雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのレビュー・感想・評価
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妻の死に泣けない男
妻の死に泣けない男。昨年の邦画「永い言い訳」もそうだったが、私はこの手の近親者の死に対して、人が壊れかけながらも気付き、そして受け入れていく物語が好きなのかもしれない。(一昨年の「君が生きた証」も良かったな。)
故人に対しどれだけ関心があったか、どれだけ故人のことを知っているのか。このことは近親者だからこそ、誰に責められるわけでもなく、むしろ深く悲しんでるだろうと一方的に同情され、そのことにまた苛まれる。
狂気じみてて、でも本質として優しい演義はジェイク・ギレンホールの真骨頂だと思う。素敵。それとこの監督(ジャン=マルク・バレ)は、私好きかも。
デモリッションのオープニング
ウォゥウォゥ....!!クラッシュしてから出るタイトルの流れが好き。
J・M・ヴァレは「ダラス・バイヤーズクラブ」に"お遍路の女"と実話を描いていて撮り方は「わたしに会うまでの1600キロ」"お遍路の女"に近い印象の本作。
セリフでの説明は極力せずにイメージ映像的に過去を断片的に入れてくる演出。
N・ワッツの変態的な行動が気味悪く。
苦情の手紙からJ・ギレンホールに興味を持って相手して尾行までする根拠が解らない。
子役が全然、魅力が無くて存在感も薄いってか意外に話の中心にはならない感じ。
成り行きで交際して流れで結婚してしまう感じは理解出来るけれど奥さんが死ぬ前から?死んだ後から?J・ギレンホールの精神的に崩壊する変化の理由がイマイチ納得出来ず話の展開も何処に進んでいるのか中途半端な、オチも含めて。
自己
喪失感の先にあるもの
「ナイトクローラー」での凄みのある演技で観客を魅了したジェイク・ギレンホールの主演最新作は、昨年公開された西川美和監督の「永い言い訳」を彷彿させる。
まず主人公の設定が、妻を交通事故で突然亡くしたにも拘らず、悲しみが無くて涙も一滴も出ないこと。
そして、ある事で知り合った親子との交流を通して主人公に変化が訪れること。
更に、妻が残していたもので心の硬い殻が割れて、埋もれていた感情や気持ちが表に出ていくところ。
ただ、衣笠幸夫と本作の主人公デイヴィス・ミッチェルは、本当の気持ちに辿り着くまでのアプローチが違う。
会社の上司で義父でもあるフィル・イーストマンの「心の修理も車の修理も同じことだ。隅々まで点検して、組み立て直すんだ」という言葉を契機に、恰も“答え”を見付けようとしているみたいに、自分の身の回りにあるものを次々と分解、または破壊していく。
本作の原題“Demolition”は主人公のこの行為からきている。
それでは邦題の「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」は何を意味するのか?
本作は、デイヴィスがこの少し抽象的な言葉に辿り着くまでの心の旅を描いている。
ジェイク・ギレンホールは複雑な人物を演じることが多いように思うが、それは、どのような役柄でも現実離れさせず、我々に共感を呼び起こさせる確かな演技力があるからなのだと思う。
そして、この男の心の旅を見守り、手を差し伸べるシングルマザーのカレン・モレノをナオミ・ワッツが、同様に喪失感から再起しようとする義父のフィルをクリス・クーパーが演じていて、作品に彩りやアクセントを付けている。
主人公が破壊の果てに見出したものは何だったのか?
冬の長いトンネルを抜けて、春の光に包まれたようなラストが心に残ります。
タイトルについての解釈
破壊を経てたどり着いた、確かな希望
原題のDemoliton=破壊とは、
趣が異なる邦題『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』だが、
本編のとあるシーンで象徴的に登場するあるメモから
引用されているものだった。
劇中に登場する、奥さんが遺したいくつもの”メモ”。
不在であるはずの奥さんという存在が、
主人公のデイヴィスの心情を揺るがしながらも
物語を紡いでいき、観客を物語に引き込んでいく手法は、
ジャン=マルク・ヴァレ監督の才能の賜物のように感じる。
彼女が死んでも涙が出ないなんて、
僕の心は何処に行ってしまったんだ・・・?
”無感覚”という感情、喪失感に悩まされ、
身の回りのあらゆるものを
破壊し、すべてをゼロにしたことで、
自らの感情と、そして本当の意味で、
奥さんと向き合うことができたんだろう。
他者という存在によって、
哀しみは少しずつでも乗り越えられていけるという希望を
ビターに描いた、傑作!!!!
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