ブランカとギター弾きのレビュー・感想・評価
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少しずつ、少しずつ幸せになっていく
最初、チープな仕上がりに見えた映像の中から、次第に美しさが滲み出てくるかのような、そんな映画でした。しかめ面で小銭をくすねていたブランカが、徐々に愛らしく、美しい笑顔をみせるようになる様を、じんわりと味わう、そんな心地の良い映画だったと思います。
スラムを舞台にやさしさ描く、瑞々しい作品
フィリピンのスラムを舞台にした作品だが、悲惨さを感じさせない。前向きでやさしいエネルギーに満ち溢れた作品。同日公開の「ローサは密告された」もフィリピンのスラムを描いているが、麻薬に汚染されるシビアな視点を持ったあちらとは対称的だ。
孤児のブランカはお母さんを金で買うことを思いつき、盲目のギター弾きのピーターとともに路上で歌って金を稼ぐ。本当に欲しいのは愛や信頼。それをお金で買えるかどうか。お金はなくてもピーターと親子のような絆を結べていること自体が、ひとつの答えになっている。
ブランカ役のサイデル他、出演者がどれもリアルで素晴らしい。ストリートで暮らす男の子2人も実際にスラムで暮らす少年だそうだ。
瑞々しさとストリートの雑多なパワーに溢れた美しい作品だった。さすがカメラマン出身の監督だけあって絵心もある。
透明感あふれる映像に浮かび上がる信頼と絆
ファーストカットから路上の臨場感が伝わってくる。その雑踏に小さく少女を見つけた瞬間、ああ彼女が主人公なのだなと確信した。可愛らしさとともに何か別の言いようのない切実な感情を胸に抱いている彼女。それが何なのかは自分自身、わかっていない。おそらくこれはその想いや欠けたものを探す旅なのだろう。
一方の盲目のギター弾きは、彼が現れた瞬間、その正体は神様なのではないか、と感じてしまうほど不思議な存在に思える。彼はそのやわらかな存在で少女ブランカを常に肯定してくれる存在。二人が公園のベンチで、ギターの音色と歌声を調和させる時、夕暮れ時の路上に穏やかな風が吹いたように思えた。
どこにでも罠がいっぱいで、悪い奴らもいっぱいいる。それもまた路上の日常。だが、そんな過酷な環境にあったとしても、本作は自ずと信頼や絆といったものを丁寧に、優しく浮かび上がらせていく。その描き方にとても好感が持てる作品であった。
この映画の「カリノサ」を世界中に広めたいな。
とっても切なくなる、それでいて心に灯がともるような、温かくなる歌です。
夜空に耳を澄ませながら聞いていたいです。
子どもにも聴かせたいです。NHKのみんなの歌でも取り上げてほしいけれど、タガログ語だと子どもに歌詞が伝わらないですね。
ブランカ(演じているのはYoutubeの歌姫)の声がいい。ピーターが奏でるギターがいい。
そして、監督が作詞したという詩がいい(日本語字幕にも流れるし、この映画の公式サイトにもアップされている)。
この映画に貫かれているテーマ?がつまっているように思います。
「なんで大人は子どもを買えて、子どもは大人を買えないの?」
さまざまな社会問題の核心をついた一言。
親ガチャ。子どもは親を選べない。親・大人によって、子どもの生きざままで決まってしまうやるせない世の中。
そんな中で、少しでも幸せになろうとするブランカ。
紆余曲折あり、ブランカが他人に対してやったことが自分に跳ね返ってくるようなこともあり、”危険”の中に身をゆだねそうにもなり…。
その途中で知り合うピーター、セバスチャン、ラウル、他の人々。
