さざなみのレビュー・感想・評価
全18件を表示
45周年
元教師のケイト・マーサー(ランプリング)は夫ジェフ(コートネイ)と夫婦仲睦まじく愛犬マックとともに暮らしていた。そこへ1通の手紙。スイスの山のクレバスにジェフの当時の恋人が50年以上氷漬けにされていたという報せ。最初は2人が出会う前に付き合っていたのだからと、平静を装っていたケイトだが、徐々にカチャとの思い出を語りだす様子に不安になりだす・・・
夜中に一人起きて屋根裏部屋で写真を探すジェフ。もしや遺体確認のためにスイスまで行くんじゃないのかと心配するケイト。ともかく過去の女性に思いをはせる夫に、自分の居場所がなくなり、45年の夫婦生活は何だったのかと怒りにも似た感情に・・・
無事に結婚45周年パーティが開かれると、単に自分の思い過ごしだったとまた平穏な暮らしに戻れる喜びでいっぱいになる表情がいい。日本語タイトルもいい。
原題は45年
美しい田舎に住んでいる結婚して45周年を迎える事になる夫婦
とある手紙をきっかけに夫妻の気持ちは動いていく
静かな映像でゆっくりと人物描写している作品で
特に奥さんの感情表現はイイと思った
ストーリーとして語るとチープになってしまうので語らないでおく
この映画は1時間40分くらいで短めなので時間があれば見て欲しい
この監督の『荒野にて』を観て気に入ったので過去作品に興味が湧き観てみた
この監督さんは必要以上に音楽を使わなくて環境音だけなのは
結構イイと思い共感持てる
この作品、そして荒野にてと観て思ったのは
これから先を期待できそうな監督さんであると言えるだろう
過去は誰にでもあるけど
今まで何本か観たシャーロットランプリングはどれも不機嫌そうで大人っぽく嫌味っぽいといった感じの印象。これが一番可愛らしい部分のある彼女を観たと思った。
ベッドシーンはとっても(夫も)可愛らしかった。
とまぁ最初は死んでしまった過去の恋人の話も聞いたけど、そう毎日毎日未練がましくされたらしんどい。
死んでしまってはいるがそれを思い出して物思いにふけるのも、やめていた煙草を吸うきっかけが彼女の遺体発見だとは。久しぶりに寝たあとに夜中起き出して屋根裏に昔の写真を探しに行くとか…
誰にでも過去はあって出会う前の事にまでごちゃごちゃ言わない、と前半の妻の言葉はあったけど夫がそれにしても鈍感で苦しくなる。シャーロットの怒りや悲しさを我慢してる表情が上手くて切なくなった。
最後パーティーで手を放したあとどうしたんだろう。
あの顔も、気になる。
男女の違いを感じた
コソコソと元彼女の思い出に浸る旦那、、腹がたつよなぁ。今までと違う行動を起こし始め、旦那はバレてないと思ってるのか罪悪感がないだけなのか、でも女性はそういうの気になる。
45年の結婚生活。自分のことを本当に愛していなかったのではないか。自分は元彼女の代わりだったのでは?
写真はあまり撮らないはずの旦那が隠し持っていた昔の写真。写真の中には、お腹の大きい女性の姿が。自分との間にはできなかった子供、、、、。夜な夜な起きて見ていたのはコレだったのか、、、。
そんな決定的なものを見てしまったら、女性からするともう元の関係には戻れないのかもしれない。
その、元彼女がもしその時死んでいなくて生きていたら、結婚してた?という質問に、はっきりYESという旦那。想像の話をしても仕方ないとか、そういう問題じゃない。そんな大したことないというのなら、嘘でもNOと言うべきだった。女はいつまでも女なんだから。
演技はするし何もなかったように生活していくけど、元彼女に対しての嫉妬は永遠に消えないと思う。
ラストシーンのダンスが終わってからの妻の表情を見て思った。もう触られたくもない。旦那の感動の手紙やダンスでさえも、逆にシラけるというか悲しい気持ちになる。なに、ニヤニヤ踊ってんのよ、と腹も立ってくる。本当なら嬉しくて愛を感じるはずなのに、、、。もう元には戻れない。
女優さんの表情が素晴らしく、リアルで伝わる演技だった。
自分が50代になってから、また見てみたい。
長年連れ添ってきた熟年夫婦。子供はいないが夫婦仲は良く、郊外で慎ま...
