「「サブカル潮干狩り」を見せながら「この世に生きない」という選択をした主人公を提示する物語」レディ・プレイヤー1 ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
「サブカル潮干狩り」を見せながら「この世に生きない」という選択をした主人公を提示する物語
見終わったあと、不思議な気持ちになった。
この物語は何を伝えたいのか全く分からなくなってしまったから。一緒に視聴した人間にそのことを伝えると、「恐らくこれはそういう映画ではない、俺は『あ!知ってる奴が出てきた!』を見つけて楽しんでた、潮干狩りみたいに」と言われ、ああなるほどと思った。
この映画はイースターエッグ(アメリカで家の庭とかに埋めて宝探しをする時のお宝)を探す物語。作中のイースターエッグは巨大電脳空間オアシスの権利である。それを得るために主人公達はオアシス創始者ジェームズ・ハリデーが仕掛けた謎を解くためオアシス内で大冒険を繰り広げるというのが物語の大筋である。なのだが私は、スピルバーグは「観客自身が今までの人生で見てきたものを見つけてごらん」という遊びの場としてこの映画を作っていると感じた。
映画の楽しみ方の新しいスタイルを模索し見せようとする姿勢はさすが巨匠だなと思う。
例えばマーベル映画はマーベル作品を網羅しているとより楽しめる伏線が散りばめられている。
本作はそのような伏線要素がサブカルチャー全般に渡っている印象である。
好みは分かれるが私はそういう楽しみ方に否定的である。私は主人公が生きていく中で出会った問いにどうやって挑んで回答を出すか、そういう所が素晴らしい映画に惹かれるので本作を鑑賞していると『まずVRゴーグル取れ!実人生を生きろ!』と思ってしまった。そもそも本作の観客に向いていなかったのかもしれない。
サブカル潮干狩り映画として2時間半今まで見てきたキャラクター探して見るのが良い楽しみ方なのかと思う。
ここからは本作そのものの感想述べる。本作は流れがグーニーズに似ているなと感じた。お宝を見つけるのが海賊船からバーチャル世界になっている。
また、映画の中で映画を見るという体験が出来る。中々不思議な感覚だった。(木曜洋画劇場見といてよかったなー(笑))
あと1番の良点、デロリアンが元気!バックトゥ・ザ・フューチャーでは燃料が無くなって動かなかったり、蒸気機関車に押されたり、バラバラに破壊されたり、と散々な目にあってきたデロリアン…。物語を盛り上げる為に大長編でポケットを無くすドラえもんよろしくまともに走ったことが無かった。(そもそも加速するとタイムスリップしてしまう…)
そんなデロリアンが時空の壁に囚われず、5速まで入れて元気に走っている姿が見れて嬉しかった。
また、ハリウッドのトップ監督のもとガンダムを動かすとこんなバトルになるのか!と感動した。ロボットアニメの現在最上級バトルが見れ、これからどういった方向に進化していくのか垣間見えた気がする。
と、こういう楽しみ方を全体的にするのが本作の楽しみ方なのかと思う。
追記・【「この世に生きない」という事を選択した主人公】
この物語について日が経ってから考え直した事を追記する。
この物語は「現実を生きない」ということを選択した主人公の物語であることに気づいた。
映画の冒頭で主人公とその世界を取り巻く問題が提示される。叔母とその恋人との実生活、貧しさ、そして人類の問題である資源枯渇、環境悪化…etc。
普通の映画ならば冒頭20分の間に主人公とその世界が持つ問題が提示され、この問題を乗り越えることが物語のゴールとなり、その過程で主人公が変化(成長)する。
だが、レディプレイヤー1では冒頭で提示された問題が全く、何一つ解決されない。この映画の中でこれらの問題に対する対処法はただ一つ、「見ない」ということである。
代わりに主人公は仮想世界の中で自分の居場所を作る為、全身全霊で努力する。
なぜその熱意や努力を現実世界に向けられないのか?それは自分の熱意で変えられる世界が現実にはもうない、仮想世界でしか努力して居場所を作れる場所がないという気持ちからではないか。
この「自分の熱意で変えられる世界が現実にはもうない」という虚無感は今の日本の異世界転生モノブームの根底にあるものと共通していると思う。
この人類総彼岸社会に向けて作られた映画がレディプレイヤー1だと思った。やはりスピルバーグ流石だなと思う。
又、この映画は見た人で感想が割れる。自分の居場所が仮想空間にあっても全然抵抗のない人は「面白かったー」と思えるかもしれない。私のように仮想世界に自分の居場所があることに抵抗のある人間、物理的なモノに囲まれていないと居心地の悪い人間には正直、薄気味悪く感じてしまうかも。
しかし、これからの人間は確実に仮想空間で生きる時間が増えていく。そうなった時にこの映画をすんなり受け入れらるか、抵抗を感じるか次の時代を生きる踏み絵になっているのかもしれない。
後者の人間としては次の時代を生きていけるか寂しい限りである。