トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のレビュー・感想・評価
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健全さ
偽名で脚本を書き続ける事で、赤狩りのブラックリストを有名無実化する。
追放から12年。支える家族。その明晰さとユーモアを忘れない姿勢に胸が熱くなった。
辛い状況にあっても。
「名前がどうだろうと主義がどうだろうと、面白いものは売れるんだ、評価されるんだ」という、
ショービズ界の健全さ、経済の健全さ、アメリカの健全さを、誰よりも信じてたのはトランボだったような気がする。
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赤狩りに立ち向かうテレビマンの実話を描いた『グッドナイト&グッドラック』という映画があった。エド・マーローがテレビで赤狩り批判をしたのが1954年。そこから「赤狩りってやっぱおかしよね」と風向きが徐々に変わりはじめる。
トランボが実名で脚本を発表出来たのは、更にその6年後の1960年。長い年月がかかったなあと思う。
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この映画の中で印象的だったのは、トランボに嫌がらせをする隣人。
当たり前のことだけど、政治家だけでなく世論…一般の人も、マッカーシズムを支えてたんだなあと思う。
世論に同調する隣人は、60年代になって潮目が変わると、嫌がらせもしなくなる。
我こそが世論と自負してトランボ側をガンガン叩いていたジャーナリスト、ヘッダ・ホッパー。
彼女が完全な潮の変わり目(新しい大統領がトランボ作品を誉める)を目の当たりにするシーンが一番印象深かった。
追:コーエン『ヘイル、シーザー!』にもトランボ&ヘッダ・ホッパーが出てくるけれども、そちらはだいぶ捻っている。本作見てから『へイル〜』見る方が、分かりやすいのではないかと思う。
前振りなのかな?
●心から尊敬する男のはなし。
ダルトン・トランボが好きだ。その不屈の戦いたるや。彼の作品にはそのまま彼の生き様が投影されている。そうかと思うと、「ローマの休日」終盤にある秘密の共有は、たぶん彼のメッセージ。
とまあ、作品に脚本家の本音がみられて粋なのだ。本作みてから彼の作品たちを観ると、絶対楽しいと思う。
さて本作はそんな彼の半生。当時のハリウッドの様相も知れて興味深い。
「真昼の決闘」が嫌いなタカ派のジョン・ウェイン。立場よりも女を選んだロナルド・レーガン。ネットもない時代に絶大な影響力を誇ったヘッダ・ホッパーの筆致。
怖いもの知らずの「スパルタガス」カーク・ダグラスに、「栄光への脱出」オットー・ブレミンジャー。
時代の本流は完全に反共だ。本作には出てこないけど、ウォルト・ディズニーも本流だ。「エデンの東」エリア・カザンは転んじゃう。チャップリンは最終的にアメリカを追放されている。赤狩りが時代の要請だったことは想像に難くない。
そうして干されてからも、トランボは書いて書いて書きまくった。時にはユーモラスに。決して折れることなく。そんな彼を無口な妻が支える。時代を受け入れる心の広さ。ラストの肉声には泣かされる。の前のケネディもイカしてる。
にしても、彼の映画化は遅すぎる。と思ってたら、アメリカで本作は、当時の社会主義のあり方を検証してないだろうと、保守派から叩かれたらしい。それほど難しい問題なのだろう。
ノンキなのは承知だけど、さまざまな考え方を受け入れられる世の中であってほしいもんだと切に願う。
理解しようとすること
当時の人々にとって、共産主義は脅威に感じられたから、人々は弾圧が正しいと信じた。過激な思想に脅威を覚えることは心情として分かるけれど、解雇や収監はやり過ぎだったと思う。その人となりを見てもトランボは過激な思想というのではなく、おそらく育ってきた環境などから、貧富の差や特権といったことを不条理と思い、声をあげる勇気があった。
なのになぜそのような弾圧が行われたのかと考えると、映画の中のヘッダのように、他人の考えを聞かず、理解しようとしなかったためではないかと思った。
また、トランボは出所後、家族を失いそうになる。そのときに繋ぎとめたのは妻の言葉だが、トランボが妻や娘を理解しようとしたからでもあるのではないか。
トランボには文章を書く才能はもちろん、柔軟な思考の持ち主で、頭の回転が早くユーモアもあり、不屈の精神も併せ持っていたのだろう。それでも、家族がそばにいなければ、あれほど幸せそうには見えなかったと思う。
インコ?を頭に乗せている姿に和み、思わず笑みがこぼれた。やはり、優しい物語を書く人なのだと思った。
偏屈にまっすぐに生きた男の話。
5月に公開していた「ヘイル、シーザー!」と時代が重なります。「ヘイル、シーザー!」ではよく分からなかった戦後ハリウッドと赤狩りについて、すこし理解を深める事ができました。また、そういったことを除いても、単純に良作だと思います。
