トランボ ハリウッドに最も嫌われた男のレビュー・感想・評価
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映画史を俯瞰する上で欠かせない時代の傷跡を扱った硬派なドラマ
この脚本家の半生はとびきりのドラマに満ちている。当人にしてみれば苦闘の連続だったに違いないが、彼をこれほどの逆境へと追いやったことで歴史に名を残すほどの名作が誕生したのだから運命とは皮肉であり、滴り落ちる水、打ち続けるタイプライターのキーが巨大な岩を砕くことだって往々にして起こりうるのだ。初めはイデオロギーに関して頑なだった彼が、自身の投獄や仲間を失ったことで徐々に戦略的になっていく様の、まさに「史実は小説よりも奇なり」の巧みな転身ぶり。またそんな彼を支える家族の団結力もまた、映画に独特のダイナミズムをもたらしてやまない。そんなドラマを堪能しつつ、第二次大戦後の映画界に吹き荒れたレッド・パージの様子を追放される側から描く視点は、映画の歴史についてもっと知りたいと思う者にとって大きな財産となるだろうし、この潮流の中で有名スターたちが各々どのような主張を展開していたのかもわかって勉強になった。
エンタテイメントがイデオロギー対立の嵐に巻き込まれた不毛な過去を描く
米国のレッドパージ(赤狩り)、いわゆるマッカーシズムについては、2005年のジョージ・クルーニー監督作『グッドナイト&グッドラック』があったが、本作はそのハリウッド版ということになろうか。
ジョセフ・マッカーシー上院議員が共産主義者摘発活動を行った時期は1950~1954年の5年間で、米国での赤狩りもその期間に限定されていると思っていたのだが、本作を見てそうでないことを知った。
調べてみると、マッカーシーの活動の舞台は上院政府活動委員会小委員会だったが、ハリウッドの赤狩りは主に下院非米活動委員会を舞台に47~60年頃と、より長期間実施されている。マッカーシーの失脚と共にその権威は失墜し、59年には赤狩り当時の大統領だったトルーマンに「今日、この国で最も非米的な物」と批判されながらも存続し続け、廃止されたのは75年になってから。
トランボは恐らくはマッカーシーが失脚した54年、もう大丈夫とメキシコから米国に帰国してきたのだろうが、そうは問屋が卸さなかったのである。米国内にはこうした赤狩り組織がまだ存続し続け、民間にも協力組織があり、偽名でシナリオを書き続けねばならなかった。
本作はこのトランボの成功から赤狩りによる転落、投獄。赤狩りに熱意を燃やす「アメリカの理想を守るための映画同盟」とそれに積極的に協力する者、恐怖から共産主義シンパの業界関係者を売る者等々の思想と生活、人間関係のドラマを描いて見ごたえがある。
トランボが三流映画のシナリオ執筆で生活を凌ぎ、さらに仲間も巻き込んで執筆チームを結成して彼らの生活まで支えていくシーンは面白い。
その間、偽名作品で2つもオスカーを獲得してしまい、最後にはオットー・プレミンジャーやカーク・ダグラスら弾圧を恐れない監督、俳優たちの支援もあって、実名で活動できるようになっていくのは痛快である。
本作を見ると、エンタテイメント界が政治イデオロギー対立の嵐の中に巻き込まれると、いかに不毛な結果になるかを痛感させられるが、今、ハリウッドは人種差別を巡る別のイデオロギー対立の嵐の中にいるのではないかという疑念が拭えない。
いつの時代も
赤狩りという歴史上の出来事を題材にした作品。誰もが知るような名作の裏側に、こんなドラマがあったのかと今更ながらに驚いた。
主人公のセリフに「無知で怒りに満ちた人は増えていく」という言葉がある。人間なんていつの時代にも変わりはしないんだと改めて思い知らされる。
色々と思う所は有るが、結局の所は ひと一人の限られた時間をどう使うのかという命題に、如何に向き合うかという事に尽きるのだろう。
気分爽快
