「いまさら自滅型青春ものではあるまい」聖の青春 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
いまさら自滅型青春ものではあるまい
松山ケンイチが20キロも増量役作りで挑んた『聖の青春』。
1990年代、将棋界に現れた怪童・村山聖(松山ケンイチ)。
彼の目標は、天才・羽生善治(東出昌大)を倒して、名人位を得ること。
しかし、幼い頃からネフローゼ症候群を患い、そのうち、膀胱がんも発症し、彼の戦いは盤上だけではなかった・・・
というハナシで、実話を基にしている。
村山聖本人の映像は観たことがあるが、たしかに松山ケンイチが演じる姿は、よく似ている。
輪をかけて、東出昌大演じる羽生善治は、そっくりである。
が映画は、そっくりショーであってはならない。
似ている/似ていない、は映画の一要素。
重要なのは、主人公の行動にどれだけ心を揺り動かされるか。
残念ながら、本作では心が揺り動かされなかった。
どうにも、自滅型のキャラクターに感情移入できない。
当然、自己投影もできず、同情もできなかった。
巻頭から、観ていて腰が引けてしまった。
七段昇給の祝賀(逆に言えば、御礼)パーティに、少女漫画に夢中で遅刻し、世話を焼いてくれる師匠を(冗句といえど)壇上から貶す。
そんな、青年に対して好感が抱けるはずがない。
いくら大病を抱えているといえども、それは免罪符ではない、と思う。
ストイックな羽生に対して、自由奔放・傍若無人・無礼欠礼であっては勝てるはずもなく、羽生との最後の対局でも、外野雀が積み手を読み切っているにもかかわらずの落手(悪い指し手)であった。
あっけない自滅。
閉塞感が充満している現在に、こんな自滅型の青春をみせられても、気が滅入ってしまう。
実際、滅入ってしまった。
それに、名人になろうという動機もほとんど描かれず、ただ闇雲な目標に見えてしまうのもガッカリだ。
ノンフィクションの原作には、映画の不満点はもっときちんと書かれているのだろうとは思うが、まぁ、映画は映画だ。