劇場公開日 2017年2月11日

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「思い出ゲリラ」たかが世界の終わり(2016) イズボペさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0思い出ゲリラ

2025年2月26日
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私はドラン監督の作品を観る前に、毎回少し覚悟がいる。心のどこかにあるカサブタを剥がされる気がするからだ。上手に隠したはずのカサブタを見つけ出し、容赦なく掻きむしって剥がす。
作中に描かれるような家庭環境でも、人生でもない。でも、ドランは確実に私のカサブタを引っ剥がすのだ。

さて、私も出来るだけ実家には帰りたくない種族だ。特に関係が悪い訳でもないし、両親ともにドラン作品に出てくる親ほどエキセントリックではない。極一般的な家族とも言える。でも帰りたくない。「実家」という箱に記憶や良い思い出も悪い思い出も、心の古傷も置いてきたからかもしれない。(さして大したものでもないのだが)
「実家」を共有する家族たちは思いもかけない記憶を共有していたり、違う視点から記憶していたりする。そして不躾に思い出ゲリラのように、掘り返し披露する。血縁のある家族ほど無遠慮なものはない。掘り返された記憶はまた生傷となり、カサブタになるまで埋めて置かねばならない。大した傷ではないのだが、心は治りが遅い場所なのだ。
わかってほしい。ルイも私も実家が嫌いなのではない。実家を出るときに記憶や思い出、後悔を丁寧に葬ったはずなのに。生傷には手当てをしてでていったはずなのに。時に無邪気に時に必要以上に重々しく引っ張り出しかきむしられることに準備が必要なだけ。私も同じことをしたくないから、出来るだけ黙って端的に答え誰のカサブタも剥がさずに帰りたい。だから準備が必要なのだ。

このようにカサブタが剥がされてしまったのです。

ドラン作品はいろんな意味でカメラが近い。無遠慮ともいえる距離に寄ってくる。

イズボペ