ピーターの生き方、ラウルの生き方。
ブランカの、セバスチャンの望み、決断。
過酷な環境を嘆き流されるだけなのか、それとも…。
柔らかいベッド、お腹を空かせる心配をしないでよい環境、清潔な衣服。
自分にそっと寄り添ってくれる人。”仕事”としてではなく、”ペット”や”アクセサリーやトロフィー”のようにではなく、”私”を”私”として、他に取り換えられない存在としてみてくれる人。
「お金で買えないものもあるんだよ」
本当に…。
そして、その人と一緒に自分を信じて夢をみれば、そこはオアシスになる。
フィリピンをはじめとして世界各国には、ブランカやセバスチャン、ラウルのようなストリート・チルドレンはたくさんあふれています。
けれど、これは別の国の話? 日本にも、ブランカたちとは状況は違いますが路上にたむろする子どもはたくさんいて、「子ども食堂」を必要とするほど、ピーターのような存在が欠けている。
Unicefでの試写会で鑑賞。
上映後の、監督と難民の方々への取材を続けていらっしゃる方とのティーチインでは、映画の話や、監督やもう一方の方が訪れた国やら様々なお話がきけました。
仕事や生き方への感覚の違いなんかも語られていました。日本人が失ってしまったものと、失うくらい働いたから今の繁栄・(安心ではなく)安全があるのだろうなと、よく言われることですが、改めて思いました。
欲張りだから本当は全部欲しいけれど、ブランカのように、本当に自分にとって大切なものを得るために捨てなきゃいけないものがあるのだと思います。
監督がどうしてもピーターに言わせたかったという「盲人ばかりだったら戦争なんて起こらない(思い出し引用)」とともに、心に刻まれました。
そんな風に、細部や、この映画の背景・向こう側にまで目を凝らすと、いろいろと詰まった映画。
けれども、予告に使われている評のように”おとぎ話”のような、あったかくなる映画。
監督の、バックパッカーとして旅した国々や、長年フィリピンのスラムでスラムの人々と暮らした思いが詰まった映画。ピーター氏はあてがき。この人がいなければ映画にならないと、1か月以上探し回って出演してもらったとか。だからリアル。安易でドラマチックな解決策を描きません。それでもの、彼らにとっての”灯り”が描かれます。ラウルに対しても、愛おしむ視線にあふれています。その目線が温かい。
ブランカを演じたサイデルちゃんが魅力的。
最初、世をひがんでいる表情から徐々に変わっていく姿がまぶしい。大変失礼なことに最初は、彼女も、ジョマル君(セバスチャン役)やレイモンド君(ラウル役)のように路上でスカウトされたのかと思ってしまったくらい迫力がありました。
さらに、ピーター氏の存在感がすごい。公式サイトによるとピーター氏はモテたとありますが、この映画を見るとわかる気がします。
いつまでも彼のギターが聴きたかったです。ピーター氏に合掌。安らかに。
加えて、映像がきれいです。さすがは写真家。
オレンジ色を身にまとってください。
きっと、心に、ほどよい太陽が灯ります。
お金に呪われた家族映画。そしてニューハーフは優しい。
