ある天文学者の恋文のレビュー・感想・評価
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言葉にしにくい難解さが漂う
2016年の作品
ヒューマンミステリーに分類されるようだが、実際そうだった。
この作品は象徴そのものが具体的に表現されており、それ自体が何かわからない感じがするので、評価は分かれるのだろう。
物語そのものは「言語」のように理解できるし、天文学というのは遥か彼方の出来事を「いま」見ているだけで、「天文学とはもはや存在しない者との対話だ」という最後の言葉にかけているのがわかる。
しかし、
理解できないほど届くエドからのメールや手紙
行動予測として、前もって準備していたそれらを考えると、なかなか理解しにくい。
その予測はまた別の行動になり、またそこで複数の選択肢が発生するからだ。
エドはそれさえも準備していたのだが、このエドの想いが推し量れなくなってしまう。
そして、
そもそも他人の生き方はミステリーであり、特に他のカップルほど奇妙に見えるものはないかもしれない。
この物語の設定である親と子ほど年の離れたカップルがそもそもの謎
そうなった背景は、おそらくエイミーの過去にあり、初心者の彼女の運転する車の事故で父を亡くしたことが原因だろう。
エイミーにとって父は父だったが、その事故が自分の所為だと感じてしまうのと、まるでかか身を見るようにその事が母の言動から感じてしまうこと。
エイミーとエド
エドは名のある天文学者で、エイミーもまた天文学を学ぶために大学に行った。
入学後早々に二人は出会って恋仲になったのだろう。
冒頭
エドはエイミーに「隠し事」について尋ねる。
「ボクがまだ知らないことは?」
おそらくすでにエドはエイミーのトラウマを知っていたはずだ。
それを感じ、それが何か知るために彼女の母を訪ねた。
エドのこのバイタリティこそ「愛」なのだろうが、父の死とそれを埋めるためにエドに惹かれたことが、彼の罪悪感とはなっていない。
むしろ、彼はその事を幸せだと考えた。
同時にエイミーに新しい出会いを受け入れることを諭した。
にもかかわらず、ずっと届き続けるメールや郵便物
エドは、しつこいと感じたら11回名前を入力して送信してくれと言った。
10人 あるいは11人の自分とは、パラレルワールドを意味する。
それが今この瞬間という同じ空間の中にある、という考え方。
わからないことは彼らが教えてくれると考えるのだろう。
ただスピリチュアル的に言えば、
今この瞬間の自分が、その問いについて答えを持っていないだけで、その瞬間になれば、その時の自分にはその答えは端然と用意されている。
つまり、そういったようなことを言いたかったのかなと思った。
さて、
しかししつこい。
いったいどれだけエイミーが心配なのかわからなくてもわかってしまうが、その全ての視点をエイミー自身に与えてしまったのは良かったのかどうかという疑問が残った。
エドの心境は彼の話したように父親でもある。
同時に恋人だ。
老人んだからしつこさが増すのか?
物語として考えると、
エドが死ぬことで、エイミーの喪失は、父を亡くしたものに二乗されてしまうほどのことだと、エドは導き出したのだろう。
それ故の「しつこさ」
母と話さなかったのも、実家に行かなかったのも、母を通して父の喪失感と自責の念が湧くからだろう。
エドの、その時々の行動予測からのメール等の発信はファンタジーの要素が大きいが、人は、エイミーのように喪失を抱え込んでしまえば、それに匹敵するくらいの奇跡がなければ再生できないのかもしれない。
おそらく、ここがこの物語の天秤部分
傍から見れば「おかしい」が、本人は必死にもがくしかないのだろう。
天文学という「存在しない者との対話」を、エドとのコミュニケーションに例えた。
エイミーにはどうしてもそれは一方通行でしかなかったが、やがて彼女は「どこかでこの発信を見てくれている」という感受性を持つにいたった。
これこそが「再生」だろう。
神の素粒子 ヒッグス粒子
様々な理論 量子物理学
この最新科学と人間の心
この物語は、従来科学が否定してきた「人間の心を科学しない」ことに一歩踏み込んだ作品なのかもしれない。
この物語を受け入れにくくさせるのは、視聴者の持つ科学的思い込みが各々にあるからかもしれない。
死んでも恋人を縛りつづけるじいさん
天文学の教授と教え子の不倫の恋。突然教授が亡くなるがその後もエイミーの元に彼からの手紙やビデオやメールが次々と送られてくる。孫程の歳の離れた若くて美しいエイミーの心を鷲掴みにし、亡くなった後の粋な計らいというのはロマンチックな様でズルいと思った。全体的にしっとりした映像なのにエイミーのバイトのシーンに切り替わるとアクションシーンが激しくて全く別の映画を観ているようで違和感があった。
風景描写はとても美しいし年齢差の恋愛についてのテーマを取り扱った難解な作品
自分の娘と同じ年の恋人って。。。
最初は死んだはずの人からタイミングよくメールや封書が届くこと、そのタイミングの良さが謎めいて、なんで?なんで?って見始めたけど。。。見ているうちになんか違和感。
教授と教え子で出会ったわけなので「早く出会っていれば」って、じゃあ彼女はその時はもっと若い(こども?)ことになりますが。そもそも彼女が美しいから恋に落ちたとこの教授はおっしゃった。そうでなければ恋には落ちてなかったのでは??研究仲間とか、そういうことではないよね。あくまでも立場は教授と生徒。試験を受けることに対するアドバイスとか、ほかの生徒からするとちょっとずるいともいえる。
最初は敵意しかなかった教授の娘が最後には卒業式に来て父親の恋人に好意的な声をかけるのも、もし私が娘の立場だったらありえなーい!!
