「ある種の生命」エヴォリューション edakoさんの映画レビュー(感想・評価)
ある種の生命
かいつまんで言うと少年が生命の進化しうる過程を見て帰ってきたということでしょうか。
◆オープニングの海のシーン
すべての根源はここからだ!といわんばかりの神秘的な海の描写からこの映画は始まる。まるで「 ここから生命はどのように進化しうるのか」言ってるかのように。
◆青と赤の対比
僕たちは極限に神秘的なものを見たとき一種の奇妙さやグロさを感じてしまう。例えば、蟹の脱皮は美しくもグロさを感じてしまうし、宗教至上主義が奇妙見えてしまう人もいるだろう。この映画では、ミミズが入った青いスープや青い薬、病院の青い壁といったように奇妙さやグロさを青で表現しているように思う。
それと対比して目につくのは主人公ニコラの赤い服、赤いペンで描いた母の絵、そして、赤いロブスターや赤いヒトデ。これは愛情の色でしょうか。
◆ある種の生命
人間と人間の容姿をした、背中に吸盤がついたある種の生命。
何らかの理由で生殖できない彼女(島に住む大人)らが選んだのは、人間の子供のお腹に医療行為を施し、種を繁栄させるということ。種の繁栄の為に子供たちは犠牲になり、死ねば海に捨てられることになる。
◆母なる愛
グロくて残忍な生命体だか、それでも母なる愛は人間と同じである。ニコラが赤いヒトデを傷つけて、ニコラを諭す場面、そして、看護師のステラがニコラとお絵描きをする場面は、人間の母と子そのものだ。興味深いのは、看護師たちが皆んなで真剣に観ていた映像は人間の母体から帝王切開するシーンだった。暗闇で恐ろしいシーンにも見え、出産を切望する母の姿にも見えるのだ。
◆ニコラが帰ってきた場所
ステラはその母性をもって最後にはニコラを船に乗せて人間の住む場所へ返してあげる。青く奇妙な場所からたくさんの愛のある人間の元へ帰ってきたわけだが、スクリーンいっぱいに広がる景色は、赤い光の溢れる街ではなく、恐ろしいくらいに発達した工場や大都市の黄色い光だった。これを観て宮沢賢治の銀河鉄道の夜を思い出すのは多分自分だけですが、そこでは、サソリ座の赤い光が人を思いやる気持ちを表している。無償の愛。母なる愛。少年がたどり着く先。奇妙なものとは何か。
ここはユートピアか、ディストピアか。
なるほど。