ウィッチのレビュー・感想・評価
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見せ方はうまい
恐怖映画はやっぱりはっきり見せないのが視覚的にいいね。不気味さが伝わってきた。魔女の存在を明確にするかどうかは難しいね。夢か現実かという展開が緊張感や恐怖を生むから、ラストのオチは微妙。
トマシンをひたすら応援
アメリカ開拓時代、入植者の森への恐怖はやはり相当なものだったろう。暗くてどこまでどこまでも広がっていて何が出てくるかわからない。その恐怖に加えて、成長して別のなにかに変わっていく少女への恐怖、少女自身のとまどいなどをこれほどなく表現しきっている。そのふたつの恐怖が魔女というテーマに集約されて、うまーく観客を恐怖に突き落とす。それにしても、もと少女としては早く家族がばらばらになってしまえと思ってしまう。はやく主人公トマシンを自由に!と物語上逆なことを望んでしまう。そんな不思議な映画。
音響と画面が、暗い
スプリットのアニャティラージョイが、美しいね。 ニューイングランドの魔女伝説の民謡やお話からヒントを得た作品。田舎でいろんな不幸があると、疑心暗鬼で他人のせいにしたくなるんやな。魔女やってするんやろな。お父さん頼りないし、オカンは、じゃかあしい。
魔女映画
期待しすぎてあんまり?的な 魔女?的な所があったのか? よくわからなかった 結局、誰が魔女?魔女の存在がちらほら的だけど 謎のまま。 て言うか隣に座ってる人が怪しすぎて 集中できんかったしキモかった。!
「ウィッチ」の沼に否応無しにハマっていく
まず1番に印象的かつこの映画の特筆すべき点であるのが音響効果。主に劇伴と環境音による映画の雰囲気、世界観作りにとても効果的に貢献してるなと思った。流すタイミングも含めてとても演出によって曖昧でありながらメリハリのある感じに計算されているなと。 物語は村離れの森の近くで自炊生活を始めた家族が宗教への信仰心と、それとは別の家族自身に対する感情の両立に苦しめられていく様がこっちから見ていてと見苦しい程丁寧に描かれていた。 主軸である長女役の女優の存在感は凄いが、もう1人、威厳があるのは声だけで、自らの宗教観と家族の生活に上手く折り合いを付けれず、有事の対応に後手になり最悪の結果を引き起こす(ある意味ではコイツが悪魔の化身だと個人的に思っている)父親を演じきった俳優さんも素晴らしいと思った。 観る前にいくつか聞いた前評判の中でキューブリックの「シャイニング」に近しい部分があるという論評があったが、なる程、隔離された環境、登場人物たちの内面に惨たらしく入り込む恐怖演出、突如挿入される脅かし音など共通またはそれを彷彿とさせる所はあると思った。 間違いなく上質かつ心を抉るホラー映画である事は間違いないので今夏に1回は魔女の虜になってみるのもいいかもしれない。
見ている映像は正しいのか、そうで無いのか、あやふやになっていく
面白かったです。
中心の登場人物である一つの家族は、皆がお互いを愛して、敬虔で、思いやりがあるのに、末っ子が行方不明になってから、ボタンを掛け違えてしまった様にどんどんすれ違い疑い合い、最後の悲惨な結末まで転げ落ちて行くのが見事でした。終盤の、何が本当で何が嘘か、見ている映像は本当に起こったことなのか分からなくなっていくのが、コクソンみたいだと思いました。
悲惨な状況に追い込まれて行くのに、悲壮な雰囲気もスリラーな空気も無いので、映画としてはとても見易いです。
魔女の疑いをかけられた長女が、最後は安住の地を求めて本当に魔女になってしまうのが悲しいけれど状況を考えたら納得。中世ではこんな人もいたのでしょうね。
信仰と本能、抑圧と解放。
1630年のアメリカ・ニューイングランド地方。
宗教観の相違から集落を追放され、人里離れた森の近くで
新生活を始めた清教徒の家族が、赤ん坊の失踪を
きっかけに、森に棲む魔女の恐怖にさらされるという物語。
いやはや、おっそろしい映画でした。
冒頭のヴァイオリンとコーラスの不穏な響きから怖いし、
赤ん坊の末路には序盤から背筋が凍る。そこから先も、
暗く冷え冷えとした色彩の映像と、淡々と底無し沼に
沈むかのようにずるりずるり悪化していく展開が恐ろしい。
灰色の空、青黒い森林、洞窟の暗黒、
鴉のついばみ、白山羊の赤い乳、黒山羊の金の眼、
双子の無邪気な悪意、徐々に精神を病んでいく母、
ケイレヴとトマシンの狂気じみた恍惚のおぞましさ……。
...