長年連れ添ってきた熟年夫婦。子供はいないが夫婦仲は良く、郊外で慎ましやかに暮らしている。近く結婚45周年のパーティーを開催する予定だ。
ある日、夫の元に届いた一通の手紙をきっかけに、長い歳月をかけて培われた夫婦の絆が脆くも崩れ去っていく。昔のオンナの亡霊に囚われ、夫への不信感を募らせていく妻の表情に注目して観て欲しい。
それにしても邦題の「さざなみ」(原題:45years)とは巧く付けたものだ。最初はほんの小さな波だったものが徐々に積み重なり、やがて大きな波紋となって妻の心をザワつかせていく。
終盤、自らのスピーチで感極まって涙ぐむ夫に対し、浮かない表情を見せる妻との温度差がとても印象的だった。
心の波がざわざわと・・・
結婚45年の夫婦に 夫の昔の恋人の遺体が見つかったと
彼のもとに手紙が届く
夫は恋人の思いに浸り始め 妻の心はざわめき始める
2人の夫婦の表情や台詞から2人の夫婦を描いていて
観ている私の心もざわめき始める
彼女はこの世にはいないのに昔の恋人の亡霊に怯える?嫉妬する
妻をシャーロット・ランプリングが良かった!!
ラストのシーンはえ!と思いましたが・・・
見損ねていたので レンタルして観ました
最近はすぐにDVD化してくれるので とても嬉しいです
憎めない作品
シリアスな、寡黙なタッチで描かれているけれど、ただテーマは至ってシンプル。
私は女ですが、夫に同情しながら見ていました。そして妻については、まるで「私みたい…」と苦笑。結婚45年の絆に対する理想と、45年以来の嫉妬心で動揺するという、なんともかわいく面倒な女心。
途中、正直眠くなりましたが、ラストのキレキレなカットに「えっ!」と声を出してしまいました。よくよく思い馳せればこれも大円団。男性に言いたい、大丈夫、彼女の場合、これは今に始まったことではなかろうし、これからも続く。しかし愛があるからだいじょうVだと。
あまりパートナーに恋愛的執着心がなく、結婚の継続に理想をもっていない母(今年結婚41年)はいびきをかいて寝ていました。
※追記、後日見直した母は妻に共感し夫に対して激怒していた様子。笑
共感、という意味では好みが分かれそうだけど、画は綺麗だなと感じました。派手ではないけど、面白い映画でした。
小波のように、津波の如く
表面上は小波のように、内の感情は激しい津波の如く。
突然届いた手紙は、夫の昔の恋人が雪山の中から発見されたという知らせ。
以来夫は死んだかつての恋人に思いを馳せ、妻は…。
うつつを抜かす夫と、嫉妬する妻。
これが若い夫婦だったら犬も食わぬ痴話喧嘩だが、結婚45年を迎えた夫婦となると訳が違う。
後は穏やかに共に余生を過ごすだけ…当たり前のようにそう思ってたのに、じわじわ沸き上がる不信。
それが決定的となる、夫のある告白。「生きていたら彼女と結婚していた?」「ああ」…。
夫は45年、ずっと私の中に失われた彼女を見ていたのだろうか。
この45年間の愛は本物だったのだろうか。
この45年は何だったのだろうか。
考えれば考えるほど、夫との距離が遠退いていく気がする…。
映画史に残る数々の名作で、映画史に残る数々の名演を魅せてきたシャーロット・ランプリングに、新たな、そして最上の一作が誕生。
佇まい、眼差しは言うまでもなく、熟女や美魔女なんて言葉が愚かになるくらいの歳を重ねた女の美しさ、スキニージーンズをスラリと着こなすスタイルのカッコよさに圧倒される。
彼女と比べると、グッと枯れたトム・コートネイ。それが幻影を追い求める姿を、何処か哀しく味わい深く体現する。
この夫婦の愛は本物だろう。
しかし、45年のパーティーで皆から祝福された中、妻が一瞬見せた表情と、振り払った手。
夫と離婚はしないだろう。
が、夫の中にはこれから死ぬまでずっとかつての恋人が居続ける。
妻は夫を見る度、その彼女の幻影をも見続ける。
何故妻は、夫の死んだ恋人に囚われ続けるのか。
何故夫は、幻影の恋人に思いを馳せたのか。
明確な答えなど無いだろう。
人によって受け止め方も違うだろう。
分からなくてもいい。
それが45年の重み、男と女の営み。
これが長編三作目、四十代の監督の為せる業か!
