「惜しい作品」追憶 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
惜しい作品
映画のテーマは降旗監督らしく、人と人との結びつきだ。どんなことがあっても家族は家族、友達は友達だ。信頼し、許し、助ける。それが人の美しさじゃないかと語りかけられているようだ。不寛容で身勝手な人間にはなりたくないという矜持と、家族や友達を傷つけたり蔑ろにする人間を断じて許さない厳しさが窺われる。ただ、見たこともあったこともない人々に対しては、何の思いもなく、想像力もはたらかない。そういう人物ばかりの映画である。
「ブッダの言葉 スッタニパータ」という本に、「名前を付けるから愛著が生じる。愛著とは即ち煩悩である」と書かれてある。
イヌは名前を付けなければただのイヌだが、ポチと名前を付けた瞬間に、イヌではなくポチになる。ポチはたしかにイヌではあるが、家族でもある。大切な存在であり、どこまでもポチを愛し、信頼し、許し、助ける。ポチは生活に潤いを、人生に喜びを与えてくれるのだ。
ブッダはそういう生き方を否定はしない。ただ、逆の人生も否定しない。悪魔がブッダに「ゴータマは子供がいないから子供のいる喜びがわからないだろう」と語りかけると、ブッダは「子供のいる人には子供のいる喜びがあり、子供のいない人には子供のいる憂いがない」と答える。その上で、涅槃に到るためにはあらゆる愛著を捨て去らねばならないと説く。
本作品の登場人物たちは悟りを開いてニルヴァーナに到ろうとしている訳ではない。心に傷を抱えながらも、家族のため、友達のため、そして自分のために懸命に生きているだけである。そして映画はそういう生き方を力強く肯定する。
が、この映画はそこまでの作品である。巷間の人々は誰だって懸命に生きている。映画にするには、それ以上のプラスアルファが必要だ。それは世界観であり、哲学である。
降旗監督は高倉健主演の「あなたへ」では、妻を亡くした老齢の男が散骨の旅に出る中で、世間や自分の未来とどう折り合いをつけていくかを模索する、悲しみと切なさに満ちた心模様を素直に描いて観客を感情移入させていたが、この作品では、登場人物の誰にも感情移入させる魅力がない。それは「あなたへ」に見られた哲学と世界観がこの作品にはどこにも存在せず、登場人物の誰もが周囲の限られた人々への愛著と自分への同情だけで生きているからだ。悪い言い方をすれば、自分勝手な人間ばかりだ。感情移入は不可能である。もしかしたら「あなたへ」で主人公に感情移入できたのは、ほぼ高倉健の演技によるものであったのかもしれない。
岡田准一の演じた刑事は真面目で一途だが、人間性の深みがない。他人に暴力を振るうのは底の浅い人間だけである。長澤まさみもいい演技をしていたのに、役柄が女としての優しさや覚悟に欠けているから、存在が軽くなってしまった。小栗旬の役も、もう少し心の葛藤があれば達者な演技が生きただろう。
安藤サクラはとてもよかった。女のやさしさを柔らかく表現することのできる顔と体つきは天性のものだ。男なら誰でもこの人が演じた仁科凉子のあたたかな包容力に身を委ねたくなる。
役者陣もいい、ストーリーやプロットもいい、結末もよくできている。しかしそれが逆に災いしたか、またはストーリーに頼り過ぎたのか、世界観も哲学も欠如しているうえに、登場人物それぞれの掘り下げが浅すぎて心に残らない出来上がりになってしまった。惜しい作品である。