「エドの無償の愛」ある天文学者の恋文 マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
エドの無償の愛
天文学者のエドは、自分の死を目前にして、やり残したことが二つあった。
一つは、エイミーの学業のサポート。試験や、卒論のアドバイスを行い、優秀な成績で卒業を迎えられるようにしてあげたい。
もう一つは、エイミーを心の傷から立ち直らせ、母親との関係を修復させること。若い時に、エイミー自身が起こした交通事故で、助手席の父親を死なせてしまったことを、エドにも言えずにいる。それが原因で、母親に長い間会うことなく、あたかも自分を痛めつけるために、危険なスタントの仕事を行っている(命をいとわないスタントだから「カミカゼ」なんでしょう)。そして、父親の面影を慕うように、年老いたエドのことを愛している。
だから、死んでからもエイミーにメッセージを送り続けることを決心する。エイミーが父親の死のトラウマを乗り越えられるように。そして、無事、大学(院?)を卒業できるように。そして何より、自分との愛に区切りをつけ、新しい出会いを受け入れられるように。(だから、ずれたタイミングで届いたメッセージは意図的にまちがえたのでしょう)
今夜見える星は何千年、何万年も前に放たれた光が届いている、だから今見えている星は、この瞬間には、もうなくなっているのかもしれない、という事実。また、宇宙は枝分かれするように複数存在するかもしれないという多元宇宙論。そんなモチーフから、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、この物語を発想したのでしょうか。
かに星雲やカニが登場しますが、かに座は英語でキャンサー。癌もキャンサー。そのかに星雲は、超新星爆発で星の最後に明るく美しく輝いた後の残骸。悲しくも美しい残骸。すべては、この物語の暗喩です。
よく考えてみると、エドが仕組んだメッセージは、エイミーの行動をほとんど正確に読み当てて、タイミングも内容も完璧に構成してつくられたもの。そのストーリーを見ている私たちは、トルナトーレ監督に、心の動きを見透かされて、タイミングも内容も完璧に構成された映画を見ている、という『入れ子構造』。一筋縄ではいきません、この監督。