なかなか良い映画ですね…
あたしが「ジョニーは戦場に行った」を観て衝撃を受けたのは確か2015年くらいだったけど
同じ人が「ローマの休日」を書いていたとは…この映画の広告で知りました
それからずっと観よう観ようと思ってて機会がなかったのだけど
暇な時期にBSプレミアムでかかったので
主人公があの「ブレイキング・バット」の人だものそりゃすごいよね
賢い娘役の子も「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」の子だわ♡
内容も骨太で役者も力のある
さすがな作品
強い信念、愛する家族の支え
名作「 ローマの休日 」の原案者、アメリカの脚本家ダルトン・トランボをブライアン・クランストンが熱演。屈辱の刑務所での生活、執筆の様子、彼を支える妻や家族の思い等、見応えがありました。
美しい妻クレオをダイアン・レインが、長女ニコラをエル・ファニングが演じる。
家族の存在が心の拠り所となり気持ちを奮い立たせるトランボの姿、苦悩する彼に対する家族の思いが沁みた。
ー いつも君たちを思ってる 〜 愛を込めて
ー「 王女と無骨者 」
ー 私達は名前を取り戻したと
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
『ハリウッドに嫌われた』と邦題の副題『アメリカ合州国に嫌われた』だぜ
『ハリウッドに嫌われた』と邦題の副題が示すが『アメリカ合州国に嫌われた』だと思う。どちらでも良いとは思えない。まぁ、どうでも良いが。
さて『アメリカ共産党』は現在でも存在する。では、なぜ誰も立法に立候補しないか?それはアメリカ共産党は非合法だからだ。つまり、結党は出来ても、上院、下院議員にはなれないと言う事だ。勿論、大統領にもなれない。
先ずはそれを知るべきだろう。自由と民主主義の国たが、法的には大きな壁が存在するのである。
『黒い牡牛』『ジョニーは戦場へ行った』が好きで『エドワード・G・ロビンソン』が好きだった我が亡父に見せてあげたい映画だ。
僕の感想は前述の通り、だから、なぜ『赤狩り』があったかを考えるべきで、1950年は朝鮮戦争が始まる年。だから、この映画では、ジョン・ウェインやレーガンやロビンソンがヒール役をやっていているが、そもそもがアメリカの国策なのだ。
従って、反共の波は収まったわけではない。1960年代に入れば、ベトナム戦争が反共を後押しする。そして、1991年にソ連が崩壊しても、アメリカは反共はそのままである。勿論、中華人民共和国がアメリカにとって仮想敵国だからだ。
つまり、アメリカにとって仮想敵国になった国のイデオロギーを排除すると言う国策なのである。
がしかし、ロシアがその虚を付いて謀反を起こした。それがウクライナとロシアの争いになるのだ。
話がそれた。
この映画で一番触れなければ駄目な点。やはり、エリア・カザンとの関係だと思う。
ハリウッド・テンはこの映画の様に名誉回復するが、エリア・カザンはその反動で嫌われ者に現在は位置している。だから、邦題の『ハリウッドに嫌われた』と言う副題に物凄く不満を持つ。
因みに『赤狩り』は日本にも起きて、それは『レッド・パージ』と呼ばれ、アプレゲールと言う中途半端な時代に『下山事件』『松川事件』『三鷹事件』等の事件が起き、労働者が大量解雇される。これが『レッド・パージ』と言う。さて、そう言う事件が1949年に起きていると言う事を『レッド・パージ』と『赤狩り』を区別する必要性があると申し上げておきたい。
『レッド・パージ』の後に『赤狩り』が起こるのだ。
事件は全て闇の中であるが、手塚治虫先生の『奇子』、COMICSを読む事をお勧めする。
ジェイ・ローチ監督の信念
アメリカだけでなく日本でも世界各地で昔も今も思想の自由の侵害の歴史は多い。
エンターテイメント性は薄いが社会派映画としてとても見応えがありました。
家族の絆が素晴らしかった。
