「脱出という勝利」ダンケルク sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
脱出という勝利
まずは兵士たちの行動を追体験しているかのような臨場感のある映像に驚かされる。
兵士めがけて発射された銃弾や爆撃のリアルさ。
もちろん銃弾は目には見えないが、金属などにぶつかる破裂音や船倉に空いた穴の描写がとても生々しい。
またこの映画では何度も登場人物が海水に飲み込まれそうになる。その恐怖もとてもリアルに感じられる。
ただこの映画は戦争のリアルをそのまま描いた作品ではない。
もちろん戦争の悲惨さを伝えてはいるが、ノーラン監督らしい時間と空間の使い方に工夫が施されており、編集の巧みさが観る者にある錯覚を感じさせる。
物語は三つの視点から展開する。
まずはダンケルク海岸に取り残されたイギリス兵とフランス兵の視点。
兵士を救うためにダンケルクを目指す小舟の船長たちの視点。
支援のために飛び立った三機のスピットファイアのパイロットたちの視点。
そして時間の流れも、それぞれに陸では一週間、海では一日、空では一時間と異なっているのに、あたかも同じ時間軸で展開されているように描かれている。
これがこの映画のトリックであり、観る者に差し迫る緊迫感を与える。
この映画はそれぞれのパートのある時間を凝縮して描いているのだ。
だから実際には陸の兵士たちは、救助を待つために一週間という長い時間を強いられているにも関わらず、映画の中ではまるで怒涛のごとく追い立てられているように感じる。
加えて陸と海と空のそれぞれのシーンがまるでリンクしているかのような描写が、映像にさらなる緊迫感を与える。
沈没する船から脱出する兵士の恐怖心と、海上に不時着したスピットファイアのパイロットが海水から逃れようと焦る姿が重なる。
さらに最後の一機のスピットファイアのパイロットも燃料切れとの戦いに焦らされる。
実際はドイツ軍側もダンケルク海岸に残された兵士たちに対し、全面攻撃を仕掛けられずにいたらしい。
そして民間の小舟が一斉に兵士の救助に向かったという史実もないらしい。
しかしこの映画は、ドイツ側の爆撃は差し迫ったものであり、兵士たちを救出しようと小舟が一斉にダンケルク海岸を目指したように見せている。
これを嘘と捉えるべきか、映画の見せ方の上手さと捉えるべきか。
同じシーンを別の角度から何度も描くのもかなり効果的であると感じた。
視点が変われば見え方はまったく異なる。
突き詰めればドイツ側にも正義があり、また違ったドラマが見えてくるのだろう。
だから戦争には真の正義などないのだと思う。
そして戦争で戦うことは決して名誉なことではない。
沈没する戦艦から危険を顧みずに兵士たちを助け出そうとしたギブソンという新兵。
後に彼は戦死したイギリス兵に扮したフランス兵だったことが分かるが、英雄的行為はまったく報われず、イギリス兵に罵られ、最後は沈没する小舟の中から逃れられずに命を落とす。
ダンケルクに向かう小舟に同乗したジョージという青年。
彼も戦争で何かの役に立ちたいと願ったが、ダンケルクに行き着く前に戦場には戻りたくないと暴れた兵士の巻き添えで命を落としてしまう。
彼らの死はとても虚しい。
最後にこの映画を観て第二次世界大戦中の日本とはまったく価値観が違ったのだと思わされたのが、ダンケルクの脱出に関する記事の内容だ。
記事はイギリス兵の脱出を勝利と報道していた。
どんな状況でも生き残ることが尊いのだ。
燃料切れで不時着したパイロットのファリアが、ドイツ兵に囲まれ捕虜にされようとも、前をしっかりと向いて生きている姿に心を打たれた。