はじまりへの旅のレビュー・感想・評価
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あの曲の話。
主人公一家は亡き妻のために彼女の好きだった曲を演奏して捧げる。この一家は知的レベルも身体能力も並外れているが、アコギとカホン、そしてボーカルのハーモニーで奏でられるこの演奏シーンが本当に素晴らしい。
曲はガンズ・アンド・ローゼスの「Sweet Child O' Mine」。無垢なるものの喪失感と憧れを歌い上げる詞はこの映画のラストにぴったりではあるが、それ以上にこの選曲が大きな役割を果たす。
世代が違うとピンとこないかも知れないが、ガンズは劇中のアコースティックな演奏とは真逆の、ゴリゴリの不良を売りにしたハードロックバンドであり、その年を象徴するメガヒット曲でもあった。
知的な夫婦だったのだと思う。その一方でヒットチャートを素直に楽しむような、斜に構えたところのない人だったのだなと、この一曲が教えてくれた気がしてならず、今年の選曲賞というものがあるのならこの映画が獲って欲しいと思う。
爆笑しながらも圧倒される、揺るぎない家族のあり方
これほど奇想天外なストーリーを一体どうやって着想したのだろう。世間の常識から隔絶されたこの変わり者一家の揺るぎない哲学、思想、そして常に自然の中でサバイバルする姿勢に爆笑しながらも、いつしか熱いものがこみ上げてくるほど圧倒される。そして、これほど突き抜けた生き方を実践する彼らが、言いようのない悲しみに襲われた時、その悲しみにさえ家族みんなで果敢に立ち向かっていく姿のなんと力強いことか。
走り出したバスは止まらない。その旅路はこれまで森で学び続けてきたことの実践編であり、一瞬一瞬がとても尊いものとして記憶されていく。また、これは子供たちのみならず、父親にとっても大いなる学びの旅と言えるのだろう。
ヴィゴ・モーテンセンの透徹した存在感もさることながら、子供たちはまさにそれぞれが楽器のように感受性の音色を鳴らし、魅力的に個性を響かせあう。ヨンシーらの歌声響く楽曲群との相性も素晴らしく、この至福のひと時がずっとずっと続いて欲しいと感じさせるほどだった。
リベラルもどきのビッグダディ。
チョムスキーと原始共産制にこだわる保守的な選民思想のリベラルもどきのビッグダディ。
ポル・ポトの写真が!カンボジアでは名前にふれる事すらタブー。
まぁ、最後にヒゲを剃ったので、少しは認めてあげないとね。
まとめで『I shall be released』
『88 JESSE JACKSON』 は正に
民主党上院議員の応援Tシャツ♥
見立て通りでした。
・権利章典の話があったが、アメリカとイギリスの権利章典は違う。
さて。
・土葬にこだわらないのは仏教徒なら誰でも知っていると思うが。
1.有色人種が一人も登場しない。
2.キリスト教の宗派がカトリックでない
3.ニューメキシコは1912年にアメリカになった。去年が100周年。
4.カラマゾフの兄弟は父親殺しがテーマの実存主義文学
自分で考え自分で選ぶ。そして尊重する
反資本主義の父と反キリスト教の母。彼らは子どもたちと共に森で暮らすことを選んだ。これは、今のアメリカ社会の常識とかルールといえるものに反発するためだろう。お前らの考えを押し付けてくるなというわけだ。
どこかの誰かが、これが一番いいだろうと考えたルールのようなものだ。それがいいかどうかは実際のところ人それぞれだし、本当にいいかどうかも定かではない。
父は子どもたちに独自の教育を施し、体を鍛え、一人でも生きていける術を教える。ヴィゴ・モーテンセン演じる父ベンは、それが一番いいだろうと考えたからだ。
しかしこれは、どこかの誰かが考えたアメリカ社会の常識の押し付けと何が違うだろうか。結局は父も母もどこかの誰かも変わらないのだ。
多くの他の人々と歪が生まれる分、父と母の思想はよりよくないともいえる。
