「夫と第三者との間の遊戯」だれかの木琴 ニックルさんの映画レビュー(感想・評価)
夫と第三者との間の遊戯
家にベッドが届く。そこに横になると、幻想として旦那が妻に手を伸ばす。さらに池松壮亮も妻に手を伸ばす。この映画全体が常盤貴子という中年ながらに少女のような心を持った女の遊戯であるということを雄弁に語るのがこのカットだ。
彼女はどこの家かも分からない家に響く子供の木琴を自分の心に重ね合わせ、「私は音楽を探している。音楽になろうとしている」と語る。
夫への気持ちにも池松への気持ちにも言葉や名前を与えられない。だが、夫を愛していないわけでもなく、池松と寝たいとかそんなわけでもないのだろう。きっとすべては子供の遊戯でしかない。
そんな子供のような女の行動にとばっちりを受ける娘と池松の恋人はたまったもんじゃないのだが笑
池松が本当のところ常盤貴子の事をどう思っていたのかはもう少し見たい気がした。それで女と別れて復縁しようともしないという事は彼は常盤貴子に気持ちが移りそうな所があったのではないかとも推察されるが、この辺の葛藤は画面にあってもいい気がした。
それにしても。やれ欲求不満だの、やれ夫とのストレスだのと、画面の一体どこでそんな事が語られているんだよって話。常盤貴子よりもその一面的なものの捉え方がよっぽど怖い。
コメントする