「安倍晋三の「想定外」」太陽の蓋 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
安倍晋三の「想定外」
映画「Fukushima 50」が福島第一原子力発電所の現場を舞台の作品だったのに対して、本作品は内閣総理大臣官邸を主な舞台にしている。当然ながら、登場人物は官邸で働く職員と政治家と、それに政治記者たちである。
福島第一原発では、緊急事態に備えた日頃の訓練を遥かに上回る津波が到来して、全電源を喪失、原子炉の冷却が不可能になった。原子炉の圧力が高くなったためにベントと呼ばれる排気作業が必要になる。バルブは原子炉に近く、高濃度の放射能を浴びながらの作業となるため、作業員は命の危険にさらされる。
菅直人の扱い方がFukushima 50とかなり異なっている。Fukushima 50では佐野史郎演じるヒステリックな総理大臣が現場に来るということで作業が遅れたとなっていたが、本作品では本店と呼ばれる東京電力の本社が情報を官邸に出さないため、自分で現場を見に行くしかないという判断になったようだ。
原子炉容器への海水注入は必須だったが、海水を注入すると原子炉は使い物にならなくなるので、東電としてできればやりたくない。当時官邸に詰めていた東電の重役が官邸から現場に電話をかけて海水注入は待てと言ったらしい。この期に及んでまだ原発を守ろうとする利権主義には呆れ返ってしまうが、割とこういう精神性の人間は多いと思う。原発の現場がマスコミに、官邸から海水注入を待つように指示があったと伝えたため、官邸が海水注入を妨害したという報道になってしまった。
後にその報道が間違いだと知れたが、調子に乗ったのは安倍晋三である。メールマガジンに「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」などとアップしたのだ。
そもそも菅直人政権が原発を進めた訳ではない。自民党政権が原子力村という利権集団を形成し、原発を強力に推進した。政官財学、それにマスメディアが一体となった原子力村は、鉄腕アトムなどのプロパガンダキャラクターを上手く利用して「原子力、明るい未来のエネルギー」というキャッチフレーズのもと、日本中の沿岸に原発を建設したのだ。
野党が何もしなかったわけではない。東日本大震災の5年前、2006年に共産党の吉井議員が、10メートル以上の津波が来たら原発はどうするのかと質問している。当時の総理大臣安倍晋三は、10メートルの津波など考えられないし、全電源の喪失など想定できない。想定できないことについて対策など考えようがないと、吉井議員の質問を一蹴したのだ。
大震災発生当時に何度も記者会見を繰り返した枝野官房長官の「想定外」という言葉が耳に残っている。震災よりも5年前の吉井議員の「想定」を当時の安倍政権がまともに受け止めて対策を考えていれば、福島第一原発事故は違った結果になったかもしれない。
その後の総選挙では自民党が勝ち、安倍晋三政権が7年8ヶ月も続いた。原発事故を招いた張本人である安倍晋三を支持した日本の有権者は、これからも原発事故を繰り返したいのだろう。
タイトルの「太陽の蓋」は、太陽に蓋など出来っこないという意味だと思う。太陽は水素がヘリウムに変わる核融合反応で燃えているが、原子力発電は核分裂のエネルギーで原子力爆弾と同じエネルギーを使っている。両方とも核のエネルギーで、人間に制御できるものではない。映画「地球で最も安全な場所を探して」で紹介されているように、高レベル放射性廃棄物の捨て場所は、地球上で未だに見つかっていない。廃棄物にさえ蓋ができないのが世界の原発の現状なのである。