「ホラー+宗教=社会派!の秀作。」ウィッチ まこさぽチャンネル(さぽしゃ)さんの映画レビュー(感想・評価)
ホラー+宗教=社会派!の秀作。
『ザ・ウィッチ(2015)』
原題 The VVitch: A New-England Folktale
※公開前にアップしようと思ってたのに遅くなってしまいました。
※後半ネタバレあります。
※長文です(笑)
(あらすじ)
1630年、ニューイングランド。宗教上のちょっとした意見の違いから、村を追放された敬虔なクリスチャン一家。その長女トマシン(アニャ・テイラー=ジョイ)は、子守の最中に末っ子の赤ちゃんを誘拐されてしまう。そこから一家は恐怖に支配され、トマシンを魔女だと思い込むようになる。
魔女裁判:セイラム事件で有名なニューイングランドには、多くの魔女伝説が残っています。
本作のサブタイトルにもある ”A New-England Folktale(ニューイングランドの民話)” を読んでみると、魔女が生まれた過程が詳しく書いてありました。
ニューイングランドは「巡礼者の始祖」ピルグリム・ファーザーズを乗せた、”メイフラワー号”が辿り着いた場所です。
つまり信仰の自由を求めた清教徒達が、辿り着いて住み着いた場所なのです。
しかし自由を求めた代償は大きく、彼らは長く厳しい冬と、原住民との戦いに明け暮れるこことなります。
厳しい最初の冬は、彼らの半数を死に追いやったようです。
そんな厳しい生活の中で、彼らは支え合って励まし合って生活したか?
答えはNOです。
本作にも出てくるように、宗教上の意見の違いで追放し、ちょっとでも変わった容姿や、言動をすると、それだけで迫害されました。
他人と違っていることは、この時代は悪だったようです。
彼らは古くからの迷信や前兆、予兆、に"絶対的な”信仰を持っていたので、空を読んだり、見慣れない現象で未来を決めつけました。
でも、その予想があたらず、不運に見舞われた時には、それは誰か……、つまり”魔女”のせいにしました。
魔女は、隣の気に入らないおばさんだったり、近所の綺麗なお姉さんだったり。告発する人の気分次第です。
厳しい生活の中で、いつ不幸に見舞われるか分からない恐怖、不安が、互いに告発しあう閉鎖的な村社会の中で、大きく膨らむ。
多くの魔女裁判は、このような鬱積した生活環境から生まれました。
本作ではこのようなお話が、まるでゴヤの黒い絵のように、禍々しく、美しく、描かれていました。
(以下ネタバレ)
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トマシンは魔女と疑われ、結果的に家族を失い、森へ向かいます。そこしか行き場がないように。そこには、血まみれで狂ったように踊る全裸の女性達がいます。
トマシン。英語表記はThomasinです。
キリスト12使徒の一人、トーマスと、sin(宗教的な意味での罪・原罪)が合わさっています。
このトーマスさん、調べてみると面白いですよ。
「なぜ疑うのか」
映画『哭声/コクソン』でも、ラストでそんな台詞がありましたね。
あ、次は『哭声/コクソン(2016)』の感想書きます!
そして考えるのです。
現代における魔女はなにか?
魔女はきっと作られるのです。