次々と実話ベースの社会派映画を発表するジェイ・ローチ監督の信念も感じる作品でした。
労働運動の旗手の脚本家
ブライアントランストン扮する労働運動の旗手の脚本家ダルトントランボは有能な 脚本家だがストライキを扇動する共産主義者でハリウッドの脅威として嫌われていた。トランボは家族たちにも嫌がらせに対して団結を呼びかけ仕事を家庭に持ち込んだ。
1950年代の話だが、ゴーストライターみたいな感じだね。家族の協力無くしては出来ないし、犠牲も大きいが良い家族だ。でもやっぱり仕事を家庭に持ち込むべきではないかもね。とはいえ真の実力者は名前を変えてもその力がみなぎる様だね。やはり良い映画は良い脚本による。映画人なら良い映画を作りたい一心でブラックリストをもぶち破る訳だ。
赤狩りに翻弄され苦難の創作活動を強いられた脚本家ダルトン・トランボの表現の自由への信念
赤狩りにより全盛期に別名義使用を余儀なくされたハリウッドの実力脚本家ダルトン・トランボの苦闘と復活の伝記映画。原案含め関わった作品には、「素晴らしき哉、人生!」「ローマの休日」「ガンヒルの決斗」「スパルタカス」「栄光への脱出」「いそしぎ」「パピヨン」などがあり、それらを観た時からは想像も及ばないハリウッド映画制作の裏側が赤裸々に描かれていて衝撃的であった。第二次世界大戦後の新たな緊張状態の冷戦の時代、共和党ジョセフ・マッカーシー上院議員の名からマッカーシズムとも言われる赤狩りは、共産党員やその思想を持つと思われる人たちを聴聞会に召還し議会侮辱罪を適用させ、禁固刑の実刑判決で弾圧した。言論の自由を制限してはならないとするアメリカ合衆国憲法を無視した下院非米活動委員会の強硬な姿勢と、その政治的プロパガンダの標的にされてしまったハリウッドの映画人の苦悩と悲劇には、時代も国も違う一映画ファンから見て、只々悲しいとしか言いようがない。第一回聴聞会の1947年から3年後、裁判費用の工面に疲れ果て上訴請求も棄却されて刑務所に収監されるシーンには怒りさえ覚える。
この作品を観る以前は、赤狩りに対する知識を積極的に得ることは無かった。赤狩りに協力した映画人では、エリア・カザンの名が挙がることが多くて知ってはいたが、今回名優エドワード・G・ロビンソンのトランボへの裏切りを知って正直驚くと共に、寝返りをせざるを得ない窮地に追い詰められたことにも心が痛い。この作品がトランボの立場で描かれているからではあるが、対して“アメリカの理想を守るための映画同盟”のメンバーで大スターのジョン・ウェインが悪役として描かれている。配役も軽く、この点は感心しない。映画として興味深かったのは、ヘレン・ミレンが演じた元女優のゴシップ・コラムニスト ヘッダ・ホッパーと言う女性の横柄で威圧的な態度でMGMの強者創始者ルイス・B・メイヤーやスター俳優カーク・ダグラスを脅迫するところ。言論の力で赤狩りを推進する影の立役者の存在感が強烈に描かれている。登場する監督では、オットー・プレミンジャーを演じたドイツ人俳優クリスチャン・ベルケルが出色。「帰らざる河」「栄光への脱出」「バニー・レイクは行方不明」しか観ていなが、経歴を読むとこのベルケルが演じたような傍若無人の堅物監督であったようだ。そんな監督が才能を認め「栄光への脱出」の脚本をトランボ作と公表する展開は気持ちがいい。出所後仕事を選べないトランボが低ギャラ覚悟で頼るB級映画専門の製作会社キング・ブラザーズの社長の描き方もいい。見に来てくれる観客を満足させる面白い映画を如何に創作するかに心血を注ぐ巨漢の熱血漢と、仲間の仕事を斡旋するために家族総動員で対応するトランボ家の人たち。後半の“アメリカの理想を守るための同盟”メンバーの脅迫に屈せず、暴力で対抗し追い払う場面のキング社長のキャラクター表現も面白い。反面、金の為に才能を浪費したくない脚本家仲間のアーレン・ハードの赤狩りに対する怒りを抑えきれず自滅していく悲劇も描かれている。