今年一番の収穫
素晴らしい映画だった。何回か見た。書きたいことが沢山ありすぎてまとまらない。
結婚45周年パーティーが週末に控えている老夫婦。夫の昔の恋人(遭難して行方不明)の遺体がみつかったという手紙が届く。浮き彫りになる夫婦の心情の変化、その一週間を描く。
1回目見た時は、流石のシャーロット・ランプリングに唸らされた。バックミラー越しの表情とか特に。ラストシーンも素晴らしい。
一見するとごく普通の日常的な出来事を追ってるだけの映画で、ギャーギャー泣いたり喚いたりもしない。心情を説明するセリフも殆どない。それなのに、ガクンガクンと変化していく妻の心の内が痛いほど伝わってくる。
—
2回目見た時は、演出力に魅せられた。
妻は、元恋人の映っているスライドを見つけ彼女が妊娠していたことを知る。湖の前でお腹をさすっている元恋人。そのシーンがものすごく印象的で。スライドが映った白い布がフワフワと風に揺れて、元恋人がまるで動き出したように見える。ハッとしたところで、気付くか気付かないかくらいの微かなさざなみの音が入る。ただのスライドなんだけれども、まるで元恋人がまだ生きているかのような臨場感。夫の心の中で彼女はずっと生き続けていることを、妻が実感するシーン。ちょっとホラーかと感じるくらい怖かった。
妻が寝付けなくて、夜中一人で、スライドが置いてある屋根裏に手を伸ばすシーン。そこでも微かに風が吹いて後ろのドアが締まりかける。元恋人が立っていた湖から風が吹いているようで、このシーンも怖い。
実際、夫は、45年間、元恋人基準で様々なことを選択してきた。結婚式で流した曲(彼女は行ってしまって僕は独りという歌詞)、好きな著者(結婚したら後悔するだろうという言葉を残したキルケゴール)、旅行先(元恋人が亡くなった地形と似た所)、犬を飼うこと(夫婦間には出来なかった子どもの代わりに)。様々な選択の場において、元恋人との日々がちらついている。
夫は元恋人のことを「僕のチャズ」と呼び、「お前に彼女の何が判る?」と妻に静かに問う。
それを知った上で、妻は夫に言う、「明日の45周年パーティーには出てよね」と。
—
3回目見た時は、夫役を演じたトム・コートネイが凄いと思った。
昔の恋人をずっと想っているセンチメンタルな男…ただ、それだけだったら、案外妻も許せたんじゃないかと。自分のことは愛していなくても、長年連れ添った同士として日々の小さなことに喜びを見つけながら一緒にやっていこう、そう思えたのではないかと。
でも、それだけではなくて。
パーティーで、夫は涙ながらに妻への感謝をスピーチする。そして、その後、おどけたように妻とダンスする。絵に描いたような幸せな老夫婦を完璧に演じてみせる。
もうこれは、妻への挑戦でもあるんだなあと。「お前が望んでいるのは、こういう絵に描いたような世俗的な表面的な幸せだろう、それに合わせてこの45年間ずっと自分を偽ってきたんだ。俺と彼女の間には、そういう表面的な関係じゃなくて真の結びつきがあったんだ、お前には一生判らないだろうけども」
夫の表情は至極穏やかだけれども、妻への侮蔑がヒシヒシと伝わってくる。45年間気付かなかった妻への冷笑。元恋人とだったら目的のある輝いた人生だったかもしれないのに、世俗的な一般的なところに落ち着いてしまった自分自身への激しい絶望もある。この夫は、自分の特異性や後悔だけに夢中で、それに対して傷ついた妻の心の変化には何ひとつ気付いていない。気付いているのかもしれないが、妻の気持ちなんて、最早どうでもいいと思っている。お互い人生引き返せないんだし、しょうがないと思っている。ただのセンチメンタルな男ではなくて、身勝手で冷酷なナルシストだ。(その抑えた知的な冷たさ、コートネイが非常に巧い。)