大事なのは個人の意思とその尊重なのだ。それぞれが考え、それぞれが選ぶ。
エンディング、森に戻った彼らは静かな朝を迎える。父ベンは子どもたち全員分のランチを用意している。子どもたちは本を読んだりそれぞれ好きなように朝を過ごす。きっと学校へ行くかどうかも子どもたちの自由なのだろう。
これまで色々としていた父と子のディスカッションはない。ベンは自分の思想の押し付けをやめたのだ。
学校へ行きたいのならば親として行けるように準備をする。行きたくないのであればそれを見守る。静かなラストシーンは実に印象的で、とても良かった。
作品とは関係ないオマケ話として、父が娘に「ロリータ」について聞く場面のことをちょっと言いたい。
娘は「興味深い」と答え、ダメな解答だと囃し立てられる。
この作品ではないレビューを読んでいて「考えさせられた」というフレーズをよく目にする。読むたびにげんなりするんだ。
この「考えさせられた」は「興味深い」と同じだ。大事なのは何を考えたかであって、脳みそを稼働させましたという宣言は何の意味もない。何も考えていないのと変わらない。
基本的にはどんな映画を観たって何かしら考えることはあるわけで、そうなると単なる「考えました」宣言は「分かりません」以下の答えだと思う。
娘が「興味深い」と言った瞬間にレビューの「考えさせられた」を読んだときと同じようにダメだと思った私は、このシーンに妙に共感してしまって、ちょっと嬉しくなった。
普通ってなんですか
都会から離れ、自然の中で暮らす一家
一家の長ベンの元で自給自足の生活をする。
思想の根幹はアナキズム、権力や支配に異を唱える。
世俗的な事柄から離れる生活で子供たちの価値観は形成される。逃げない動物、太った民衆に違和感を感じる。
与えられた知識は広く深いが、限定的
時に議論を交え、年齢など分け隔てなく知識を共有するが、指導者は一人
序盤で娘の一人が「ロリータ」と言う本を読む。
一人の老人が少女に恋をする物語。
感想を聞くと、老人の視点から展開される物語は彼への同情を誘うが、彼のすることは許されることではなく嫌悪すると答える。
まさにこの映画を示す言葉
一般的な視点からは非常識である一家をメインに据えている。
ベンは妻を救うためにヒッピー的な生活を始めた。
当然子供たちは外の世界への興味を持つ。
彼らの信奉するチョムスキーはアナキズムにおいて、人間の自由の領域を広げるためにヒエラルキーの正当性を問うた。
二つの価値観を端的に観せることで、共感しない理解を提起する。
きっとまた観たくなる作品
劇場での上映を含め、3度目か4度目の鑑賞。
何度観ても込み上げてくるものがあり、やっぱりこの映画が好きだなあ、と実感します。
あらすじは割愛するのですが、
とにかくこの作品を形作るどの要素も魅力的で(哲学的な部分はおそらく理解し切れていないことを断りつつ)、
ストーリーやメッセージはもちろんのこと、
青いバス「スティーヴ」が進んでいく、陽の降り注ぐ広大なアメリカの風景
映像と音楽の美しい融合
(サントラも是非お聴きください)
画面の中の柔らかな光
ヴィゴ・モーテンセンやジョージ・マッケイをはじめとするキャストたち(強い意志を感じさせる主人公一家)
センス溢れるコスチューム
雄大な自然(森)の中でのライフスタイル
などなど、なんだかもう、観ていると心身ともにデトックスされていく感覚になります。
ベンといまは亡きレスリー夫妻のホームスクーリングによって育った6人の子どもたち。
危険と隣り合わせのハンティング、クライミング、時には泥棒まで(!)、数々の課題をクリアしていきます。
彼らは多言語を操り、アスリート並に鍛えられた心身を持ち、常に自分自身の頭で思考します。
人間としていきいきと生きているその姿は、私たちに、本当は何が正しいのか?本当に自分の判断軸で生きているだろうか?といった問いをユーモアとともに突き付けます。