内容は、時は21世紀の現代のフィリピン🇵🇭スラム街に産み落とされた手癖の悪い10才程の少女ブランカと町の公園で物乞いギター弾きピーターを取り巻く家族と愛情をテーマとした作品。どこかで見たぞこんな映画。そう!『万引き家族のフィリピンバージョン🇵🇭下位互換』そんな感じの映画でした。好きな言葉は『鶏🐓昔は飛べた。人間に甘やかされて飛べなくなった。私飛べるよ!』2人の新たな新天地に移動中にバス🚌の中での1場面。自由に憧れ得られない自由に希望を募らせる言葉。『皆んな目に見えるモノにこだわり過ぎる』ピーターの言葉。戦争🪖批判とも取れるTV📺番組やお金💰💴しか映さないTV📺番組にも伝えたい事が分かりやすく映像として伝わった。好きな場面は、やはり孤児院に連れて行かれて別れ間際のピーターの手を映すシーン🫱🫲握り返したい気持ちが痛いほど伝わりお互いの気持ちが苦しいほど伝わりました。印象深い場面は、ブランカが鶏小屋に監禁され助けにきたピーターに対して子供のギャングがピーターに言う言葉『この子が欲しいなら俺から買え!』この発言は自分を一番に家族として迎えて欲しいと勘違いしてしまいました。台詞の使い方難しいですね。赤の他人同士のが普通の家族よりも強い絆に結ばれると言う脚本は荒削りで場当たり的でもありましたが監督が写真家という肩書きもあり構図が決まって普通に見れました。手ぶれのカメラワークの緊張感や夕日の美しさスラム街のゴミ浮かぶ川や湿気の多い焼け付く日差しと立ち上る臭いがその場にいるかの様に感じられ心地悪かった感じがしました。最後に流れるメッセージ『家それは誰かが貴方を待ってくれる場所 バウミ』これが伝えたかったな?!走り走りの伏線が単発で回収されず脚本に不備がある。上手く伝わらないもどかしさを映像が美しすぎるのて受け入れられてしまう非常に不思議な作品でした。
主演女優のアナク良かった SNSで聞いた
2022年8月19日に配信が終わるので、もう一度見た。感想は同じ。彼女は歌がうまいので、もう少し活躍してもらいたいと感じた。日本の就業人口が減るのだから、難民や貧困層を受け入れると言う方法もありだと思う。少なくとも『plan75』よりはマシだと思う。但し、フィリピンは日本に対してあまり良い感情は持っていないが。
日本人目線でフィリピンを描いているのかなぁ?
僕は養子縁組には反対ではないなぁ。
もう少し、歌が聞きたかったなあ。
You Tubeで主演の女の子の歌聞いた。声量はあるし、低い声なので、ミュージカルとかもできると思った。アナク(息子)暫くぶりに聞きました。良かった。
ミュージカルで神田沙也加と共演させたかったかなぁ。大変に残念です。ご冥福を祈ります。
この映画だ。
僕にとっての使ってはいけない技法
映画で所謂禁じ手で言うと夕陽を背景にメローな曲を流して主人公を走らせる・・「流し撮り」は安易の極みとして力量のある監督なら使わない・・それと同じくらい子供を使って厳しい環境からさらに一回落して救うようなシナリオも事実の映像化だとしても安易に提供してはいけないシナリオ構成だと考える。その意味でこの作品はブランカの美しい声に救いを見出そうとする観客を安易に裏切った点で罪は深い・・たとえ最後に希望に向けた救いのシーンが用意されていたとしてもだ・・・
心温まる物語でした
貧困が溢れる街で出会った、盲目の流しと少女の物語。
歌が全てを救うと教わる少女ブランカ。
そして、その歌が二人を段々と幸せに導きます。
何気にカット一つ一つが美しいんですね。
しかし貧困から来る騙し騙されての負の連鎖からどうしても抜け出せず、見ていて心苦しい部分もありました。
「なぜ子供はママを買えないの?」「どうして金持ちと貧乏がいるの?」この単純で純粋な問いかけは、離れた日本人の自分にもずしりときます。
そんな二人が最後笑い合うシーンは、涙が溢れとても刺さるものがありました。
派手さの無い静かな作りですが、実に心温まる物語でした。
そして、亡くなってしまったピータの心よ永遠に。
そしてエンドロールで驚いたのですが、監督日本人なんですね?
