劇場公開日 2020年9月18日

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「音は映画では伝えきれない。でも、JAZZも最後は人間性なのだ。」ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad) はるさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0音は映画では伝えきれない。でも、JAZZも最後は人間性なのだ。

2020年10月3日
iPhoneアプリから投稿

JAZZ喫茶は僕にとっては異様な世界だった。数年前、2か月に1度くらいの頻度で花巻の街へ行っていた。それは1年半ぐらい続いた。其のころすでに「ベイシー」の事は知っていた。そして、2度ばかり東北自動車道から降りて行ってみようと思いつつも行くことをやめてしまっていた。この映画は音にこだわった男のドキュメンタリー。レコードは単に演奏を何度も聴くために作られたものにすぎない。記録として残すために作られた装置に過ぎない。しかしながら名立たるJAZZマンがこの店訪れるには訳がある。ただひたすらマメな人間である以外に何かがないとエルビン・ジョーンズもカウント・ベイシーもこの店へはやって来ないだろう。15歳のとき僕の家の近所に「ジャンル」と名乗った喫茶店があった。他の喫茶店とは一線を画していた。その店のオーナーの背中に彫り物がったし、ママが飛びっきりの美人だったことが原因ではあったが、他の店と決定的に違ったのは音響システムだった。コルトレーンの「至上の愛」をフルヴォリュームで聴かせてくれた。そして、このジャズミュージシャンについて語ってくれたりした。オーネット・コールマン、アート・アンサプル・シカゴ、チャーリ・ミンガス、チャーリー・パーカー、バド・パウェルなどなど人がなぜ自由になろうとするのかを教えてくれた。左手の小指の第二関節から先がなかったオーナーの熱の籠った話しぶりが思い出された。フルスロットルで流れるJAZZの洪水のなかでも話を止めない彼の顔が浮かんでは消えてきた。

JAZZは生き方というより、人の在り方なのだ。

はる