共産党員だったトランボさんは、赤狩りが激化する映画業界で奮闘していましたが、聴聞会に引っ張り出され、証言を拒否したところ、議会侮辱罪で投獄されます。服役後に、再起を図るも、難しい。なりふり構わず、偽名で、B級映画の脚本・手直しを破格で山ほど引き受けて、糊口を凌ぎます。妻・娘たちも仕事の手伝いに借りだし、家族のための仕事が、仕事のために家族を振り回す、見事な本末転倒となり、妻・長女から反発を受け、トランボさんは態度を改めます。その内、黒い牡牛(知らない映画です)とローマの休日にて偽名でアカデミー賞を受賞します。
その後、長女に言われてローマの休日は自分が書いたっていいなよと進言されたり、変わり者のスター俳優、監督から脚本書け書け、本名でのせちゃると後押し(ごり押し?)をうけ、スパルタカスと栄光への脱出を書き、映画界に表立って復帰していったというお話です。
ラストに、1970年ごろだったかに、過去を振り返ったスピーチをする場面があり、そのスピーチがすばらしかったです。裏切らざるを得なかった者も、戦いの中で命を落とした者も、みんなつらかったよね的内容(酷い要約ですみません・・・)でグッと来ました。
劇中ではローマの休日は俺が書いたもんね!とテレビのインタビューでゆってた気がしますが、wiki調べによると、ローマの休日を書いたのがトランボだと分かったのは彼の死後だったようです。
家族の物語としても素敵でした。妻が、正に賢妻って感じで、基本は夫を信じるだけなんだけど、本末転倒の生活で大事なものを見失った夫への抗議は的確でした。そして、エルファニング演じる聡明な長女がまたよい。父の娘ですよね・・・。ちゃんと謝ることのできる男と、そんな男を愛する女でしたよ。家族みんなでアカデミー賞の授賞式みて、やったーパパナイス!ってハイタッチする感じもほのぼのいい感じです。
ヘレンミレンが気取った帽子の反共コラムニストを演じており、いい味出していました。コミュニスト迫害のために、映画会社の偉い人が必死に隠していたユダヤ人であることを持ち出して脅したりしていました。彼らを首にしなければばらすぞというやつです。そういえば、映画産業には多くのユダヤ人が関わってきたと聞いたことがあると思いました。そのかかわりはおおっぴらなものではなく、名前を隠す必要があったのだなと想像しました。
また、裏切ったコミュニスト仲間の俳優が、あんたら(脚本家などの裏方)は名前を変えたら生きる道もあるけど、俳優は顔を隠せない。思想を捨てなければ仕事がもらえない、仕方がなかったと訴えていました。それもそうだと思いました。その選択を、陥れられた方としては許せないけれども、一定の理解はできるという描き方でよかったです。
役者はあまり知らない人ばかりでした。ヘレンミレンとジョングッドマン(バッドで大暴れ最高)とエルファニングぐらいでしょうか。なんせトランボ役の方を全然知りませんでしたから。
水に浸かっての執筆風景やインコをなでなでする感じが変人って感じで好きです。
才能で生き延びる
後半良い
最も書いた男。
トランボと聞いても今ひとつピンとこないと思うが名作
「ローマの休日」の脚本家(だった、実は)と聞くと分かる
人も多いんじゃないだろうか。何と彼は二回もオスカー
を受賞している(でも偽名で)非常に有名な脚本家なのだ。
彼の才能に対し時代は皮肉なもので、当時は赤狩り旋風
真っ只中、共産主義者の彼はハリウッドから追放される。
有名なハリウッド・テンの一人となるが、監督や俳優にも
被害者は多数いる。チャップリンなども恐れられて追放、
身を守るために同業者を密告する者が多数いたのも事実。
監督のエリア・カザンが名誉賞を受け取った時、皆が拍手
しなかったのは彼が密告者だったからで、今作ではエド
ワード・G・ロビンソンがそれと同じ立場で描かれている。
しかし何よりこの時代を言葉で表現したトランボの最後
の演説は爽快だった。生活のためやむを得ず密告せざる
を得ない立場に追い込まれた者を恨んではいないと丁寧
に語る彼が言葉にも人間力にも優れていた人だと分かる。
家族を愛し大切にした父親像も描かれ、のちに反発する
娘や忠告をする妻も彼が生活の全てを握っていることを
よく認識していた。家族揃ってテレビで授賞式を見る姿
はなんと微笑ましいことか。呼ばれる名前は偽名なのに…
トランボが指名された理由に仕事の速さが挙げられるが、
オリジナルを仕上げた上に手直しまでも請け負っていた。
もの凄い仕事量をかなりの速度で仕上げる力を持った人
だったことが分かる。仕事のできる人ってやっぱり速い。
彼を支えた妻をD・レインが好演。その他J・グッドマン、
H・ミレンなど、共演陣も豪華に怪演していて素晴らしい。
やっぱりハナシが面白くなきゃ映画じゃないでしょ~と
常に思う自分は、かのおバカヒーロー映画が発した真の
ヒーローは脚本家だと評するオープニングに多いに賛同。
トランボの作品はローマ以外にも面白い作品がたくさん
あるので、若い世代も観たら納得がいくんじゃないかな。
(ただ黙々と書き続ける姿に感動。闘うならそこだよね!)
