聖杯たちの騎士のレビュー・感想・評価
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アイデンティティーの話
この映画を観るにあたり、事前の情報から
『普通の映画を観るつもりで観るとヤバいことになりそうだ』
と判断。とはいえ、ケイト・ブランシェット様がご出演あそばされる映画なので観ようと決意し、ネットで調べる程度だけどタロットの知識を予習して、いろいろと分析してやろう、という心構えで観たせいか、なかなか面白く観れました。
アイデンティティー確立の話でした。噂に違わず断片的なイメージの集合体のような映画だったため、解釈に追われ感動はなかったですが、知的な興奮はありました。なので、これはこれでアリだな、という印象です。
見失った真珠とか反復される飛行機や鳥を見上げるシーンは、アイデンティティーを確立できずさまよっているメタファーかなと思いました。序盤の地震も、リックの基盤の不安定さの象徴に思えました。
どうもリックは安心できる家庭で育てなかったらしく、有能ですが責任を負えない臆病な大人になったようです。だから、リックは成功者ですが、快楽に逃げ込むようなハデな生活を送っていて、刹那的な気持ち良さを味わってはいるけど、ぜんぜん満たされない。『本当の俺はこうじゃない』とか思いながらウジウジ。
『月』『女教皇』に出てくるパーティガールズはリックの写し鏡と思われます。
ケイト様演じる元妻には安らぎを見出していたけど、リックは子どもを作り育てることに自信がなくビビって子作りせず破局したと思われます。ケイト様はリックと違い、地に足がついた人だったから、
(リックの女たちの中で、唯一粛々と仕事をこなす人として描かれているように見えた)
ケイト様へのコンプレックスもあったのだろう。リックは『自分は自分だ』という感覚がないので、いろいろと腰が引けたんだろうな。
ナタリー・ポートマンとの出会いはリックにとって大きな転換となったようだ。それを示唆するように、ナタリーの章は喧騒に彩られたそれまでの章と違い、日本庭園など静寂な雰囲気で始まる。ナタリーは既婚者だったけど、リックはナタリーに対しておそらく生まれて初めてガチで愛して向かい合ったんだろうな。
ナタリーの章『死』は今までのリックの死と新たなリックの再生を表し、それを受けて最終章の『自由』でリックはアイデンティティーを確立したと思われます。したがって、子どもも含め新たな家族を築けたのかな、と思いました。
とはいえ、ナタリーの人間性はケイト様に比べてヒントが少なくわかりづらい。リックはなぜナタリーに惚れたか、何を得ていたのかをもうちょい描いて欲しかった。
この章がもう少しキャッチーであれば、この映画はかなりわかりやすくポップになったと思われます。あと、父と兄弟の問題についても、もう少し情報があれば。
それから『塔』の章は結構ナゾ。塔がイメージする傲慢による破滅・失敗もなかったし。リックにさらなる成功を約束し、誘惑するような男が冒頭に出てきて塔っぽいけど、リックは塔の危機を回避したってことなのかな?この章のヒロインのはちょっと毛色が違ったので、彼女との出会いでリックは何かを掴んだ、ったことなのだろうか。
何度か観れば理解可能かもしれませんが、そこまで魅力的な映画かというと…^_^;
タロットでは、聖杯たち(カップ)の騎士は、正位置では情熱を持って未来を切り開く象徴、逆位置では目的を見失い悲観的になる象徴みたいです。
(適当にネットで見た情報。確証ナシ)
逆位置から正位置になってく物語と言えそうです。
それから、売りの一つである映像美ですが、ほとんど美しいと感じませんでした。細切れなので少し酔いました。
テレンス・マリックのすることだ。
テレンス・マリックがこういう映画を撮るヤツなのは分かっていた。
むしろそれを知らずに見に来てしまった人が気の毒だ。象徴的で抽象的なイメージ映像とモノローグの羅列。ストーリーなんてほぼ分かりません。
「ツリー・オブ・ライフ」は木と宇宙が象徴的に映し出されていたけど、この「聖杯たちの騎士」は強いてあげるなら「海」と「女」が象徴的かな?美しい女優たちとすれ違っていくクリスチャン・ベール。その姿はとても美しく、映像もとても美しくて雄弁ではあるのだけれど、「ツリー・オブ・ライフ」が精神世界どころか環境ビデオにしか見えなかったのと同じで、この作品もまるで「音のないミュージックビデオ」のようにしか見えなかった。美しい映像と、美しい登場人物たちと、水際の夕陽に、揺蕩うようにして浸ることが出来ればいいのだけれど、そこに意味を求めようとしてしまうと、あまりに雲を掴むようで途端に虚無感が襲う。
でも仕方ない。テレンス・マリックのやることだ。ケイト・ブランシェット見たさに、分かっていて観に来たんだから仕方ない。
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