マダム・フローレンス! 夢見るふたりのレビュー・感想・評価
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悲しい話
裸の王様のように、陰でクスクス笑われるマダムの姿が居た堪れず、途中はなんだか観ているのが辛かった。
マダムのためにあれこれ裏工作をして彼女の望みを叶えていたシンクレアだけれど、そこにあるのが愛ではなくお金のようにしか見えなかったからかもしれない。
本当に愛があったのなら、マダムのご機嫌を損ねることになったとしても真実を告げ、陰で笑われるようなことにならないよう努めてあげた方が良かったのではなかっただろうか……と思わずにはいられなかった。
マダムの分厚い遺言書の存在をシンクレアが知っていたので、尚更そんな風に感じたのかも……
唯一まともな感覚でいたマクムーンも、遺言書の存在を知るや態度を翻したし、なんだかもうお金はあり過ぎてもいけないものだな、としか思えなかった。
ただ、最初は笑い転げて止まらなかったスターク夫人がマダムを庇ったシーンは、その優しさに泣けた。
その他の嘲笑シーンは悲しくて泣けた。
これからは貴方のためだけに歌うわ、とマダムが決めるためには、一度晒し者になるしかなかったのかもしれないけれど……それでも彼女が可哀想で。
孤独な富豪って辛いな、というのが一番の感想になってしまった。
けど、最後の歌うシーンは幸せだったかな。
せめてシンクレアが本当に心からマダムを愛していれば良いのに。
事実に基づくからか、結構あっさり
役者の技量頼みかなあ。
役者はよかったと思う。
メリルは前夫から移された梅毒を50年も患う、
裕福だけど本質的には孤独な女性をチャーミングに演じていたし、
老けメイクが似合ってたヒューグラントもよかった。
伴奏者のコズモ役の人もよかった。
おそらく、「偉大なるマルグリット」よりも史実に近いと思います。
美しいアリアを歌う歌手を、うっとりと目を潤ませて聞き入る
フローレンス(メリル)は、本当にかわいらしかった。
タレ眉毛も愛らしいし。
へたくそに歌う歌い方も面白かった。
でも、「偉大なるマルグリット」のマルグリットのほうが
感情移入度が高かったかな。
周りのメンバーも「偉大なるマルグリット」のほうが、
エッジが効いていて面白かったし。
いろんな愛があるというのは、分かってるし、
シンクレアがフローレンスを彼なりに愛したってのも分かるけど、
若い美女囲うならば、最初から妻のほうが大事だけど
いいですか?って聞いて、了承を得てから囲ってよと
思いました。
まあ、それゆって一緒に住んでくれる女性がいるかといわれれば、
いないでしょうよ。特に昔じゃ余計にね。
面白かったんやけどね。
バスタブいっぱいのポテトサラダとかさ。
見終わった後に残るものがないといいますか。
コズモの弾くサンサーンスの白鳥は素敵でしたよ。
メインキャスト3人の絶妙なバランス。
さすが!と言わずにいられないのは、相変わらず芸達者なメリル・ストリープ。実在した音痴なオペラ歌手の役柄を一切の吹き替えなしで演じている。歌を下手に唄うと言ってもオペラとなるとまた話は別で、やはり本人に音楽的な素養と歌唱力がないと相当難しいはず。どこまでも器用で研究熱心で努力家のストリープはここでも完璧に演じ切っていて、本当に感心しきりだった。
脇を支える夫役が、すっかり好々爺然としてきたヒュー・グラントで、彼もまた非常にいい味を出している。かつてのプレイボーイの様相は鳴りを潜めながらも、その分、年輪というか厚みが加わったようで、20年前とはまったく違う存在感があってとても良かった。ストリープもグラントも、二人を見ていると、年を取るってことは素晴らしいことだなぁって嫌味なく思えてくるような気がした。
そんな二人に加えて、ゲイの伴奏者役の若手サイモン・ヘルバーグがチャーミングに花を添える。本当「チャーミング」という言葉がしっくりくる感じ。シーンによってはヒュー・グラントよりも目立っていた部分も大いにあったほど。実際の演奏も彼自身でやっているというから驚き。音程やテンポを外した歌に合わせてピアノを弾くのはかなり難しいはず。それを成し遂げて見事だった。
ただ内容としては、「音痴な人気オペラ歌手」という実にキャッチ―な実在の人物を使った割に、映画自体はそれほどキャッチ―ではなく、脚本も演出もさほど充実したというほどでもなかった印象。確かにとても愛らしい映画ではあったけれども。「音痴なオペラ歌手」という設定の面白さに内容がついていけてないというか、活かし切れないまま終わってしまった感覚が残った。夫がどんな気持ちで妻の願いを聞き続けたか、妻がどんな思いで歌い続けたか、その辺が思いの外あっさりとしか描かれないのは少々不満だったかも。
とは言え、ずっとハッピーな気分で見られる可愛らしい映画だったので、気分よく2時間を過ごさせてもらえた。
メリル&ヒューのコンビを愉しむ
