技をほとんどそのまま繰り返しているだけだった。人たらしと言われたほどの秀吉の魅力や聡明さは一切感じられず,ただただ残虐な暴君であるだけで,これでは何故多くの有力な武将を臣従させられたのかが全く分からなかった。

利休とのやりとりも,本来はどちらが美意識の頂点に立つかの頭脳戦であったはずなのに,好き嫌いが違うだけというヌルい話になっていて,ひたすら秀吉が権力で押しまくるだけという単純な話に成り下がっていた。秀吉は陰口をきいた庶民をことごとく捕えて首をはねるだけの暴君でしかなく,まるで現在の北朝鮮の豚のように,人殺しを楽しんでいるだけの存在であった。結末もあれで納得しろというのは到底無理だと思った。

主人公の専好が記憶障害を持つような人物設定になっていたのも全く解せなかった。人の名前が覚えられないような者が,お経など覚えられるはずがないだろう。野村萬斎の顔芸を最初は面白がって見ていたが,最後まで同じ調子なので段々飽きて来た。

音楽は久石譲であったが,耳に残る曲が一つもなかった。演出で最も気に入らなかったのは,謎の少女,蓮の扱いで,戦国時代に現代の女子高生が紛れ込んだのではとしか思えない違和感には,頭を抱えたくなった。薄汚れた服を着ていても髪の毛はシャンプーしたてのようなツヤッツヤというのは,無神経にも程があるのではないだろうか?専好が刀を突きつけられるシーンでも,アップになったその刀が見え見えの模造刀というのには脱力した。せめてそのシーンだけでも真剣を使えなかったものだろうか?
(映像3+脚本1+役者3+音楽2+演出1)×4= 40 点。

アラ古希
アラ古希さんのコメント
2017年6月9日

であれば、せめて映像処理で置き換えてほしい。

アラ古希
黄金のシュミルノッフさんのコメント
2017年6月9日

真剣を使うと「銃刀法違反」で家宅捜索を受けるのでダメです。

黄金のシュミルノッフ