主演のブライアン・クランストンの堅実な演技は、この伝記映画の説得力を高めており、良妻賢母のクレオのダイアン・レインの美しさと落ち着きある演技は安心感を与える。すでに50歳の中年婦人になっても美しさは衰えず、良い役を得ていることは素直に嬉しい。娘二コラを演じたダコタの妹エル・ファニングも好演。カーク・ダグラス役のディーン・オゴーマンとエドワード・G・ロビンソン役のマイケル・スタールバーグは、どちらも似た雰囲気を醸し出していて良い。当時の映像も最小限に抑えてメリハリの利いた時代再現になっていると思う。1957年の最後のアカデミー原案賞のテレビ放送が流れてデボラ・カーが読み上げる候補作に、レオ・カッチャーの「愛情物語」とジャン=ポール・サルトルの「狂熱の孤独」、そしてチェーザレ・サヴァッティーニの「ウンベルトD」がある。「黒い牡牛」が未見なので断定はできないが、どれが受賞してもおかしくない作品が並んでいる。
赤狩りの裏事情を丁寧に再現して、ダルトン・トランボというハリウッド脚本家を知る上でとても分かり易い伝記映画に仕上がっています。これは、原作者ブルース・クックと脚本のジョン・マクナマラの功績が大きく、演出のジェイ・ローチと撮影のジム・デノールトの個性や技巧の高さを味わうまでの醍醐味は無かった。それでもテレビインタビューで、「黒い牡牛」の脚本家ロバート・リッチとトランボ自ら名乗り上げるシーンのクライマックス、ダグラスやプレミンジャーやホッパーが其々に反応するところは巧い。ハリウッド全盛期の1940年代から50年代に起こった共産主義への理不尽極まりない弾圧を振り返る意味と意義はありますが、実質は言論の自由と表現の自由の重要性を感じ取るべき映画でした。疑問が残るのは彼の畢生の映画「ジョニーは戦場へ行った」に全く触れなかったこと。エンドロールで語られた娘への感謝で、家族思いのトランボの印象で優しく終わっています。
ハリウッドの赤狩りというと、ディズニーとレーガンのイメージだったが
ヘレン様のエグい攻撃。
儲かりさえすれば、信条とか正義とかどうでもいいぜ、ゲハハハというハリウッドのゲスい映画屋どもが…最低なのに同時に最高に見えてくる不思議。なんかとてもアメリカ的だなあと思った。
ま、『黒い牡牛』はともかく『ローマの休日』くらいは観ないとなあ。
実録にハズレなし
赤狩りテーマはハリウッド映画の十八番ですね。
無知蒙昧をひたすら恥じ入るばかりですが初見のことばかりでした。
トランボの誠実な演技と抑え気味ながら趣旨を明確に伝えようとする演出態度に好感が持てます。
時折挟まれる当時のニュースや名画の画像も変化を生んで結構ですね。
“国家の危機”は思想弾圧のいい口実
「国家の危機」は、思想の強要、言論弾圧にもってこいの理由付けであり、容易に新たな独裁国家になりうる。
共産主義を誹謗しながら、その実米国自信も共産主義と何ら変わらない。
ハリウッド・テンと赤狩りは有名な話だが、この映画でトランポをとりまく状況は、私が想像していたのを通り越し、もっと酷かった。集団リンチに近い。
トランポたちの活動にはあまり触れられていないが、トランポたちは一体なにをしたのだろうか。幕末の倒幕派と佐幕派との違いのように、よりよい国のあり方のプロセスが違うだけでは。スノーデンのように軍事機密にアクセスできる者が情報漏洩したのとは訳が違う。
例えばトランポが脚本に共産主義を練り込み、それに観客が感化されようと、それ自体ははっきりいって個人の自由なのである。
国が不安の種を植え付ければ、集団ヒステリーは容易に起こりえる。
アジアンヘイト、ノーマスク狩り、ワクチンパスによる実質的な人種差別、今回のコロナ騒ぎにも状況が重なる。
誰が感染し、誰がウイルスを持ち込み、誰がマスクをつけていなかった。本来はマスクをつけようとつけなかろうと発症しなければ健康体とみなされるであろうはずなのに、誰もが無症状感染者とされ、疑心暗鬼になり「互いを傷つけただけ」だった。
