「主演女優のスペシャルな笑顔がメロドラマに蹴りを入れる。」世界一キライなあなたに 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
主演女優のスペシャルな笑顔がメロドラマに蹴りを入れる。
ニコラス・スパークス映画かと誤解しそうなほど、感傷的でメロドラマ的なラブストーリーだ。作り手も、この映画を感傷的なメロドラマとして作り、観客に大いに泣いてもらおうという意図で作られたであろうことが想像できる。しかし、そんな感傷に蹴りを入れる人物が現れる。主演女優エミリア・クラークがそうだ。
顔全体で笑い、怒り、泣き、悩み、体全体で喜び、楽しみ、燥ぎ、生きるその姿は、メロドラマの枠からはみ出すエネルギーに満ち溢れていた。とてもキュートで可愛らしい女優だが、本来ならばラブストーリー向きの女優とは違うかもしれない。あまりにも小柄だし、すこしぽっちゃりした体型も、所謂メロドラマのヒロインのイメージとは少し違う。けれども、ミツバチのタイツを履きこなせるのはクラークしかいないし、柄に柄にさらに柄、というようなあまりにも奇抜なファッションを「個性」として魅力に繋げられるのもクラークしかいなかったはず。心を閉ざした青年が、彼女と出会って思わず笑顔になってしまう気持ちが本当によく分かる。それくらいに、溌剌として屈託がなく実にチャーミングなヒロイン像をメロドラマの中に築き上げた。
クラークの起用はメロドラマにとっては前向きな誤算だ。もし美しいだけで魅力の薄い女優がヒロインだったりしたら、感傷に錘をつけて涙の海に強引に沈め込むような映画になっていたはずだ。メロドラマの行きすぎた感傷に溺れる前に、クラークの明るさが作品に爽やかな風を吹き込んで余分な湿り気を拭い去ってくれる。
しかし・・・それに負けじと作品はメロドラマを押し通す。全編に亘りセンチメンタルな音楽が無粋に垂れ流され、展開はより悲劇的で悲観的な方向へと脚を引っ張り続ける。そもそも、メロドラマに従事するあまり、身障者のケアをする過酷さや苦悩と言ったものの描写は完全に排除されているのは大いに不満だ。ヒロインはただ身障者の「友達」にさえなればいいのであり、労働も介助もしなくていい、という特別免除のような立場に置かれる。そして描かれるのは徹底的なまでにご都合的なメロドラマ。まったく現実が見えていない設定だ。
一番の議論は結末だろう。個人的にはナシだ。彼が下した結論に辿り着くまでの説得力がまったく伝わらないのだ。同じ結末でも、観客に納得させてくれればいい。観客に問題提起を投げかけるのであればそれもいい。しかしこの映画の場合は、ほとんど反則技のように強引に力でねじ伏せて悲劇を作り上げたかのようだ。この映画の結末は、社会問題や命の尊厳にも通じるもので、実にデリケートな題材である。それを安易にメロドラマに利用されるのは快く思えない。ここでも作り手はまったく現実が見えてない。
欠点は多いのだけれど、エミリア・クラークのビッグ・スマイルを見ると、すべて許したくなってしまうんだよなぁ。本当に一挙手一投足が可愛い。唯一無二の愛嬌。彼女には今後、コメディあるいはロマンティック・コメディの世界で大いに活躍してもらいたいし、ハリウッドはすぐさま彼女をヒロインに据えたロマコメを撮るべきだ。絶対に。