だから、最後、妻は夫の手を払う。
シニカルなラストだけれども。人間性を否定され続けた妻が、自分を取り戻した瞬間でもあったんだなと。夫が抱える虚無の淵を払いのける。大変、印象に残るラストだった。
——————
追記:
俳優陣の素晴らしさもさることながら、アンドリュー・ヘイ監督の緻密かつ自然な構成・演出に魅せられた。日本では劇場公開一作目。なんという人が出てきたんだという驚き。是非、この監督の他の作品も見てみたいと強く思った。
先日、監督の『ウィークエンド』(2011年製作、日本劇場未公開)がPFFで特別上映されるというので見にいった。『ウィークエンド』も素晴らしくて、思わず涙。『さざなみ』とは全く違うシチュエーションながら、緻密に着実に誠実に人物に迫る撮り方は同じ。『さざなみ』の上手さは、まぐれではなかったんだなあと改めて納得。アンドリュー・ヘイという監督を知れたことが、今年一番の収穫だったと思う。
表情の演技を堪能
シャーロットランプリングの複雑な表情の演技を味わう映画でした。
彼女の若い頃は知りません。私はフランソワオゾンのミューズとしてしか知らなかったので。しかし劇場のお客さんは皆さん還暦overみたいな年齢層で、昔からの大女優なんだなと知りました。
シャーロット、めちゃくちゃ美脚でした。お尻も垂れてない!すごいなって思いました。
ラストのダンスシーン、ケイトの怒りの炎は全く消えそうにない。そんな表情に思えました。
愛が憎悪も産むならば、愛を得なくていいもかもなんて、弱腰になりました。満ち足りていたはずでも突然全てが裏返るかもしれない。怖い怖いっ。真実味があります。
ほぼジェフとケイトの二人芝居です。音楽がいいです。ただ少し地味なので飽きるかもですね。
凪ぎの海に投げ込まれた石
結婚45年の記念パーティーを控えた夫婦がそこにいる。イギリスの片田舎で穏やかに暮らしているのが、犬の散歩と朝食の光景だけで分かる。そんな凪ぎの海に投げ込まれた小さくて重い石。それは、夫がかつて愛した女の死の報せだ。
遠い昔の事。45年の歴史がここに確かに横たわっている。それなのに、その石は凪ぎの海に波紋を広げ、漣を作り、心にうねりを生み出してしまう。
パーティーの日までのわずか6日間で、まるで45年間が試されるような時間が流れる。ドラマティックな演出を避けた静謐なドラマの中で荒ぶる感情をシャーロット・ランプリングが体現して見せる。
そう。この映画が描くのは、過去の恋人の死の報せから、結婚45周年記念パーティーまでの6日間に限られる。思い出が語られても回想を挟むことはないし、問題の女カティは、夫の口から語られるのみで、姿を見せることはないと言って良い。しかしながら、その存在感で妻の心を乱してしまう切なさとやりきれなさ。過去の亡霊に対し、許容・拒絶・肯定・否定・・・そんな繰り返しの中で、妻は6日間を過ごす。映画はランプリングの複雑な感情表現を、ひとつひとつスクリーンに突き刺すように映し出していく。
昔の事だからと、無邪気なまでに多くを語りすぎる夫と、知りたくないのに知らずにいられない妻。夫婦を演じたランプリングとコートネイの二人芝居と言っても良い物語で二人の心の対決と寄り添いに、まさしく「夫婦」の姿を見る。
そして迎えるラストシーンでのランプリングの表情の変化には心が軋むようだ。パーティーで無邪気に踊る夫の手を振りほどいた後で、ランプリングの手は、もう一度愛する人の手を取れるのか、静かに考えた。
棺桶に手が届きそうな熟年夫婦でもさとりを得られない人間の弱さに、笑みがこぼれた!