よく考えると変な映画です。
美しい街並みと音楽、これだけでも観る価値十分
あまり話題にならなかった作品のようだが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品ということで、期待満々で鑑賞。
相当映像と音楽にはこだわって製作されたのだろう。そこはとても素晴らしい。
だだ、ストーリーとしては、ちぐはぐな印象。「カミカゼ」とかなんやかんやと余計なシーンが多く、その度に少々興醒め。往年の名シーンを彷彿させる「映像観ながら号泣」シーンも今回は滑ったか。名台詞も度々出てきたが、よくよく考えるとそうでもなかったり(笑)
自分の好みとしては、もっとすっきりとした展開の方が良かったかな。
役者さんの演技が合わなかったのか、言語の雰囲気が違ったのか、いずれにしてもちょっと残念だった。
とは言え、この監督の作品の雰囲気は大好きだ。大好きな監督の一人だ。
赤い封筒
凄~い
ここまで彼女の行動を読めるなんて
教授の彼女に対する
…愛が
想いが溢れてる
でも?これが本当にあったら
驚いてすこし怖い気もする
…僕の過ちは
君と早く出会わなかったこと…と
でも。短い時間でも出逢えたことは
お互いに幸せだった…はず
遺された彼女を想い
取った行動…
彼女にとって手紙や動画メッセージを
タイミングよく受け取れたことは
彼女にとって彼の愛情を改めて
知ることができたし
前に進むことができた
そこまで教授は彼女を導き
彼女の悲しみを最小限に
彼女のことだけを考えて…
最後は自分の本音を…
顔を見せずに後ろ姿を映し
最後のことば I love you
…を残して
良い話のようで酷な話のような 可哀想な話だったな 女はこんな話好き...
良い話のようで酷な話のような
可哀想な話だったな
女はこんな話好きだろうし感動するだろうけど
エイミーのせいで愛情をあまり感じていない娘が不憫
エイミー自身も可哀想
綺麗に終わらせた感じになっているけどこれはずっと心に残るんじゃないかエイミーの
『老兵は消え去るのみ』
もっと綺麗に影響も残さず消えてあげる事こそがエイミーにしてあげられる一番良い事じゃないか
とはいえ色々考えてる時点でこの映画をそれだけ真剣に観てしまってる
ナルシスト、ロマンチスト
エドの無償の愛
天文学者のエドは、自分の死を目前にして、やり残したことが二つあった。
一つは、エイミーの学業のサポート。試験や、卒論のアドバイスを行い、優秀な成績で卒業を迎えられるようにしてあげたい。
もう一つは、エイミーを心の傷から立ち直らせ、母親との関係を修復させること。若い時に、エイミー自身が起こした交通事故で、助手席の父親を死なせてしまったことを、エドにも言えずにいる。それが原因で、母親に長い間会うことなく、あたかも自分を痛めつけるために、危険なスタントの仕事を行っている(命をいとわないスタントだから「カミカゼ」なんでしょう)。そして、父親の面影を慕うように、年老いたエドのことを愛している。
だから、死んでからもエイミーにメッセージを送り続けることを決心する。エイミーが父親の死のトラウマを乗り越えられるように。そして、無事、大学(院?)を卒業できるように。そして何より、自分との愛に区切りをつけ、新しい出会いを受け入れられるように。(だから、ずれたタイミングで届いたメッセージは意図的にまちがえたのでしょう)
今夜見える星は何千年、何万年も前に放たれた光が届いている、だから今見えている星は、この瞬間には、もうなくなっているのかもしれない、という事実。また、宇宙は枝分かれするように複数存在するかもしれないという多元宇宙論。そんなモチーフから、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、この物語を発想したのでしょうか。
かに星雲やカニが登場しますが、かに座は英語でキャンサー。癌もキャンサー。そのかに星雲は、超新星爆発で星の最後に明るく美しく輝いた後の残骸。悲しくも美しい残骸。すべては、この物語の暗喩です。
よく考えてみると、エドが仕組んだメッセージは、エイミーの行動をほとんど正確に読み当てて、タイミングも内容も完璧に構成してつくられたもの。そのストーリーを見ている私たちは、トルナトーレ監督に、心の動きを見透かされて、タイミングも内容も完璧に構成された映画を見ている、という『入れ子構造』。一筋縄ではいきません、この監督。
ある意味面白いと言える作品と言えるほど面白いと言える
