AMY エイミー : 映画評論・批評
2016年7月12日更新
2016年7月16日より角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
輝ける“非凡”に隠された“平凡”を描く、野心的なアプローチの伝記映画だ
今年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー部門に輝いた「AMY」。5年前に27歳で夭折した歌手エイミー・ワインハウスの伝記ドキュメンタリーだ。
享年27歳というロック伝説の先達を追いかけたような年齢の符号、アルコールの過剰摂取という死因には出来過ぎなワインハウスという苗字など、彼女にはつい触れたくなるネタが多いが、本ドキュメンタリーはそういう無責任な駄話には触れもしない。
近年ドキュメンタリー映画はさまざまな形態へと可能性を広げているが、「AMY」のスタイルはあくまでもオーソドックス。基本的には家族や友人のコメントとアーカイブ映像、豊富に残されたプライベートビデオを使い、彼女の少女時代から時系列に語っていく。トリッキーな見せ方もしなければ構成を弄り回したりもしない。ただただ地道に“ファクト”を積み重ねていくのみである。
エイミー・ワインハウスの“波乱万丈伝”があくまでも“普通”の体裁で語られていることは、本作を観ているうちに必然であったという気がしてくる。というのも、お騒がせセレブとして幾多のスキャンダルにまみれた彼女のライフストーリーに、まるで判で押したような既視感があるからだ。
離婚家庭に育った少女が、自分の才能と負けん気の強さで世間の注目を勝ち取り、やがて名声の大きさに押しつぶされていく。そこにいるのは天才でも異常人でもなく、クリシェのようなお決まりの罠に毎度毎度ハマってもがく平凡な女の子でしかない。クズみたいなイケメンに夢中になって薬物依存に陥ってしまう展開なんて、セレブ専用の学校があれば一年目でダメだと習う失敗例だろう。
直接彼女を知っていたわけでもないわれわれが彼女の実像について語ることはナンセンスだろう。ただエイミー・ワインハウスというセレブリティがたどった破滅への道行きに新味はないことは明言できる。彼女は歌い手としては天才であり、生きることに関しては凡庸だった。凡庸という点に関してはまさにわれわれと地続きであり、その葛藤をまるごと歌詞にしたソングライターでもあった。
彼女がたどった悲劇と似たケースは過去にも星の数ほど存在したし、これからも存在し続けるだろう。「AMY」はわれわれが勝手に思い抱く“天才アーティスト”という幻想が、いかに一個人が背負いきれるキャパシティを超えているのかを暴き出している。輝ける“非凡”に隠された“平凡”を描くのに、映画としてのエッジは不要どころか邪魔だったに違いない。その意味で、本作は非常に野心的なアプローチの伝記映画だと思っている。
(村山章)