久しぶりに地味な作品だけれども、映画らしい素敵な映画を観たなぁ~と言うのが、この映画を観た時の第一印象でした。
S・ランブリングと言えば「愛の嵐」の印象が圧倒的に大きい俳優さんなので、「熟年になった彼女ってどうよ?」って言う先入観がとても強かった。だけれども、本作は全く私のつまらない心配事を見事に払い除けてくれる秀作で、脱帽しました。
この作品のヒロインであるケイトは、現在1週間後に結婚45周年パーティーを控えて、その準備に追われる1週間を描いたのがこの映画の物語。
そして事もあろうに、このケイトの夫には、彼女と結婚する前に別に付き合っていた女性がいたのだが、その彼女の話を殆どケイトは知らされていなかったのだ。
そりゃ、高校生のまま結婚するのではあるまいし、過去の恋人の数人いても全く問題ないのが普通なのだが、そこのところが、このケイトと夫のジェフの場合は事情が違っていたのだ。
この女性が不慮の事故死をしていた事。そして登山事故で彼女が亡くなっているので遺体は出てこなかったのだが、いきなり50年近い時を飛び越えて雪山から、夫の元恋人の遺体が発見されたと言う情報が彼の元に飛び込んできたからさあ大変だ。
夫は忘れていた筈の元恋人の面影を追い始める。
そんな夫ジェフの心の変化に苛立ちを覚えたケイト、彼女の中で一揆にこの45年間に及ぶ結婚に対して疑問や、諸々の感情変化を、この極短い1週間の出来事として、丁寧に描き出す。
だが、考えてみると人間の記憶とは実は本当あてにならないもので、自分に都合の良い嘘を平気でつくものだと言う現実をこの映画は観客に付きつけてくる。何ともこの辺りが他人事なので、映画を観ている私には、興味が持てて面白く楽しかった。
しかも、この夫であるジェフ位の齢になれば、人間の表も裏の顔、総てどんなものなのか位は分かっている筈だけれども、何故か人間に記憶と言うものは、結構成就出来なかった事柄を美化する傾向が有るらしい。
ジェフのかつての彼女に対する思い出などは美化され、肥大化された現実とは違う幻想に過ぎないものを、本当の思いのように、錯覚をしてしまう辺りが、凄く面白い!
そしてケイトも、タイトルバックで、映写機で写真だけが、順に映されていく音だけが、響いていたのが、映画の終盤で活かされてくるシーンが有って、こう言う撮り方も、個人的に好きな手法だ。
人にもよるのだろうが、人間とは常に現実と言う事実の積み重ねの中で生活していると考えがちではあるけれども、日常の現実を体験する経験と言うやつも、体験そのものよりも体験をする事に因って感じる、感情、印象と言う、実は幻想の中で生きている事の方が大きいのだろう・・・
幼少期に受けた影響に因る、潜在意識のフィルターと言う幻想の上に、長年積み上げてきた人生体験から得た観察眼の癖と言う幻想をミックスさせた、単なるフィクションの中で日々生きていると言う事が凄く面白かった!
