「オリンピックは誰のものなのか?」栄光のランナー 1936ベルリン とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
オリンピックは誰のものなのか?
「参加することに意義がある」と言われながらも、個人の意志とは無関係に様々な思惑に翻弄されているオリンピック。
日本で言うならばモスクワオリンピック。今に比べて、昔は選手の旬って短かったように思う。「次のオリンピックで」が叶わなかった選手が何人いたことだろう。そんな記事を読んだような。先日ブダペストで開催された世界陸上競技選手権大会では日本人が”快挙”というニュースに沸いたが、この映画の時代は今みたいに世界レベルの選手権はあったのか?「次の大会で」もなかったような。素人目には今以上にオリンピックは大きな意味を持っていた。世界ランキングと言う言葉もあまり聞かなかった。オリンピックでメダルをとるかどうかが素人に名を売るチャンスだった。ロング氏のような”その後”をたどった選手も多かったであろう。この映画のような情勢じゃなくとも、人生、何が起こるかわからない。
そして今はロシア。まだやっていたのか、そんなことと驚きながらも、結局責任をとらされるのは選手。ドーピングは公正さを揺るがすものであると同時に、選手の体に害をなす。だから厳しい処置は必要。けれどロシアの選手が皆積極的にドーピングしたのか?メダルをめぐるその後の待遇の差とか、国ぐるみのドーピングに選手がどう巻き込まれたのか解明しなければ改善はしない。
”人”としての、能力を謳いあげ、競うはずの舞台。
なのに、”国”の威信が絡み、
”人種”の優劣を示そうとしたナチス・オリンピック。
そんなオリンピックを巡るあれこれを詰め込んだ映画。
宣伝を観て『42』と同じテーマの映画なのかなとも思った。けれど、もっと多義にわたっている。
予告編の中にある「特別映像」で語られるように、原題は『レース(競争)』と『人種』かけているのだそうな。
ナチスが目指した人種政策。
USAでの状況。「出場してもしなくても何も変わらない」というジェシー氏のお父様の言葉が、全てを見通していて、唸る。
そんなテーマに、”人種を超えた”、師弟愛、夫婦・家族愛、オリンピックでのスポーツマンシップ、友情、メダルをとったか、オリンピックに参加したかでの待遇差、”人種”がらみの逸話等いろいろ詰め込んだ映画。
『42』のようなスカッとしたカタルシスは得られない。
”映画”としては、今一つだが、たくさんの人に見ていただいて、考えて、話し合いたい映画。
オーエンス氏が、満員のオリンピック会場に入場した時は興奮した。
オリンピックに出場する選手はこんな状況で競技するのかと、追体験した気になる。
確かに、”応援”は力になる。反対の場合は…。
そういう印象に残るシーンはあるものの、
実話物の映画化は難しい。クライマックスの後も日常は続くから。
興奮したシーンの後に、後日談がだらだらと続く感じで終盤が惜しい。
否、メダルを取った選手に対するUSAでの対応は、この映画で描きたかったエピソードの一つのはず。だが、カタルシスを得た後の蛇足の後日談にも見えてしまって惜しい。
興奮したシーンの前だって、終盤のエピソードだって、とても感情を揺さぶるシーンになるはず。なのに、惜しい。
選手を送るかどうかのせめぎ合い、ユダヤ人選手の出場を巡る葛藤。
メダルをとった選手に対する対応。ドアマンの苦しそうな表情が嬉しい。
もっとじっくり描いてほしかった。
演出や編集の問題?取捨選択がうまくいっていない?
すべてが表面をさらうだけでスル―。
コーチがユダヤ狩りを目撃してもそのまま。コーチの頭はメダルのことしかない。違和感を感じさせて中途半端。”師弟愛”としては美しいのだが、反面、それでいいのかと思ってしまう。そういう違和感を持たせるための、あえての演出なのか?
オリンピック参加選手からは、ユダヤ狩りは見えない仕組みになっている。
パラリンピックはまだ存在しない。
「ヒトラーを怒らせた」とチラシにあるけど、そういう場面はないし…。総じてナチスの緊迫感がなく、ぬるい。
「競技場で生まれた友情こそが、真の金メダルである。~」と言うオーエンス氏の言葉が、チラシに取り上げられているのだけど、そこを中心に描いているわけでもない。ロング氏の置かれた立場…。えぐい。
過剰に演出すれば事実と離れる。事実を淡々と描くには、中途半端に”物語”にしてしまっている。たくさんのエピソードが散りばめられているけど、全てが中途半端。
映画として観るなら、そこの葛藤もう少し掘り下げて欲しい。監督としての意味づけがほしい。と歯がゆいのだけれど、そうするとオーエンス氏の伝記等とかけ離れてしまうので、踏み込めなかったのだろうか。
ドキュメンタリーも公開されているとチラシで知ったが、それを見た方がいいのじゃないかとも思ってしまう。
でも、オーエンス氏を演じたジェイムス氏の立ち振る舞い・笑顔を観ているだけで、オーエンス氏が愛おしくなり癒される。
ゲッぺルズを演じた方も過度な神経質さが印象に残った。ただ、ナチスの脅威を体現するには線が細すぎる。
ロング氏を演じられた俳優。さわやか青年。この映画鑑賞時には、見たことあるような気がするけれど、誰だっけ?だった。後で調べて『愛を読む人』のあの子と知る。
しかし、映画のできとは別に、
オーエンス氏の業績には、限りなく賛辞を贈りたい。
ただ、アスリートとしての才能があるだけではない。
オリンピック派遣も僅差で決まったくらい、反対も多い。
アメリカ黒人地位向上委員会にも、「黒人のために出ないでほしい」と頼まれる。
そんな中、出場することになれば、「ヒトラーの鼻を明かせ」との期待。
幾重にも背負うことになってしまうプレッシャー。
映画にも出てくる競技場。すべて”敵”。ブーイングの嵐。
家族が、コーチが、ロング氏が応援してくれたって…。
そんな中でのあの結果。
なんという精神力なのだ。
そして、オーエンス氏と並んで、2位につける黒人は『42』のロビンソン氏の兄だとか。
そんな彼らの、その決断が、その力が、未来へと続いている。
オーエンス氏のお父様の「出場してもしなくても何も変わらない」は短期的には的を得ていたが、長期的にみると、少しずつ、少しずつ…。過渡期ではあるが。
なんのための競技なのか、そこに何を求めるのか。
「走っている間は自由だ」というけれど、オーエンス氏の思惑を超え、いろいろなことがくっついてくる。
ただ、走ればいいわけじゃない。難しい。
アスリートの祭典・オリンピック。
ベルリンのこの状況で、私だったら選手派遣と、とりやめ、どちらに一票を投じるのか。
当時、ドイツの同盟国だった日本は、当然参加している。
かの有名な「前畑、頑張れ!」のレースもベルリン・オリンピックでの出来事。参加しなければ、感動も生まれない。
でも、ナチスのこんなひどい政策に賛同したくない。この企画をぶっつぶしたい、無視したい衝動も否定できない。
自分と関係のない遠くにあるような政治も、実はとっても身近なものなのだと思った。
難民として参加した選手の活躍を思い、後に続く子ども達のことを思うと、ブランデージ氏の演説が心に残る。されどオリンピック、やっぱりオリンピック。
オリンピックの持つ力は大きい。
試写会で鑑賞。初めてぴあの試写会に当りました。
たくさん考えてしまう要素満載の映画に出会わせていただいて、感謝致します。