「全てが今に繋がっている」LION ライオン 25年目のただいま movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
全てが今に繋がっている
故郷ganesh talaiと、コルカタと、オーストラリア、全て、物価から言葉から喧騒、人々の暮らし、何もかもが違う場所。
インド内だけでも、言葉が違い土地をまたぐとコミュニケーションを取るのが大変だと言うのに、共通語の英語が浸透しきっていない数十年前、識字率が低い街の生まれでは、5歳でうろ覚えでも故郷の名前を覚えていただけでも御の字だろう。
せめて、カンドワの地名だけでもわかれば!
インドでの5歳児の知恵、命や生活に密着した生きぬく力、体力と、欧米の子供の幼い暮らしぶりは全く違う。何ヶ月も幼いながらに危機を回避し食べ物と寝る場所を確保しながらホームレスをしてきた子供に、里親夫妻がコアラのぬいぐるみを差し出すシーンはとても印象的だ。どんなに優しく思いやりのある人達に囲まれていても、誰の想像にもつかないほどの土地や暮らしをいくつも超えた経験を、1人でしてしまったのである。
同じ月日に生きていても、稼ぎ方や生活水準、必要とされる暮らしぶりは土地により全く異なる。
迷子から里子になり成人し、視野が広がり世界に目を向け、それを理解するほどに、ルーツと育った環境の間でどちらに落ち着くべきか揺れ動く心情はとてもよくわかる。まして、一生懸命に育ててくれた、育ての親だが心からママだと思える母がいて、産みの親を探すことには罪悪感がかられるのは当然だ。
でも、満たされた暮らしの中で埋もれて消えそうになっていたおぼろげな記憶の断片が、育ったオーストラリアでの出会いの中で掘り起こされ、ヒントとなり、つなぎ合わされ、与えて貰った暮らしと教育の延長で得た友人や知識のおかげで、再会への現実味が増していく。
地図で見ると気が遠くなるほどの探すべき範囲と駅の数。間違いなくGoogle earthの力は多大なのだが、ふとしらみつぶしの思考から離れ、直感的に記憶を辿り、色や草木の感じから辿れば、ぐんぐんと見つかる。ソフトウェアと人間の直感の掛け合わせの威力を感じた。
故郷の名前はganesh talai。カネストラ、と覚えていた主人公だが、もしもオーストラリアに引き取られていなければ、大学に入る学力があれば、カネスはどういう意味だろう?ガネーシャっぽい名前だな、と推察することもできたかもしれない。
神様の名前がたくさんあり、名付けに神様の名前を使うのは普通、獅子の神もいるインド。ライオンという意味の名前だったというと面白おかしく聞こえるが、ganesh talaiを実際にグーグルアースで調べると、寺院が多いのがわかる。お母さんが子供の将来を想い、大切に名付けたsheruという名前で、欧米で言えばキリストの弟子に入っている、アンドレとかトーマスみたいな物だと思う。
どれだけシステムが発達しても、実際に行ってみて感じてみないと想像が及ばず理解し合えないことはたくさんある。育ての母も、里子になるまでに大変な思いをした事はわかっても、石炭をくすねてきて売らないと牛乳が買えない暮らしや、迷子がきっかけで、でも迷子が遠く離れたインドでは売られたり、保健所のような環境に入れられて人生終了の意味を持つとは到底わからなかっただろう。
カネストラと言っても、良くわからない地名だし遠すぎるし、無賃乗車をさせたり幼児に添乗員を同行させる訳にも行かず、まともに相手にできなかった駅員。
里親探しの女性が実の親探しをしてくれたが、コルカタから遠く離れた山あいの街で新聞とは程遠い暮らしぶりの家族には、届くはずもなかったこと。
遠いオーストラリアに来て、不自由ない暮らしに元の暮らしを忘れそうになりながらも、元の暮らしでは不可能に近かった、大学に進学させて貰えたこと。
本当は兄の後ろを着いて歩く弟だったのに、里子同士の関係性では急に兄になったこと。それでも、不安定な弟の兄として関われたのは、似たような子供を孤児院で見たことがあったからなこと。
インドの子だからか、オーストラリアで両親がクリケットを教えてくれて、得意になったこと。
全てがものすごく遠回りに思えるが、大学の友達との出会いがなければ、過去を思い出すきっかけの揚げ菓子には出会えなかったし、グーグルアースを知る事も調べ方に気付くこともできなかった。オーストラリアの家庭に引き取られておらずインド内だったら、飛行機のチケットを買う事も難しかった。
育ての母が、ある日運命として茶色い子を育てることを悟ったと話していたように、25年間の全ては運命に導かれる必然の出来事だったのかもしれない。
大きくなるごとに、里親家族と過ごすごとに、人の気持ちがわかるようになるごとに、探して貰えなかったのではなく、兄がどんなに心配したか、母がどんなに心配したか、想像して確信が持てるようになっていく主人公の心の成長は、間違いなく里親家族との生活の中で培ったもの。
迷子になったその夜に、兄が弟とはぐれた不安と後悔に苛まれながら汽車にはねられたと想像すると、幼児ゆえの当時の自分が引き起こした取り返しのつかない命に心底申し訳なく感じるだろうと後味は悪いのだが、誰も悪くはない実話である。
インドでの年間迷子8万人。2度と親元に戻れないばかりか、生きて成人できるかも怪しい子ばかりだろう。25年かかった事より、25年ぶりにでも会えた奇跡が素晴らしい。
インド人の友達の中のひとりの息子が、本作品子役のサニーパワールにそっくりの顔立ちである。インド人の子供にはよくいる顔立ちではなく、選ばれた整い方の顔立ち。サニーパワールくんがいかにシンデレラボーイかよくわかる。でも、私の友達とその息子の家族を見ていると、サニーが成長しても絶対に主人公の成人後のような頭の大きさにはならない、インドでも、小顔は小顔のまま成長する。激変ぶりが見ていて面白く、最初水面から成長後の姿が出てきたときは、弟かと思った。