この思い込みに因る幻想のフィクションを超えた処で生きている人々を、さとりを得た人と言うのかも知れない。だが、ケイトの嫉妬心も含めて、人はこの感情と言う幻想のマジックの中で翻弄されてしまうのが、普通なのだから、こう言う人間と本質を突くような映画を愛してしまう私も、きっとケイトや、ジェフと同じように、感情の嘘と言う幻想の森を彷徨う住人の一人なのだと思う。
静かに心の底で、クスッと笑いがこぼれた。
笑えるような、話ではない、人の情念と言う恐ろしい映画なのだが、何故か心の深いところで、笑える映画で実に面白かった!!
女は「上書き保存」で、
男は「名前を付けて保存」。
パソコンのファイルになぞらえて男女の恋愛感の違いをこんな風に表したりするものですが、
その保存の仕方の違いから45年というとても長い月日が、7日というほんのわずかな時間で崩れて去っていくさまが繊細に描かれています。
また45年という月日を実感させるためか、音楽も当時のものが使われていてとてもよかったです。
象徴的だったのはやはり最後のパーティでの場面。
ジェフは感涙する一方で、ケイトはダンスで繋いだ手を力強く振り払う。
このときのシャーロット・ランプリングの氷のような表情には思わず戦慄が走りました。
ジェフにとっては日常の“さざなみ“だったとしても、
ケイトには45年の月日を以っても修復不可能な“津波“だったのだ、と。
夫婦で観にきていた方々が多かったですが、観終わって果たして何を思う?
90分前後と短いですが、重厚な作品です。
ラストが印象的なだけに残念
編集が良くない。シーンのつなぎに「余韻」がないため、すべての「艶」が台無しになっている。長年連れ添った妻の嫉妬、いらだち、建前、諦めを描くも、それらが十分に生かされていない。なぜこのカット?というものもあり、ラストのランプリングが特に良いだけに残念。
ケイト(ランプリング)は子供を持たなかった/持てなかったが、スライドの中の夫の亡くなった恋人は妊娠しており、そのことでケイトは完全な敗北を感じている。年月は事実を越えられないのだ。
一度は過去にとらわれたジェフ(トム・コートネイ)が結婚祝いのスピーチで心機一転を図ったのと対照的に、ラストシーンでケイトは夫に背を向けるかのように、敗北と決別を宣言したかのように見える。男性と女性の、愛する対象への向き合い方の違いだと感じた。
男と女の観察日記
女は自分の中のうるさい嫉妬心を制御できない。男は悪気ないんだよ。妻のことももちろん愛しているし、不満がある訳でもない。パーティーでのスピーチも本心から言っている。分かっちゃいるけど、女は疑念を払えない。屋根裏であの写真を見てしまったから。でも夫には言えない。勝手に彼の過去に踏み込んだんだもの。見なきゃよかったのに。女は、今後もずっと、さざなみのように寄せては返す嫌な感情を拭えないままいるんだろう。
この邦題も上手いなぁ~。観るまでは、あたたかな感動作だろうと思ってたわ!