世紀の音痴歌手といわれるフローレンス・フォスター・ジェンキンスの伝記ドラマ。同種の音痴歌手を題材にした映画はカトリーヌ・フロ主演の『偉大なるマルグリット』があったが、まるっきり趣の異なる映画。
1944年、ニューヨーク。
第二次世界大戦も終局目前。
音楽を愛する社交界の大物マダム・フローレンス・ジェンキンス(メリル・ストリープ)は、多大な資産を使って音楽界を支えてきた。
70歳を超えた彼女であったが、梅毒という持病を抱えながらも、歌手として舞台に立ちたいという夢は捨ててはいなかった。
その夢を支えるのは、彼女のパートナー、シンクレア・ベイフィールド(ヒュー・グラント)。
しかし、なんといっても最大の欠点は、マダムが音痴であること・・・
というハナシで、とにかく、メリル・ストリープ、ヒュー・グラントの演技を愉しむための映画。
もともと歌の上手いメリル・ストリープ、さぞかし下手に歌うのは難しかっただろうが、そこはそこ。
下手っぷりも堂に入っている(中音域では上手く聞こえてしまうので、高音域を金切り声にして調子っぱずれにして歌っているようだ)。
さらに、相方ヒュー・グラントがいい。
米国アカデミー賞主演女優賞2度、助演女優賞1度という彼女に対して、一歩も引けを取らない。
この映画、彼の役が下手だと、どうにもガタピシしてしまうところを、好色な二枚目半を見事に演じている。
「シング・シング・シング」の踊りっぷりも、なんとも楽しい。
さらにさらに、このふたりを見事にサポートするのが、伴奏ピアニストのコズメ役サイモン・ヘルバーグ。
ちょっとナヨっとして線は細いが、ふたりのパワーを上手くやわらげている。
まぁ、ストーリー的には予定調和の物語だけれど、この手の映画を撮らせるとスティーヴン・フリアーズ監督はさすがに上手い。
評価は少々オマケ込み。
マダム・フローレンス
日本と戦争中という時代にしては信じがたいアメリカのフトコロの大きさ
1944年10月、とんでもない音痴なのに、米ニューヨークの大舞台カーネギーホールでリサイタルを開き、満員にした歌手がいました。しかも、発売されたレコードは全米大ヒット!それがこの物語の主人公である当時76歳のフローレンス・フォスター・ジェンキンスでした。彼女が歌い上げたのは、ポップスやジャズならまだ納得できますが、オペラのソプラノ歌手だったというから驚きです。さらにさらに、彼女は自分が音痴であることに気付いていなかったというのです。一体、そんなことがあり得るのか。この驚きの実話が初耳なら、映画ファンもビックリするところでしょう。
ところが本作とほとんど同じ内容の実話を元にした作品が、今年2月に公開されていたのです。それを知っている人からすれば、どうしても2匹目のどじょうに感じてしまう面は否めませんでした。その「偉大なるマルグリット」(グザヴィエ・ジャノリ監督)という作品は、音痴の夫人がなんでオペラを歌い上げることにのめり込むのか、その裏側にある妻としての満たされない孤独が描かれていて、結末も何とも皮肉なものでした。
その点、本作の方はストレートに夫婦愛を打ち出して、優しい夫の愛情があればこそ、主人公は歌い続けられたのでした。そして夢に終わった「マルグリット」と比べて、本当にカーネギーホールでリサイタルを開き、大評判になった事実は凄いいし、映画としても惹き付けられました。
何と言っても凄いのは、主演メリル・ストリープの歌唱力。これ、一旦は各曲をプロのソプラノ歌手並みに歌えるくらいマスターしてから、音痴になる特訓をしたとか。「マンマ・ミーア!」などで抜群の歌唱力を披露したストリープが、どうやってヘタに歌うのか興味津々でした。だいいち歌のうまい人が音痴に歌えといわれても、自然に音痴に聞かせるのはなかなか大変なことですね。だからモーツアルト『魔笛』から有名な「夜の女王のアリア」を歌うシーンでも、うまくならないように、うまく歌っていることがよく伝わってきました(^^ゞそこは、さすがどんな役柄でも巧みに演じるストリープですねぇ。
印象に残ったのはグラントのうまさです。彼が演じるシンクレアの全てを包み込むような優しさにはきっと感激されることでしょう。彼はフローレンスが傷つかないように細心の心配りをしていました。音痴がバレないように、周囲に金をばらまき、マスコミを買収し、批判的なコンサート評が載った新聞は買い占めて、フローレンスに夢を見続けさせていたのです。
けれどもシンクレアには別な一面もあったのです。フローレンスが眠った後、こっそり愛人に会いに行くのです。しかも普段は愛人を囲っている別宅で暮らしていました。これは、フローレンス公認というからビックリです。その理由を探っていくと、健康に問題を抱えていたフローレンスの深い悲しみを知ることになります。シンクレアはそれを知っていても別れようとせず、彼女に尽くしていたのでした。ただ、離婚しない理由として、フローレンスの財産をあてにしている面もあることにはありました。でもシンクレアには、悪意はなかったのです。そんなフローレンスに対する一筋縄ではいかない愛情をグラントが、嫌みなく表現していて、直球の純愛よりも胸を打ちました。