誰もが知るローマの休日を創った男の話
ナショナリズムを糾弾する映画
アメリカはナショナリズムの精神構造を代表とする同調圧力の非常に強い国で、それは今も昔も変わらない。アメリカ人のナショナリズムこそ、世界を駄目にしてきた元凶なのだが、誰もそのことに触れない。ナショナリズムを否定するとアメリカでは生きていけなくなるからだ。アメリカだけではない、たいていの国で生きていけなくなる。
国家を第一義とするナショナリズムは、人間の自由と尊厳を大切にするヒューマニズムと正反対の思想である。ヒューマニズムの主張は尤もなのだが、ナショナリストからはエゴイストあるいはコミュニストと非難される。ヒューマニズムの主張は穏やかなのに対し、ナショナリズムの主張は攻撃的で高圧的で、時として暴力的である。そして大抵の場合国家権力を掌握しているのはナショナリストである。議論ではヒューマニストに敵わないが、権力を背景にした暴力で圧倒する。ヒューマニストは黙りこむことになる。
民衆はというと、世界を立体的に考えることができない多くの人々は、ヒューマニズムを理解することができず、ナショナリストの大義名分の圧力に抗うことができない。むしろナショナリズムの一員として全体に同調し、高揚する。肩を組んで「America the Beautiful」なんかを歌うのが幸せなのだ。
トランボはヒューマニストである。したがって、当然ながら反戦思想の持ち主だ。第二次大戦前後のアメリカでは反戦思想の政党はアメリカ共産党だけだったから、彼は共産党に入党する。そこにソ連との冷戦がはじまり、レッテル張りをするのが得意なナショナリストの格好の標的となってしまう。マッカーシーの赤狩りの餌食となったのだ。そしてトランボたちを攻撃している中にロナルド・レーガンやジョン・ウェインといった有名俳優もいたことが少なからずショックだった。
この映画は、酷い目に遭いながら、不屈の精神力で脚本を書き続けるトランボと彼を支える家族たちの苦闘の映画である。
トランボの生き方は見事だったが、映画はそれだけではなく、ナショナリズムの恐ろしさも端的に伝えている。
思った以上に良作
風呂場で映画の脚本
エンタテインメント色たっぷりの社会派映画
米ソ冷戦がはじまった1940年代後半から、米国では共産主義的思想の持ち主を徹底的に弾圧した。
ハリウッドとて例外ではなかった。
いや、大衆への影響が大きいことから、その弾圧はすさまじかった。
ダルトン・トランボもそのひとり。
いや、ハリウッドの共産主義の中心人物と目され、徹底的に排除された。
しかし、トランボは変名・偽名を使い、仲間とともに次々と脚本を書き続けていく・・・
という事実に基づいた映画で、とにかく面白い。
興味深い、ではなく、面白いのである。
その面白さの中心は、トランボそのひとにある。
とにかく、信念の人である。
自分を曲げない。
自分にできることは書き続けること。
ただし、主義主張、メッセージを重視するのではなく、量だ。
その量の中から、「質」が現れる。
「質」は、作品の質であると同時に、そのひとの内面の質だ。
「ひと」が認められることで、主義主張を通そうというのだ。
まぁ、やりすぎて、ワーカホリック状態になり、家族との危機も迎えるのだけれど。
この映画では、トランボを演じるブライアン・クランストンも素晴らしいが、妻役のダイアン・レインが素晴らしい。
いつもは控えめだけれども、家族の危機に際しては、言うべきことは夫に言う。
このシーンが良かった。
実話なので、エドワード・G・ロビンソン、ジョン・ウェイン、カーク・ダグラス、サム・ウッド、オットー・プレミンジャーなど、ハリリウッドの面々が登場するが、なかでも、カーク・ダグラスが酷似。
さらに、映画コラムニストのヘッダ・ホッパー役のヘレン・ミレンが憎々しくて、これまた良い。
社会派テーマをエンタテインメント色たっぷりに仕上げるのは、かつてハリウッドが得意としていたものだが、これは久しぶりにそういった類の秀作佳作である。
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