「ゲームと分業作業で作られた「悲劇」」KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV Kyonさんの映画レビュー(感想・評価)
ゲームと分業作業で作られた「悲劇」
ゲームプレイ後に視聴。
ゲーム序盤、ノクトがレギスに見送られ、少し進んだところで新聞を読んだ仲間から「王都が…陥落した」の一報を受けるまでを描いた作品。
ということはわかるんだが、明らかに分業でゲームと映画を作っていたのが裏目に出てしまっているなと感じた
世界観(設定)は同じはずなのに、全く別物に見える。
「ゲームではこのへん描かないから映画チームで好きに作ってよ」という感じで丸投げした感じで統一感がない。
ルナの顔や声優が違うのも、統一感を大事にしようという信念がなかったからなのではないか?
FF15のキャラクターや世界観を作り上げた野村哲也氏が開発を降りた時点で、1本柱がなくなってしまった感が否めない。
そういう意味ではこの映画は国が滅んでいく様子を描いた「悲劇」であり、ゲームと分業作業で作られた映画の「悲劇」とも思えた。
映画で王都を必死に守っている裏で、ノクトがたちがのんきにドライブしたり釣りしたりしてると思うと滑稽でしかない
いっそ、ノクトも王都陥落の様子や父レギスが信頼していた側近に殺される様を目の当たりにしていたら、ゲームのストーリーにも深みが増しただろうに、と思う。
ルナもノクトと入れ違いで王都にやってくるわけだが、飛行機に飛び移ったり自動車を乗り回したりと「神凪」設定はどこへやら?というくらいにバイタリティあふれる女性に仕上がっているし、先に出発したノクトより先にリヴァイアサン召喚のためにオルティシェに戻ってる訳だから、心の底から「ノクト何やってんだお前」と言いたくなる。
視点がぐるぐる回って見づらいとか、ルナ声優の棒読みは他のレビューで書かれているので割愛。
FF15はアニメ、映画、ゲームのメディアミックスを狙ったんだと思うが、それぞれがお互いを補完するというより独立(ケンカ)した作品になってしまっているのが非常に残念でならない。
下手に分けずに、ゲーム内で完結させて欲しかった
分業になると言われているFF7のリメイクもおなじ道をたどるのかと思うといささか不安である