いつかまた次の作品を見てみたいものです。
ラストで全部持って行かれる
かわいい作品。
文句を言うつもりもない。ラストで全部持って行かれる。これは、たぶん観た人ほとんどがそうだろう。あれをねじ伏せる言葉なんてないよなあ。あの子の中からいろんなものが溢れ出してる。
なんの予備知識もなく、観た後で日本人監督と知った。写真家ということで、腑に落ちるものがあった。映り込む街や人、すべてに惹かれる要素がある。あの生活が滲みになり堆積したような街が美しいと感じてしまう。今の東京はきれいかもしれないけど、美しさがないと思うもの。
黒澤明が撮っていたごちゃっとした戦後の日本みたいな。
ライオンのインドの町もよかったけど、これフィリピンか。こんな魅力的なところまだあるんですね。
親がなくても子は育つ。
昔の人は良くも悪くも世間をよく知っている。
この話はフィリッピンだけのことではないのだろう。世界中の混沌の意味を代表で普遍なのだ。それは社会の所為でもなく個人の所為でもない。人間の中身の半分がそうさせているだけなのだろう。
しかし、虐げられて生きる人の力強さは想像を絶する。蔑まれ、嫌われ、否定されればされるほど強くなる。そう、感染症の菌のようだ。
自立するには孤独が必要なのだろう。誰もが人の出会いから相手を信じるわけではない。
猜疑心は最大の防御ではある。でも、孤立を産むだけだ。
傷付きながらも寄り添うことの大切さを知っていく。
ブランカとギター弾きは金では買えないものをこの混沌の中から見つけ出し手の中にしっかり握り締めたようだ。
青は海の色、青は空の色
生まれつき盲目のギター弾きと、スラムで一人で生きる少女の物語。
ストーリー的には何も解決してないし、よく考えるとハッピーエンドでもない。
毎日を生きる子供達にとって大切なのは何なのか…世界の何処かでこんな毎日があるんだろうなぁ…
シーンの構図も美しく、心に刺さる映画だった。
唄声にアジアの空気を感じます
それぞれのシーンにあった笑顔が作品を魅力的にしています。構図がきれいだと感じていましたが、写真家の方の作品と知り、なるほどと思いました。雑踏、港、坂道を戻る。
ピーターとブランカが並んでるだけで尊い…
ピーターがいい味出しすぎ。爪弾くギターも同様。
ブランカとセバスチャンが可愛すぎ。
どうか彼らに幸せになってほしいとただただ願いながら鑑賞。
ブランカの歌声も素晴らしかった。
フィリピンの子供たちの貧しくて厳しい現状に辛くなる。
この作品はこれでもかなり美化されてるだろうと思うけど。
ブランカとピーターの友情の美しさにただただ癒されました。
何も解決していないけれど。
「大人は子供を買えるのに、子どもは大人を買えないの?!」は、痛烈な叫びでした。
ラストも、ギター弾きとともに暮らすストリートの生活を選んだ。それは、決してハッピーエンドではなく、結局、「誰も救われていない」。
ヒロインの「帰る場所=家=ギター弾きのおじさん」を見つけた、そのときの満面の笑顔で終えた映画だが、「誰も救われていない」。家のない実情は変わらず、お金もない、行く当てもない。
でも、少女には、進むべき人生の道が、一筋の光が見えてきた。
「歌」で認められたことが、「自分の存在」を認めてもらえた経験となった。母に捨てられ、その日暮らし、自分より年下の子どもにも容赦しない弱肉強食の世界で生きなければならなくなり、人間としての社会性より、動物的本能で生き延びてきた少女。はじめて、人としての扱いを受けたきっかけは、歌、だった。そして、その「自分の存在」を引き出してくれたのが、盲目のギター弾き。
盲目のギター弾きが、結果として導いてくれた、自分で見つけた「一筋の光」を見失わぬよう、彼女は『生きるなら、どう生きるか』ということを孤児院で考え、養子を期待しながら他人に選んでもらうより、『自分で選んで、生きる』ことを決めた。
いたいけな少女の選択の瞬間が、とても愛おしく切なく、美しかった。
それでも、残酷な現実は変わらない。
それでもそれでも、笑顔でいる少女。
ほんの少し、手を差し伸べてくれる人はいるけれど、基本的には、救いはない。