手紙が届いた日からの約一週間を一日ずつ区切って見せるのも、男と女の観察日記を見せられているようで面白い。
カメラワークもいい。妻ばかり中心に映ってて、夫はほとんどボヤけてて。男の邪気のない無神経さと、女が独りよがりの感情を丸出しにする様がよく伝わる撮り方だと思った。
あるあるぅ~って、苦笑いの連続でしたが、それだけで終わらない。最後の妻の何とも言えない表情に45年の深みとこれからへの含みがあって印象的だった。
そして、45年という長い年月を経ても、男は男、女は女なのですね。
妻が夫に抱いた不信の念の原因
英国の田舎町に暮らすジェフ(トム・コートネイ)とケイト(シャーロット・ランプリング)のマーサー夫妻。
ふたりは45年連れ添っているが、ふたりの間に子供はない。
ジェフは近くの町の工場の管理部門で永年働き、ケイトは地元の教師を永年務めた。
週末の土曜日に結婚45周年のパーティを控えた月曜日、ジェフのもとにスイスから一通の手紙が届く。
ドイツ語で書かれた手紙の内容は、50年前にスイスの山をジェフと共に登山してクレバスに転落したまま行方不明となったジェフの恋人カチャの死体が氷河の中から発見されたというもの。
結婚する前にジェフに恋人がいたことはかすかに聞かされていたケイトであったが、ジェフの心は発見されたかつての恋人に奪われていく・・・というハナシ。
というか、そういう「永年連れ添った妻vs.死んでしまった若き日の元恋人」みたいなハナシだったら、まぁ普通のオジサンであるりゃんひさにもわかるところであるが、どうもそう簡単なハナシではないような感じ。
たしかに、はじめはジェフも突然現れた昔の恋人に心を奪われているのだけれど、それは一時の気の迷いだった、というように4日目あたりで気が付く。
中心になって描かれるのは、45年連れ添ったにもかかわらず、夫に不信の念を募らせていくケイトの変化。
当然はじめは、昔の恋人に心を奪われてしまう夫に対して、この45年間はなんだったのか、という戸惑いだったろうが、夫が隠れて観ていた当時の恋人の写真をみてからケイトの不信の念は決定的となり、夫との関係は修復不可能なものへと変貌してしまう。
実をいうと、観ているとき、観終わってからも、ケイトがジェフに対する不信を決定づけた理由がよく判らなかった。
ということで、一緒に観た妻に助け舟を出してもらうことにしたところ・・・
ケイトが観たカチャの写真(スライド)では、妊娠しているようにみえた、とのこと。
なるほど!
そうすると、腑に落ちる。
45年間連れ添ったが子を生さなかった夫婦。
妻の側にしてみれば、かなりの後ろめたさのようなものを感じていたのだろう。
映画前半では、子どもに関する話題がさりげなく散りばめられている。
冒頭、朝の犬の散歩の帰り路にケイトが元教え子と出逢い、教え子に子どもが生まれたことが会話される。
翌日、ケイトの友人が娘を連れて土曜日のパーティについて話をするが、その際、友人から彼女が撮った孫の写真をみせられる。
また別の日、会社のOB会に参加したジェフから、バリバリの組合員だった同僚が銀行家になった息子とゴルフに興じているという話を聞かされて嫌になってしまった、と語られる。
そうなのね、上手く伏線は張られているけれど、すぐにはわかならなかったです。
元の恋人との間に子を生したという重要な事実を、夫からは一言も聴かされていない。
そして、そのことを隠したまま、つい先ごろ元の恋人に心を奪われてしまったことなどなかったことにして、これまでどおりの仲のいい夫婦に戻ろうとする夫。
そういうことに、自分もふたたび仮面を被って、いい夫婦のフリをすることに嫌気がさしてしまう・・・
そういうラストというわけか。
ふーむ、繊細な演出といえば繊細なのだけれど、勿体をつけすぎてわからなくしてしまったところも多いように感じました。
特に、ケイトがカチャの写真(スライド)を観るシーンは重要なので、シャーロット・ランプリングの演技を見せるだけでなく、もう少し事実を判り易く撮る必要があったのではありますまいか。
ということで、自分の理解力不足を反省しつつも、この評価としておきます。
<追記>
そういえば、フレッド・ジンネマン監督の『氷壁の女』でも、大昔の恋人の死体が氷漬けで発見された云々というエピソードがありました。
あちらでは、そういうことが多いのかしらん。
全18件を表示