思想とウイルスは違うと人は言うかもしれない。
でも、思想がウイルスのように知らぬ間に浸食すると考え、国民の自由を侵害できるできる法律を制定しようとした部分では同じこと。
ハリウッド・テンは、政府が恣意的に恐怖をコントロールし、都合の良い政策を危うさのいい手段の例だと思った。
そしてこの映画は名台詞の宝庫。脚本家トランボの映画に値する脚本だった。
タイトルなし
ローマの休日やスパルタカスの脚本家が赤狩りのために投獄され、出所後も名前を伏せて活動しなければならないこの実話は全く知らなかった。赤狩り自体詳しく知らないが、本人や家族は相当辛かっただろうと想像する。トランボ役の飄々とした演技でテンポ良く進むが、友に裏切られても信念は曲げず、故に仕事は干され、家族を巻き込む。妻役ダイアンレインの温かい演技は心地良いし、ラストのトランボの名が映画クレジットに出た時の安堵感は素晴らしい。こういう一時代があったのだと認識させられる映画。
ヒーローもヴィランもいない!いるのは被害者だけだ。
ハリウッドの歴史を知る上で重要な“赤狩り”と“ハリウッド・テン”。共産主義が市民にも受け入れやすくなった第二次大戦前後に映画界にもその波が押し寄せた。しかし、冷戦が始まると、労働組合の実権を握ったり、ソ連のスパイだとして恐れられる存在となり、下院非米活動委員会が動き出したという歴史。実際に一般市民がスパイなんてできるはずもなく、単に政治家自らの保身のために表現・言論の自由を束縛したにすぎない。
トランボは才能があったために裕福な家庭を築くが、仲間のために裁判費用や入院費を出したりできた。共産党は離党するも、聴聞会に召喚され、リベラルな判事が次々と亡くなったことから上訴も諦め、投獄されることになった。釈放後も偽名を使って次々とB級作品で脚本を書き、やがてそこからまた傑作『黒い牡牛』が生まれてしまう。
不屈の闘志・・・といっても日本の左翼のイメージはなく。生活の糧でもある脚本業に精を出す姿には驚いてしまうほどでした。風呂の中にもタイプライターや電話を持ち込み、脚本を切り貼りしたりと、まさに風呂場が職場状態!100ページの本を3日で仕上げるにはこれくらい没頭しなければならないんですね。そのB級映画会社の社長役ジョン・グッドマンがいい役で、非米委員会の脅迫にも立ち向かうという、彼もまた生活のため映画を撮り続ける印象が残る。
聴聞会でつい仲間の名前を喋ってしまう裏切り者に対しても、トランボは優しい言葉をかける。また、肺がんのために亡くなった仲間の借金をも帳消しに。そして、量産する合間を縫って長年構想していた『黒い牡牛』を書き上げる。それが認められ、また偽名ではあるが噂は広がり、『スパルタカス』のカーク・ダグラスとの親交や『栄光への脱出』のオットー・プレミンジャーとも仲良くなるところが素敵だ。いいものはいい!て感じで。
妻役ダイアン・レイン、長女役エル・ファニングのダルトンを尊敬する眼差しも良かったし、ヴィラン役でもあるヘレン・ミレンも最後には哀愁を感じる。もちろん、主演のブライアン・クランストンもジョン・グッドマンも最高だ。そして、戦争を経験していないジョン・ウェインを嫌いになることも間違いなし(笑)。
不屈の人
「マジェスティック」もハリウッドの赤狩りで職を失った作家の映画だったが本作は実話である、「ローマの休日」のゴーストライターは有名なので知っていた、人物に興味があり鑑賞。
映画では不屈の人、寛容のある美談に寄せて描かれているが世間の理不尽さと生活苦から実際は家庭崩壊寸前まで追い込まれていたことが窺えます。
労働者の権利主張が資本家にとって目障りなのは分かるし、軍人には反戦平和主義者が臆病者に映るだろう、どちらの立場であっても都合の悪いことは排除したがる人の本質、力学は残念ながら封印できないのだろう。戦後の新たなソ連との緊張関係から国民感情が愛国反共ムードに流されていた時代背景と重なって生じた映画史の汚点であろう。