僕はキリスト教の考え方に詳しくはないので、
本作のテーマ云々を考察することは難しいが、
えもいわれぬ恐ろしさと共に感じたのは、
盲目的に何かを信仰することの危うさだ。
あの父親はとにかく厳格だったというか、己の信仰を
頑ななまでに実践し、それを家族にも課していた。
ことあるごとに子供達に罪悪について説いて聞かせ、
神への畏れや罪悪感で彼らを律しようとしていた。
だが、たとえ罪悪だと言われても、嘘をついたり情欲に
駆られたり怠けたい遊びたいと考えてしまうのが人間。
トマシンやケイレヴのような多感な時期の少年/少女
であれば、その教えに反感を抱き始めても当然だ。
ケイレヴは「罪をあがなう暇もなく死んだ幼子は
地獄行きなのか」と不安と疑問を抱いていたし、
トマシンに至っては家族、特に父母への不信感と
怒りを徐々に露わにしていった。
母はトマシンの勤労をひとかけらも信用して見せず、
父は「嘘は罪悪」と言いながら銀食器の件で嘘をついた。
彼は家族の前でトマシンを悪者にしただけではなく、
金策に失敗して娘の奉公の話を出したことになる。
家族間の不和は、魔女に襲撃のチャンスを与えた。
むしろ魔女たちはそれを狙っていたのだろう。
一家に魔女の襲撃を防ぐ手があったかは分からないが、
少なくともあの父親が家族に律した信仰――ここでは
いっそ価値観や教育と言い換えても良い――は、事態を
悪くする方向にしか作用していなかったように思える。
彼は頑なにならずもっと早く集落の誰かに助けを
乞うべきだったし、家族の意見や自分の気持ちに
もっと慎重に耳を傾けるべきだった。
仮に神の教えとやらが完璧でも、それを伝承する
人間自体は不完全なわけで、そこには矛盾や恣意や
邪心が介入して当然だ。個人の解釈差だって出る。
それを鵜呑みにしたり他者に押し付けてばかりは
危険だし不和を生むばかりだと、個人的には思う。
...
女性映画としての側面についても触れる。
冒頭からトマシンは、集落を追放される事への驚きと
不安を隠し切れていない。序盤の神への告解でも
彼女の無邪気で奔放な心根が垣間見え、他の家族
と彼女の感覚には隔たりがある事が分かる。
皮肉な話、家族が存在する間、トマシンは
決して本来の自分として振る舞えなかった。
しかし、家族が消え失せた事で、ついに彼女は
自身を解放できた。なんて陰鬱なハッピーエンド。
きっと魔女たちは初めからトマシンが“同類”だ
と踏んでいたのだろう。彼女らはトマシンを
家族から孤立させ、その精神に限界まで圧を掛け、
最後の最後に爆発させたのだ。
欲望の赴くまま赤ん坊や幼い子供にまで手をつける
魔女たちはもちろん邪悪だが、トマシンの末路を
そのまま当てはめるなら、彼女らもまた強力に
抑圧された精神がマイナスへ極端に振れ切った者達、
その時代の女性に対する抑圧的な価値観が発端で
生まれた、忌むべき存在だったのだろうか。
...
ひとつの価値観や生き方に囚われ続けること。
その価値観や生き方を他者にまで強制すること。
ともすれば信仰・信念が陥ってしまうそんな負の
側面の恐ろしさをまざまざと見せつけられた気分。
ええもう、秀作ホラーだと思います。
にしても、前評判通りアニヤ・テイラー=ジョイは見事だが、
ケイレヴを演じた演じたハーヴェイ・スクリムショウ君も
負けず劣らずの熱演。名前覚えといた方が良さそう。
<2017.07.26鑑賞>
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余談1:
原題『THE VVITCH』は
なぜ『W』ではなく『V』2つなんだろうか。
・V≒5人の子供なら、VV≒相反する子供達、
悪魔に魅入られて変貌した子供達のこと?