自分で自分を救うしかない環境、狡猾に生きるしかない世界が、地球にはある。ただそんな印象だけが残った。ヒロインの笑顔にハッピーエンドを感じてしまうことはなく、これからの道のりを考えると、胸が痛くなった。
でも、「人生は選べる」ことを心でわかった人間は、世界が違って見える。
それがわかっただけでも、彼女のこれからは、だいぶ明るいはず。
『暗く険しい』道のりは、ケガばかりだけど、『明るくて険しい』道のりなら、ゴールまでたどり着ける気がする。
ちゃんとした映画でした。
ブランカの歌声に聞き惚れた
ブランカのようないたいけな子どもを観ると、本当に何とかして助けてやりたくなる。
悪さもするけれど生きるため。
人との触れ合いを求めて、懸命に自分ができることを考え、行動している。
辿々しく一冊の絵本を繰り返し音読したり、まさかの天使のような歌声を披露したりするたびに、このような才能を持ったたくさんの子どもたちを路頭に迷わせている社会とはいったい何だろうと歯噛みしてしまう。
「みんな目が見えなければ、戦争なんか起こらないのに」とつぶやくピーターと、
「子どもを買う大人はいるのに、なぜ子どもはお母さんを買ったらいけないの」と抗議するブランカ。
2人のこの言葉に、何か理にかなう言い訳ができる人間はいるだろうか。
ブランカの最後の笑顔に一筋の光明を見出してしまいそうだが、彼らのその後の人生に、何か希望の光が差し込んだわけではない。
登場人物たちの助け合いを「共助」という名で美化するつもりはないだろうけれども、なんとなく最後の笑顔でごまかされた気になってしまうのが、やや気になる。
とにかく、ブランカの無垢な歌声は一聴の価値がある。
マニラのスラム街。窃盗や物乞いなどで小銭を稼ぎ、段ボールハウスで...
マニラのスラム街。窃盗や物乞いなどで小銭を稼ぎ、段ボールハウスで寝泊りしていたブランカ(ザイデル・ガブテロ)だったが、ある日、盲目のギター弾きピーター(ピーター・ミラリ)と出会い、心に変化が訪れる。孤児を養子に迎えたという人気女優のニュースを見ていた中年男が「俺なら3万ペソで買う」などと言う戯言を真に受けたブランカ。ピーターと共に街へと移動し、“3万ペソで母親買います”というビラを街中に配り始めた。やがて、クラブにスカウトされ、歌でお金を稼ぐことを学んだブランカとピーターだったが・・・
人生は順風満帆とはいかない。人の財布をスッたり、置き引きしたりと、悪いことは必ずしっぺ返しに遭うものだ。悪銭身に付かずという言葉が合うのかどうかはわからないけど、コツコツ貯めても、妬みが原因でもっと悪い奴に奪われたりする。ステージで歌って金を貰うことの喜びを覚えたのに、ブランカたちはあっさりと追い出されてしまったのだ。知り合ったばかりの同じような境遇の男の子ラウルとセバスチャン。彼らとも窃盗を繰り返すが、結局は盗みはもうやりたくないと心に変化が表れていたのだった。
「どうしてお金持ちと貧乏人がいるのかな?」とセバスチャンに疑問を投げかけるブランカ。しかし、まだ幼い彼らには答えは見つからない。食うため生きるために必死なのだから、そこまで考える余裕なんてのもない。こうした貧富の差をまざまざと見せつける作品でもあるのだ。
結局はラウルに裏切られた形となったり、幼いながらも修羅場をくぐり抜けて自由の身となったブランカ。母親なんて要らない。ピーターこそがお父さんだと思うようにもなっていく。家族を見つけたと安堵するも、逃げ出したいと思う恐怖心からか「孤児院に連れてって」と懇願する一面もあったが・・・
ブランカの歌声が未熟ではあるものの、透き通るような声で魅せてくれました。このままいいコンビを続けて欲しいと思ってしまうほど。しかし、現実は厳しい
永久保存版🙆♂️
胸が締め付けられる切ない映画であり、心が暖かくなる不思議な映画。弱い人間同士が寄り添って助け合いながら懸命に生きる姿が何とも逞しい。自分の居心地の良い場所がどこなのかを考えさせられる良い映画だ。
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