「2回目の観賞時は序盤から泣きました。」ぼくは明日、昨日のきみとデートする いのしろさんの映画レビュー(感想・評価)
2回目の観賞時は序盤から泣きました。
周りの初見の人達から、何でこのおっさんもう泣いているんだろうと変に思われていましたが、無理です。涙腺崩壊。
私は先ず映画を観て号泣、帰宅して主題歌のハッピーエンドを聞きながら原作を読んで号泣、そして翌日、全てを理解したうえで、2回目の映画館で序盤から号泣。
一つだけ、原作通りにやって欲しかったなと思う場面がありました。それは、高寿の初日の別れ際、愛美にとってもうこれでお別れの場面で、映画では泣くだけなんだけど、原作では高寿に泣きながら抱きついてしまう。出会いの初日にいきなり抱きつかれて高寿は驚くが
「・・・・大丈夫だよね これは」と独り言をつぶやく。
高寿との未来、過去に変化生じないか少し心配しての愛美の独り言。
このシーンが映画にあったら、更にグッときたと思います。
まぁ、とにかく素晴らしい映画です。
そして私は3回目も観に行きます。
私も貴方と同じような体験をしました(12月23日付でコメントを書いた SF 好きおじさんです)。本当に素晴らしい作品ですね。
私は原作の愛美よりも映画の愛美が好きです(もちろん、原作も素晴らしいですが)。三木監督は相当こだわりを持ってこの作品を作っておられると思います。
原作にあって映画にないものが「女優」「できる子」「大丈夫」です。監督は愛美から「演技」というイメージを排除したかったのではないでしょうか。純真な乙女が一途に高寿を想い、一瞬一瞬を大切にかみしめるように「生きている」。それは完璧な「できる子の演技」ではなく、もっと貴い「純粋な愛情」です。そちらを強調したかったのではと想われます。
そのために彼女を普通の乙女に近く描きたかった→スタイル抜群の小松さんですから、原作通りに描くならば「誰もが振り返る女性」に出来たはずなのに、敢えて季節を原作よりも冬に近くしてコートを着せています。ヘアースタイルも乙女っぽいですし、また、原作と違って愛美は途中で自分の髪を切っていません。このあたりに監督のこだわりが見えます。愛美の最終日に抱きつかなかったのも、やはりそのこだわりのひとつではないでしょうか。映画の愛美は原作ほど勝ち気ではなく、表だって分かるような行動をあまりしないと感じました。そして完璧主義者でもない、だから「大丈夫」とは言いません。あの場面で涙を一粒流して立ち去り、そして、(最後近くのシーンで)電車の中で泣き崩れる、それが映画の愛美の愛情表現です。原作より難しい監督の要求に小松菜奈さんだからこそ応えられた、と思います。
ちなみに、愛美のコートは彼女の中にある「秘密」を暗示しているとも見えます。映画のポスターもそんな感じです。そして終盤、愛美の1日目、初めての高寿との対面で、コートを脱いだ(持った)姿で教室の扉から登場します。秘密を持ってはいるがまだ着ていないのですね。その白いセーター姿は初々しく、そこで初めてまばゆいばかりの美しさが強調されます。コートひとつにもすごいこだわりを持って作っておられるようです。
以上。長々と済みません、でした。