・VITCH≒BITCH(売女)=母親視点でのトマシン?
・VVであの家族が手を繋いで神に祈る姿を模した?
・単純に、当時そんな表記があったとか?
謎やねえ。
余談2:
本作、鑑賞時点では新宿でしか上映してなかったので
静岡在住の自分は鑑賞を諦めていたのだが、たまたま
近くへの出張が重なって夜に観に行くことができた。イェイ。
しかし、元は鹿児島のド田舎出身の自分には、
深夜の新宿はまるで迷路のようで怖い怖い。
あれえどこ行っても同じ風景に見えるよ怖い怖い。
森で迷子のケイレヴ気分。
戯曲?
104本目。 イラッとする。 2週続けての残業。 なんだよ、このシフト。 家着いたのが昼前。 観たいのは、あの2作。 うまく時間が合う! でもね、うん今週は流れが悪い。 色々あって今作。 気分転換向きの作品ではないけど。 お父さんの演技が芝居くさいし、セリフ回しとかも舞台っぽいから、そう思ったけど違うみたい。 まあでも、どうなんだろう? 時代、信仰心とか考えれば、そうなんだろうと思うけど、面倒臭い時代だよね。 でも魔女の概念って何なんだろう?
よかった
ストイックなところはすごく好みだったのだけど、クライマックスの悪夢の場面で眠くなってちょっとウトウトした。実際に悪魔がいたとしたら本当にあんな感じなのではないだろうか。
魔女の成り立ちを現代的に解釈した傑作ホラー
「魔女」と聞くとファンタジーに聞こえるかもしれませんが、今作で現実的に起こってしまった事態は「厳格な家庭の中で、娘が性的に成長してしまった話」であって、この手のストーリーは手を替え品を替え様々な映画の中で語られてきたため(「尼僧ヨアンナ」、「エクソシスト」、「ブラックスワン」など)目新しいものではないものの、キリスト教的なモチーフをストーリーに取り込みながらホラー映画としても良く出来ている点で素晴らしかったです。
それぞれのモチーフの意味は、
山羊=悪魔、男性性
うさぎ=性愛
りんご=原罪
割れた卵から血が…=トマシンの初潮
犬=忠誠心、貞節
要するに、トマシンが身体的に大人になることで、これまで均衡を保っていた家庭環境が崩れてしまう話で、その成長を理解出来ない人からしたら「彼女は魔女になってしまった」と言うしか出来なかったわけですね。
ちなみに、幼い子どもが誘拐されるのは、サバトという悪魔崇拝の集会の儀式(ラストのアレ)で子どもの肉体が必要になるから、と魔女裁判に記録されているそうです…。
主人公の女の子のトマシン(Thomasin)の名前の中に既に罪(sin)が内包されているあたりが、生まれながらにして魔女になることを運命付けられている感じを出していて良かったです。
サンダンス映画祭での評判を聞いて見たいと思ったけど、魔女モノだから...
サンダンス映画祭での評判を聞いて見たいと思ったけど、魔女モノだから見応えないかな、と半信半疑で見に行った結果、とても満足できる内容だった。宗教的に悪魔だ、魔女だという映画は日本人には理解しづらいと思ったけど、この映画はそういった理解がなくても大丈夫だった。でもキリスト教を理解していたらもっと面白くなる映画であることは間違いない。
記憶にべっとり残る不愉快な体験ができる!
