「お粗末な空戦の展開するパニック映画」ダンケルク 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
お粗末な空戦の展開するパニック映画
筆者はクリストファー・ノーラン監督作品を『バットマン ビギンズ』以降全て映画館で鑑賞しているが本作はその中では一番凡作に思えた。
ノーランの最大の特徴は彼の紡ぎ出す世界観にあると思う。
『インセプション』しかり『インターステラー』しかり、細部を見ると実は強引な展開や論理的にあやしい部分もあるのだが、提示する世界観が魅力的なために観客を納得させる、そういう種類の監督に思える。
新バットマン3部作もバットマンの新しい世界観を提示し、それが熱狂的に受け入れられたのではないだろうか。
裏を返すと、彼の提示する世界観に入り込めない人は彼への評価は低いだろう。
さて本作だが、監督のノーランが「戦争映画」ではなく「人々が生き残ろうとする姿を描くスリラー」にしたかったと話している通り、敵兵(ドイツ兵)の姿は一切出て来ず、沈没や爆発など危機的状況から人々がただひたすら逃れようともがく。
魚雷攻撃で船が沈没する際もUボートは言葉として登場人物たちの口から発せられるだけで実物は登場しない。
さすがにドッグファイトや空爆のシーンではメッサーシュミットやハインケルのドイツ軍機を登場させないわけにはいかないが、スピットファイア側とは違って搭乗員などの細かい描写も一切されない。
物語は、砂浜からの帰還兵、、救助に出る民間船、イギリス軍戦闘機スーパーマリンスピットファイアの3つの視点で進められ、最後に民間船に収束する。
本編の始めに「防波堤:1週間」「海:1日」「空:1時間」と、それぞれの視点の始まりで字幕の説明が入るが初見では何を指しているのかわかりづらい。
また海上に不時着したスピットファイア搭乗員が民間船に救助される下りがあるが、以前にも不時着したシーンがあるにも関わらず、別視点でもう一度不時着シーンを繰り返してから救助シーンへと移行する。
本作は全般的に会話も少なくあえて説明的な場面や台詞も省いているが、別視点であれ同じシーンを繰り返したことで、観客に頭の中でシーンを整理する時間が必要になるので物語全体の緊迫感は薄れるのではないか。
他にも繰り返しのシーンがあったと思うが、筆者にはどこを繰り返しているのか頭の中で整理がついていない。
スピットファイアの残燃料を計器類の隙間に書くシーンも緊迫感を出す仕掛けの1つだとは思うが、正直わかりづらい。
またノーランは「時間との戦いを描くサスペンス」にしたいとも話しているが、こちらは逆に敵兵の姿を描かなかったことで刻一刻と追いつめられていく印象は持てなかった。
攻撃する側の顔が見えず、逃げ惑う人々に焦点が当てて描かれるという意味では、たしかに戦争映画というよりもむしろ天災や事故によるパニック映画を観るようであった。
海上脱出の物語であり水のシーンが多いせいか、筆者は『ポセイドン・アドベンチャー』を懐かしく想った。
第二次大戦を舞台にしたパニック映画といったところだろうか。
また救助船として民間船が数多く浜辺に到着するシーンやイギリス国民が敗残兵を暖かく迎えるシーンは、まさにパニック映画の大団円である。
CGの使用を避け実物にこだわったことは素晴らしいが、スピットファイアが画面上に3機同時に飛ぶのに対してメッサーシュミットが1機しか登場しない。
ダンケルクの戦いは1940年5月24日から6月4日までであるが、この当時ドイツではメッサーシュミットが量産されているのに対してスピットファイアはわずかしか生産されていない。
実際に本土防衛に使用を限っていたスピットファイアがこの戦いに投入されて初めてメッサーシュミットと互角の戦いのできる性能を証明することになる。
スピットファイアに比べてメッサーシュミットの方が数が少ないことはないだろうし、そもそも両軍ともに戦闘機の参加総数が少な過ぎる。本作の空戦はまるでちゃっちい。
また、この時期の両機を比較すると、上昇や降下などの縦方向の動きではメッサーシュミットが、旋回能力など運動性能に関してはスピットファイアが優れている。
本作では、メッサーシュミットの後ろに付いたスピットファイアがメッサーシュミットの上昇時に距離をつめる場面があった。これは可能なのだろうか?と考えてしまった。
余談だが、ゼロ戦もスピットファイアと戦っているが、格闘戦においてスピットファイアはゼロ戦に全く敵わなかった。
カラーリングと形状、エンジン音の問題もある。
例えば日本の零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦に関してだが、最初期の真珠湾攻撃をした無敵の時代は二一型だが、アメリカで高性能機が多数を占め劣勢となった後期は五二型というものになり、同一機種とは思えないくらい形状が全く異なる。
エンジンも「栄一二型」から「栄二一型」に変更されている。
またカラーリングも当初は灰色だったものが濃緑黒色へと変化していく。
ゼロ戦に限らず、メッサーシュミットもスピットファイアも、中身も形状もマイナーチェンジも含めて大戦中にどんどん変化する。
外色に関しては時代だけではなく運用地域や部隊で違う場合もある。
実物を使用する場合、現存している機体が厳密には当時にそぐわない可能性がある。
筆者はそこまで詳しくないので自信はないが、もしかすると見る人が見たら本作の戦闘機のカラーリングや形状がこの時代とは違うのを見破ってしまうのではないか?
またエンジン音も聞く人が聞いたら微妙に違うのかもしれない。
特にドイツは敗戦国であるため、保存状態の良いメッサーシュミットがどのくらい残っているか疑問である。本作に登場する同機の機首部分がオレンジ色だったのが気にかかる。
形状もあんなだったろうか?
本作冒頭の浜辺のシーンで遠くに近代的な建物が見えたことなども細かいところだが指摘しておきたい。
神は細部に宿る!
主役を演じた俳優も含めて当時の兵隊と同年齢の18、19、20歳をオーディションで選んだようだ。ワンダイレクションのメンバー1人を抜擢しているとはいえいやらしい役であり、いきなり主演俳優というわけではない。
事務所の後押しなのか全く見当違いな配役、俳優ありきの年齢などの設定変更が横行する日本の映画業界にも学んでほしい姿勢である。
黒澤明や宮崎駿にも駄作はある。
これだけの大エキストラを使用してパニック映画を制作できるところはさすがはクリストファー・ノーランだが、この監督は良くも悪しくも大上段に構えて世界観を創造することで本領を発揮するのではないだろうか?