捨てる神あれば拾う神ありではないがいくら冤罪で懲役を科しても彼の筆を取り上げることはできなかった。
トランボの凄いところは芸術家と名職人の両方の資質を併せ持っているところだろう、B級からアカデミー賞級まで注文に応じた変幻自在の技量と独創性には驚嘆する。機会があったらキングブラザーズ・プロダクションズ時代の映画も観てみたい。
邦題のサブタイトルに「ハリウッドに最も嫌われた男」とあるが果たしてそうだったのだろうか、性悪ばあさんのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)は別として、保身から関わりたくなかった人はいたかもしれないが、これほどの才能のある仲間想いの人物なら慕う人、惜しく思う人は少なからずいただろう・・。
現代にも通じる問題と、痛快な復活劇
東京国際映画祭にて。STAR CHANNEL SELECTION。
ダルトン・トランボといえば浮かぶキーワードはまず「赤狩り」、あとは「ローマの休日」、そして「ジョニーは戦場へ行った」くらいだろうか。意外と「ローマの休日」を書いたことが知られていないようで驚いた(トークショー時の質問から)。
ダルトン・トランボの映画を作るなら、当然赤狩りの時代に焦点が当たる。この映画も当然そうだ。
私も詳しく知らなかったが、WWⅡ前からその最中は、リベラルな者の間で共産主義は受け入れやすいものだったし、共産党に入党する人も多かったそうだ。現在のアメリカの若者の間では社会主義が流行(という言葉は正しくないかもしれないが)しているそうだから、恐らくそれに似た感じだったのではないか。
しかし大戦後に冷戦が勃発するや、彼らは「国の敵」として猛烈なバッシングに遭い、仕事を奪われる。マッカーシズムというやつである。
ダルトン・トランボは最後まで抵抗し、合衆国憲法修正第1条を掲げて証言を拒否し、結局収監される。映画ではそこまでが前段で、ここからのストーリーがメインだ。
ブラックリストに載せられ、名前を出さずに安い仕事をひたすら請け負うトランボだが、物語に重苦しさはあまりない。勿論、深刻なシーンも、現実も見せてはくるが、これは不屈の男ダルトン・トランボの復活劇なのだ。脚本家版ロッキーみたいなものだ。
普段はさすが脚本家、受け答えも軽妙洒脱なトランボだが、友に裏切られ、また別の友を亡くし、果ては仕事のし過ぎでアンフェタミンをウィスキーで飲む姿は限りなく危うい。そして家族に対して傍若無人に振る舞う姿。しかしそこで妻が叱ってくれる。王道だが、沁みるシーンだ。
ラストにかけては怒濤の逆転劇である。「黒い牡牛」のオスカー受賞から「スパルタカス」「栄光への脱出」まで。前半が中々上手くいかない分、後半スカッとさせるように出来ている。実話を基にしながらもきっちりエンタメ復活劇なのである。
ブライアン・クランストンは名演。特に最後のスピーチの場面は内容と共に彼の表情が全てを物語っている。強さも弱さも最終的に皆包摂する姿が良い。
ダイアン・レインも良かったけど、個人的にはあんなに嫌な女(しかも実在の人物だぜ...)をきっちり演れるヘレン・ミレンに喝采。
しかし、トランボは才能ある脚本家だったからこの逆転を決められたけれど、他に多くの市井の人びとも赤狩りに遭ったこと、裏切りを強いられ後に虐げられた人もいたこと、自由を謳いながら思想を実質取締ったという時代があったこと、そして現代もその恐れがあるということを忘れてはいけないだろうと思う。だからこそのラストシーンなのだろう。
ちなみに上映前トークショーでは「カーク・ダグラスはアゲ過ぎ」という評もあると聞いたがどうなんでしょうね。
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