【鑑定士と顔のない依頼人】という映画が面白かったため、同じ監督(ジュゼッペ・トルナトーレ)の作品ということで見ました。この監督は、通称ボダ女(境界性パーソナリティ障害)の女を知ってますね。世間一般的にはメンヘラ女という言葉でひとくくりにされて呼ばれている女なのですが、まだまだ知名度は低い。
鑑定士もこのボダ女とそれに興味を持ち関わってしまった哀れな爺さんの末路が描かれていまいたが、ある天文学者もストーリーは違えど同じような女と関わってしまった爺さんの最後が描かれています。
鑑定士のほうは詐欺被害、ある天文学者のほうは恋愛被害という違いはあるのですが、どちらの作品も年取った爺の財産の多くが若い女にカツアゲされているのが興味深い。また、どちらも独善的で他人を利用して踏み台にしてきた爺が餌食にされているのも面白い。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、ボダ女についてかなり深い知識があり、啓発の意味もこめて映画を作っているのではないかなと思いますし、また若い女や美人に恨みのようなものがあり必ず服を脱がして辱めているのではないかなと思う。この監督はプロですね。
この手の作品に出てくる女については、ある一定の知識人(焼成のような関西学院大学卒のインテリ)しか理解しえないのが残念です。
女優と音楽が美しい。悲しくて不思議な恋愛
オルガ・キュリレンコの情感たっぷりの演技にひきつけられます。
見終わってみれば、なんとも奇妙な違和感が残りますが、受け付けない人には強い拒絶の感情が勝ってしまうかもしれません。
「サプライズ好き」なんて言い方をしますが、人にあげるプレゼントを選んでいるときに、もらった人がどんな反応をするか楽しみで、幸福な時間を過ごすことが出来ます。そんな気持ちが分かる人には、この教授がとった行動が理解できるのかも。
私には、違和感のほうが強かったかな。
それは、年老いた教授の最後のひと花の恋だったこと。こんなに情熱的に相手のことを思いやることが出来るのだろうかという疑問と、周囲の理解が得られない秘められた情事によってつながっている「不倫」をにおわせる展開だったこと。
必ずしも、すべての人が幸福になる必要はないと思いますが、この監督、よっぽどプライベートでゆがんだ恋愛を重ねているんでしょうか。そんなテーマが良く出てくる気がします。近親者に迷惑をかけること前提で、最愛の人にだけ残された時間と情熱を注ぎこむ。そんな生き方、とても理解できません。
それと、随所に出てくる、オカルトとも、SFとも言えるような、不思議な偶然。あえて、そう見えるように意図的にはさみ込んであるのですが、エイミーには、まるで彼が何かのメッセージを伝えようとしているかのように感じ取ってしまう演出には、「あざとさ」を感じました。たとえば「落ち葉」とか「何か言いたげな犬」「イーグル」などの演出です。
言ってしまえば、11人の違う次元の自分が存在するという仮説に、振り回される学生と、表向き死んだことになっている教授の、悲しいすれ違いを描いた美しい映画。すべてのピースがうまくかみ合ってはいるのですが、「老教授」「恋」この二つを組み合わせたら、こんな不義な関係しか出てこないのでしょうか。
この映画には余計なピースだったとしか思えません。「若い天才教授」「恋」の組み合わせだったら、全然違うテイストの映画だったのに。。。
そっちのほうが見たかったです。私はロマンチストなので。
2017.12.20
徐々に解き明かされていく想い
家庭を大切にしている天文学者エド( ジェレミー・アイアンズ )が、教え子のエイミー( オルガ・キュリレンコ )に惹かれていく経過の描写が無く( 二人の会話でのみ推察 )、彼の死後も彼の姿を追い続けるエイミーの心情に、今ひとつ寄り添えなかった。。
街並や楽曲は美しく、思いもよらず彼の死を耳にしたエイミーが動揺する姿にジンときました。
スタントシーンに驚かされました。
映画館での鑑賞
ある平民の雑感
トルナトーレ監督「鑑定士と顔のない依頼人」のレビューで、NOBUさんが取り上げていたのを見て関心を持ちました。NOBUさん、ありがとうございます🙇🏻♂️
まさか「おるがきゅれんこ」が女子大生とは思わなかったですが(しかも18歳⁉️)、かなり演技力の要る役なので彼女くらいが適役でしょうか。
ちょっとしたミステリーで、謎解きのサスペンスかと思いきやそうでもなく、エイミーの過去をそこそこ引っ張った割にはその要素はそこまで重要ではなく、エドのメールシステムのズレもありと、何だか爪が甘い感じが😫
スマホが当たり前の世の中で、もっとアナログな流れを期待しても無駄かもしれません。
