「主人公のいい加減さなどかわいいもの」Viva!公務員 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
主人公のいい加減さなどかわいいもの
国も人もいい加減そうなイタリアをよく表した映画といえる。
本作はイタリア映画史上興行収入歴代1位だというから、いい加減さもここまで来ればあっぱれである。
イタリアとい言えば第二次世界対戦において同じ枢軸国で戦った国として日本は親近感があるかもしれない(実際はそれほどでもないか?)が、最近それを簡単に吹き飛ばす事実を知った。
戦後日本は連合国側に賠償金を支払っているのだが、なんとイタリアもちゃっかり要求して払わされている。
なんで手前に払わなけりゃいけないんじゃ!
しかも日本からもらっているくせにドイツからはもらっていない。
ドイツは同じヨーロッパで地理的に近いからいざという時の報復を恐れたに違いない。
第一次大戦後に多額の賠償金を課し、ドイツ最大の工業地帯ルールを奪ったフランスが二次大戦できっちり仕返しされた前例があるからである。
因みに当時から永世中立国をうたっているスイスも日本から賠償金を着服している。
これら2カ国の態度をしたたかとは言わない。まともな品性を持っているとは思えない。
まあこんなでたらめを容認してしまうのだから当時のアメリカ中心の戦勝国も似たり寄ったりであろう。
本作は楽をして生きるために公務員であることにこだわる独身男ケッコがリストラのためのいやがらせ左遷に耐えて笑いを引き起こすコメディ作品である。
物語の初っ端アフリカで迷子になったケッコが原住民に連れ去られる下りがあるが、昨今ではとんとお目にかかれなくなった観ているこちらが心配になる程偏見に満ち満ちたステレオタイプの原住民が登場する。
左遷させる女性上司に対してもケッコは女性蔑視とも取られかねない発言を連発する。
いくら笑いを取るためとはいえ、こんな発言ばかり連発するのはまずいと思ってか、ケッコの左遷先でできた彼女ヴァレリアの3人の子どもたちは父親を白人、黒人、黄色人種と人種に配慮した設定にしているし、父親の1人はバイセクシャルで後に男同士で結婚式まで挙げさせている。
もっとも子どもたちの内兄弟2人で喧嘩した際には、白人の方が黒人より偉いなどと露骨な発言もしているので相殺されている感じはしない。
しかしあまりにも自主規制をかけて表現の自由を失っている昨今の映画に比べれば、その勇気は買いたい。
最後は愛に目覚めたケッコが公務員へのこだわりを捨てて愛に生きるというありふれた展開で終わる。
コメディ映画だからこんなものだろう。
公務員のイメージが、安定しているけれど融通が効かず、仕事に精を出さずに私服を肥やすことに一生懸命になるということでは、イタリアも日本もどこも変わりがないものだと思った。
日本では、不正な天下りの斡旋でほぼ免職に近い形でやめさせられた文部科学省の元事務次官が、殆ど腹いせのように何の問題もない獣医学部への許認可で現政権に正当性がないかのような発言をし続けていた。
当事者の前愛媛県知事の加戸守行が国会で事実上加計学園の1択しかなかったとはっきり答弁しているし、元事務次官の一部発言が嘘であることも証言している。
またある経済評論家の話によると日本の国家公務員はほぼ例外なくお金よりも出世が大事だと考えているという。
財務省が教条主義的にプライマリーバランス(財政収支の均衡)黒字化を目指し、消費税増税や各種税制の優遇策等を引き締めて日本経済そのものを殺そうとしている。
日本の借金は1000兆円を超える莫大なものだが、国債の形を取り銀行を通じてほぼ100%我々日本国民が握っているので、財政破綻することはない。
また上記の事実からわかるようにこの負債は国の借金であって我々日本国民のものではない。むしろ我々国民が国に貸しているのである。
また世界一の対外純資産も持ち、政府の子会社である日本銀行がお金を刷ることができる。
いざとなればお金を刷って借金を帳消しにすることもできるし、100年などの長期国債を発行すればその間返済する必要がないので事実上気にしなくても良くなる。
国家の借金は家庭の借金とは違う。なぜなら人間は死ぬが国家は死なないからである。
ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンも日本の財政再建は終わっているのに今のまま増税をして家計の出費が減れば国に入る税収そのものが下がり、デフレからの脱却などあり得ないと明言している。
外務省も事なかれ主義で日本の名誉が毀損される事柄に関して積極的に声を上げて来なかった。(最近は多少仕事をするようになった)
財務省は「罪務省」の、外務省は「害務省」の間違いではないかと思うくらい、国益よりも省益、さらに酷い場合は個人の出世欲という私益を優先しているように思える。
本作でも多少匂わせているが、本当の国家の寄生虫はケッコよりももっと上にいる。