「待っている人がいるところが家」ブランカとギター弾き 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
待っている人がいるところが家
子供が主人公の映画はそれだけで共感を得やすい。しかしスラム街の子供は、観光客からお金を奪ったり、麻薬を売ったり買ったりと、負のイメージがあって、必ずしも共感を得られるとは限らない。
本作はそんなことは百も承知で、所謂ストリートチルドレンの居場所について問題を提起した。何故彼らは生まれてきたのか、生まれてこなければならなかったのか。
避妊技術の発達で、先進国では子供を生むか生まないかの選択が生まれた。いまは死語かもしれないが、以前はコンドームやピルなどはバスコン(Birth control)と呼ばれていた。略語が生まれるのはその言葉が人口に膾炙している証拠だ。
日本ではバスコンが一般化しすぎたのか、少子高齢化に向かって驀進中だ。子供が生まれないから不幸が増えないとも言えるし、逆に幸福も生まれないとも言える。子供がいる将来に安心感がない社会だから、必然的に少子化になる。どれほど子供手当を増やそうが、社会に希望が生まれない限り、少子化対策にはならない。
先進国以外では子供は植物のように繁殖する。避妊することや子供を産まない選択があることが周知されていないからだ。無秩序に生み出された子供たちは、生き延びるために共同体の秩序に反する行動を取る。その場合、子供たちは社会の財産ではなく、小さな破壊者である。
しかしやがて共同体の生産が向上するにつれ、子供たちは生産システムの中に飲み込まれて社会の歯車と化していく。個性よりも能力が求められる。そして生産社会への貢献度によって格差が生まれる。そんな格差を諦めて受け入れ、社会の傘の下でパンのために自由を投げ出すことで生活の安定が生まれる。もはやストリートチルドレンではない。
本作は過渡期にある共同体(国家)に放置された孤児のアイデンティティについて、どこにも拠りどころのない彼らの刹那的で不安に満ちた心情をよく表現している。主演の少女は演技も歌も実にうまい。彼女の台詞は真実を衝いていて、観客の心をえぐる。
大人は子供を買えるのに、どうして子供は大人を買えないの?という質問に、誰がきちんと答えられるだろうか。
決してハッピーエンドとは言えないラストだが、それでも人との繋がりに喜びを見出すことができるようになったのは、彼女のひとつの成長である。待っている人がいるところが家なのだ。経済的な見通しは真っ暗だが、心には自由がある。