他に、40年代のニューヨークの街並みを見事に再現しいて、臨場感たっぷりなのも特筆モノです。スティーブン・フリアーズ監督は、実話の面白さを損なうことなく、達者な役者たちの芸も生かして、当時の時代の気分を活き活き再現させてくれました。
注目して欲しいところは、本作の舞台が太平洋戦争中の出来事であるということ。カーネギーホールのコンサートも海兵隊の慰問という大義名分で実現にこぎ着けたのでした。またフローレンスのレコードが大ヒットしたのも、前線の兵士を多いに癒したことが、きっかけになったのです。
それでも日本と死闘を繰り広げているというのに、何とのどかな光景かと驚いてしまいます。日本と違ってこんな粋狂が許されるアメリカのお国柄について、フトコロの大きさを感じずにはいられませんね。
物語は、ニューヨークの社交界のトップ、マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)が、自ら主催するクラブのチャリティコンサートで、彼女自身が歌うところから始まります。でも絶望的な音痴という致命的な欠陥があることに彼女は気づいていませんでした。
何しろ観客は社交界の名士ばかりで、誰も音痴を指摘しようとしないどころか、絶賛するばかりでした。それに気を良くした彼女は、本格的にソプラノ歌手を目指し始めます
そんな彼女の尽きない愛と財産は、音楽ばかりでなく夫のシンクレアにも捧げられていたのです。ふたりは、法的には結婚していませんでしたが、事実婚としてふたりは長く暮らしてきたのでした。愛する妻に夢を見続けさせるため、シンクレアはおひとよしなピアニストのコズメという伴奏者を見つけ、高名な音楽家の指導を受けさせます。さらに、マスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど献身的に立ち回っていたのでした。
ソプラノ歌手になる夢を追い続けるフローレンスでしたが、金目当ての音楽家から褒められて、世界的権威あるカーネギーホールで歌うと言い出します。ただフローレンスはある持病を抱えていました。大きなホールでの単独ライブは、体力的に命がけの挑戦になると医者から警告されます。それでも音楽に生きる彼女のために、シンクレアも一緒に夢をみることを決めます。さあ、笑いと涙で包まれた奇跡の公演の幕があがります!
追伸
映画でははっきりと描かれませんが、カーネギーホール公演のわずか1ヵ月後にフローレンスは亡くなったそうです。まさに希望をかなえきった帰天だったのでした。
浅いて。
マダムフローレンス!夢見るふたり
マダム・フローレンス! 夢見るふたり
この話のどこに共感や感動の余地があるのだろうか!?
単なる金持ちの自己満足にみんな付き合っているだけ...
裸の王様状態で、本当のことを言う人間を金で買収って、どんだけ!?!?
なにこれ、アメリカ版 大屋政子!?!?
お金持ってるけど、ちょっと気の毒な人という印象。
ハンディキャップを持った人が頑張っているんだから、悪く言うな、応援しろ!という温かい目はある程度必要かもしれないが、あれはヤリ過ぎ、周囲は異常。
実際のフローレンスを取り巻く環境はそうではなかったのかもしれないが、
この映画の描き方ではそういうふうに取られても仕方のない演出。
こんな作品をよくもまあ、東京国際映画祭のオープニングに選んだもんですね...
映画祭自体の評価下げる要因。
センスのかけらも感じられないドン臭い作品。
みんなが幸せだよね。けど、理解できない
音痴であることをみんなが隠して、フローレンスに歌わせる。観客は声が面白いから、身内はフローレンスを援助したらお金がもらえるから。
伴奏者はお金もらえて、音楽家の夢の舞台であるカーネギーホールで弾けた。
旦那もどきはフローレンスを支持しながら、寝るときは愛人の家に行き、フローレンスのお金で暮らしてる。精神的な愛でフローレンスと繋がってるって行ったけど、フローレンスがお金を持っていて、セックスが出来ない都合のいい人だから一緒にいるんじゃないって疑問。
フローレンスは旦那の愛を盲信。最後に自分が音痴であり、周りからバカにされても、「カーネギーホールで歌ったことは事実だ」と言って、亡くなる。
みんな幸せだし、綺麗な音楽を奏でるのが普通のカーネギーホールで音痴な歌を歌ったのは印象的で、面白いからみんなの記憶に残る。
でも、嘲笑されているのに、みんなフローレンスを活用してるだけに、思える。
価値観理解出来ないいい。
伝えたいこと分からないいい。
他の方のレビュー見てきます。
これは音痴なの?
流石っすねー。ストリープ
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