ここまで愛した人に永遠の存在でいようとするのは、少し烏滸がましく、老獪のみっともない恋とも取れなくもないが、ラストはキレイに終わって良かった😚
「鑑定士〜」みたいな終わりだったら😱、と心配してました。
死後も若き恋人にストーカーする老人の話
「ニュー・シネマ・パラダイス」がマイベストムービー、ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品ということで期待して鑑賞。
ストーリーは、死後、愛する人へ手紙を送り続けるという、タイの映画「The Letters」(2004)と同じものです。この映画は韓国映画のリメイクだそうですが、当時タイに住んでいた私はこの映画が大好きだったので、モチーフは同じでもトルナトーレ監督がどう味付けしてくれるのか期待を込めて鑑賞しました。
しかし、おじいちゃんと孫ともいえる年の離れた教授と教え子の恋愛ということで、女性の私としてはちょっとキモチワルイ・・・と思いつつ、どう惹かれ合ってどう愛情を示すのか、説得力があれば納得できると思っていました。
しかし、これは愛でしょうか? 死期が迫ったことを知った初老の男性が、若い恋人に執着する話にしか思えないのです。彼の死後、彼女のもとにメールやビデオレターを送り続ける、しかもその内容。これは相手のことを想っての行動でしょうか? ヨーロッパの価値観、倫理観がアジア人の私とはおそらく違っていて、このストーリーに共感しきれないのです。
また、トルナトーレ監督は、女性を崇め奉るところ、男のロマンチックで、一方的なところが、おじさまになっても変わらない。女心はあまりご存じなく、男のロマンを永遠に描き続ける人のようです。
静かな映画だというのはさておき、ストーリー自体に求心力がないので、途中何度もめげそうになりながらやっと鑑賞し終わりました。教授から送られるメールや手紙に、もっと詩的な、美しい言葉があれば、映画の格がもっと上がったかもしれませんが、「元気?」や「いついつ何処そこへ行け」など指示ばかり。映画に酔いしれることはできませんでした。中年男性ならうっとりできるのかもしれません。
天文学者の恋文は若者的にはややこしい。
ジェレミー・アイアンズが好き。オルガ・キュリレンコも出てる。これは観なきゃと思いセレクト。
大学で天文学を教えるエドワード(以下エド)と教え子エイミー、2人は歳離れど不倫の恋仲。
ある日エドワードは出張中ながらエイミーを気遣いプレゼントやメールを送っていた。
とある講義当日もエドはエイミーにメールを送っていたが、その講義途中エドの死を知らされて、、、、。
まず何故エド(エドワード)がエイミーに死しても尚、メールや手紙、自分の動画を入れたCD-Rなどをエイミーの行動を予測しているのかの様に送り続ける事が出来るのか?
(息子用のメールをエイミーに送ったり間違う事もあるけれど💦これも訳あり?)
これに不思議がるだろう。
エイミーを愛するが故、すごい事仕込んでしまっているなエドさんよ。
ドン引きされる様な事もやっているのに、それでもやるのはエイミーを愛するが故か?相手を信じての事か?
話的に天文学としてのユーモアもあり。
それは数億光年先の星へ、到着する時間を予測し光を送り出す様なファンタジーさがある。
ちょっとスタント絡みに無理があるものの、ミステリー雰囲気で最後はラブロマンスである事を上手く表現していると思った作品でした。
外出出来ないこんな日には夜空を眺めるのも如何?
本気で愛していたのなら…
日テレ字幕版で初鑑賞。
ジェレミー・アイアンズがカッコいいです!
バラの花束や甘い愛の囁き…女性が望んでいることを全てしてくれています。こんな風に愛してもらえるなんて羨ましいかぎりです。
そしてオルガ・キュリレンコも…薄化粧だとソフトでとても可愛らしいです♡ "カミカゼ"というあだ名はどうかと思いましたが…
そして、エドの奥さんも若くて美人じゃん…欲張りだなぁ~と思ったら、娘さんでしたね(^^;
でも、最後の3ヶ月…エイミーのために用意周到にするのもいいけど、まだ小さい息子や娘とちゃんと一緒に過ごしてあげたのか心配になります。 エイミーの事をそんなに愛していたのなら「けりをつけてからにしろよ!」と言いたくなります。家庭を壊すつもりのない男にしては愛が重すぎで…逆に
彼女が可哀想です。
終わり方はとても好きです。彼と素敵な恋愛をして欲しいなぁ~と思いました♪
死んでしまった恋人から、絶妙なタイミングで届く手紙、ビデオレター、...
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