暗く、湿った、救いのない森のほとり。 観て楽しいか?をずっと自問自答していた90分間。 答えは、素晴らしく記憶に残る稀有な体験です。 小雨降る夜の新宿武蔵野館、客層もよく、この時間を共にできたことを感謝しました。 できれば、今すぐ新宿武蔵野館へ、たとえ自宅でても、この体験は人生の片隅に残る記憶になります。 ヒロインの儚い思春期の瞬間を見るのも楽しみです。 弟の断末魔の演技もすごい。 後味も途中も冒頭からも、とにかく最悪の経験ができます。 ラストからも2分前のヒロインの表情のためだけで観る課長あります。
ホンキの”魔女映画”を初めて観た!一貫して不気味で美しいホラー
ゾクゾクする、ホンキの"魔女映画"を初めて観た。最近のホラー映画は、怖さより、"笑ってしまう"ものが多いが、これは違う。 始まっていきなり、画角が狭いことに違和感を覚える。最近ほとんど見なくなったヨーロッパビスタなのだ(キューブリックが好きだったヤツ)。ぎゅっと視野を映像が満たしてくれる。 なにより、色気のある魔女が出てきたりもしなければ、怪物もいない(動物が不気味に存在する)。魔法や魔法道具のような飛び道具もない。過度なスプラッター要素もないし、家具やベッドが空を飛んだりもしない。映画的に派手な表現は排除して、一切、観客に媚びていないのだ。 さまざまな魔女伝説や民話など調べつくして、時代が1630年という昔話なのもいい。ニューイングランド地方という設定から、清教徒(ピューリタン)ということか。その敬虔なクリスチャン一家という設定も実にシリアスで、キリスト教でいうところの"原罪"(宗派によって解釈が異なる)をもとにしている。 キリスト教の信者ではないので、これ以上、踏み込むことはできない。ただ無神論者として感じるのは、"物欲"や"性欲"、"嘘をつくこと"、"うぬぼれ"など、人間の心の弱さを、悪魔が心に宿る様に、例えているんだと。 一貫して、"誰が魔女だ?"という不気味なままの映画だ。だからじんわり怖い。 ヒロインは、アニヤ・テイラー=ジョイ。先日ヒットした、M・ナイト・シャマランの「スプリット」(2017)で、監禁される少女役で出ていたが、同作ではジェームズ・マカボイの23人格の演技力(演技分け)のほうに圧倒されて、彼女をちゃんと見ていなかったと反省。それほど主人公トマシン役はすばらしい。 もっとアニヤ出演の他作品を観てみたい。日本では未公開の「モーガン ~プロトタイプ L-9」(2016)とか…。リドリー・スコットの息子のメガホンで近ごろ、Blu-ray発売されている。 唯一、気になったのは、荒野で自給自足の最小限生活を送る家族たちのメイク(とわかってしまうメイク)や衣装が小綺麗で現代的なこと。けれどヒロインを美しく見せるのは正しい姿勢だ。 美しく、品がよく、新鮮なスリラー。 (2017/7/26 /新宿武蔵野館/ヨーロッパビスタ/字幕:長瀬万記)
過去最高の非エンタメ系魔女映画。
評価低くてびっくりです。 エンタメ映画ではありません。 B系かなと思って見たら、びっくりのA級レベルの満足度。どちらかというとアート、歴史系ミステリー映画。「魔女」という概念が心の中に産まれる過程やその状況をスタイリッシュになり過ぎないギリギリで丁寧に描いています。魔女物、近作だと同じ北米の開拓、植民期の魔女裁判をネタにした「ジェーン ドゥの解剖」が新鮮なアプローチで楽しめましたが、やはり基本ホラーで「魔女」の本質に迫るものではなかったです。この映画はそこにフォーカスしています。 実際に魔女が居るのか、居ないのか?そこをうまくすり抜けながら「魔女」の存在せざるえなかった宗教観、物理的、精神的状況をひりひり描いていきます。 監督は長篇初で、もともと映画系デザイナー。 流石の魔女絵画知識とイメージ。 淡々、じわじわ系ですが音や映像設計が素晴らしく、アイデアもあります。地味なストーリーですがテンポも悪くなく、台詞も過去の魔女裁判の資料から拾っており、説得力あります。次作もきまり今後が楽しみな監督です。主役の女子も可愛かったな。 制作費わずか300万ドルですが、サンダンス(監督賞)やトロントで話題になり、結局米国内だけで10倍を超える興行成績を収めたそうです。 本当にこの世界に興味のある方なら是非。 DVDでたら買う予定。
宗教観を持っていないから…
全く話についていけなかった…と、いうかわからなかった。 常軌を逸した家族にしかみえなかったし。 黒ヤギやらカラスやらはスペルやオーメンでお馴染みな悪魔動物だからなんかわかった気にはなるけど、全編薄暗闇な中での映像も疲れたし。 難解でした。
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