また母であるレスリーの願いを叶えるべく、紆余曲折の末にミッションを遂行した一家は、既成社会を完全に否定することなく、都市一択でも自然一択でもない、新しい暮らしを始めます。
これまでの価値観が絶えず揺らいでいるいま、自分はどう働いて、暮らして、生きていきたいのだろう。
そんな風に自分を見つめたいとき、心を整えたいとき、きっとまたこの作品を観るのだろうと思います。
見やすく、ほっとする
ヴィゴモーテンセンのお父さんに育てられた子どもたちはなんとたくましいのか。
もちろん肩書きがあるほうが世の中生きやすい
しかし生きやすいという世の中はどの世の中を指すのか
大自然と本を先生に自分から学んだ知識は嘘をつかない
子どもたちがとてもいい
共感できない、虐待との紙一重。
統合失調症の母親が自殺し、その母親の葬式参列のため、アメリカ国内でも離れた地域から1台のキャンピングカーに乗って向かう。
一家は山奥でサバイバル的体力、難しい本から主義・イデオロギーなどを学び、食べ物も自給自足生活をしている。世間一般からはかけ離れた生活で、葬儀に向かう途中に親族宅へ滞在するも、価値観や生活スタイルが噛み合わなく、衝突して出ていく羽目になることも多々。
子どもが小さいうちは、親がほぼ全部だけに、あまりに偏った考え方やスタイルを押し付けすると、それは「洗脳」になってしまう。
特に食べ物を救う、兄弟を救うと言って不法行為は理解に苦しむ。
新興宗教団体が世間との関わりを一切断って、自分たちで理想郷を作ろうと自給自足生活をしようとするも、世間の文明の発達を取り入れないといけない事態に陥り、破綻するということが現実にも映画でもあった。まさにその淵に立たされているのでは。
祖父母がそこから脱出させようとするも、洗脳は解けず、父親の元へ行くも、エンディングでは結局学校に行かせるという。
世間と断絶して頭でっかちな教育ではなく、他者との交流もしながら他をも認めながらも自我の目覚めを目指すことが大切なんだな、とアンチテーゼ的に確認できた作品だった。
不自然な「自然生活」
最初の鹿は美しいかったけど…何なんでしょう 森の中で訓練して イズムを叩き込み…まあ 色々思うのですが、結局は誰にも共感できなかった。ヒッピーパパ ママがどうしてこうなったも描ききれず、それぞれの子供も個性がないのも不自然 祖父母も…全ての人物の描き方が薄っぺらい だから、物語にリアリティーがでない。監督には日本の大家族テレビを見せてあげたい そう 子供たちが「優等生」すぎる。
旅の珍道中 もっと笑わせるネタあったと思うが… そこは狙いではなく、何だったんだろう? 「知的」な話しも薄っぺらいから なるほどねとか難しいなとかも感じれない。
母の死というお涙ネタ中心話しに見えてしまった。しかも この母の描き方も薄いので 母の存在の大きさを言いたいのだろうが、それを曖昧な夢の中で描こうとしている。あやうい 「誰だって母は偉大だよね」と押しつけられている
子供たちが祖父の家を何故どうやって出たのかはばっさり無し 反抗した息子とすぐ和解
そして、最後は結局 「仏教」は燃やしますよね~か
そういう事か この映画は全部「形式」の話し そう「ヒッピー」も形 こんな演奏でしょって言われている…それがずっと観ていて、不快感を持ったんだなあ
その最後の崖の海のシーンも未来への広がりが感じられない あの演奏も「ヒッピー」スタイルにとらわれた内向きに見えてしまった 美しくないんだよな 真似事に見えてしまう。火もショボい 最後 トイレ…それがリアリティ…それとも笑うとこなのか?
さらにナミビア…雑すぎる決断
失敗作じゃないか でも 好評化か…映画館でみたら違ったかな…
最初の鹿とエンドのI shall be releasedだけ良かった
自分なりになぜこの映画に嫌悪するのか考えると、 この父のしている事に愛がない。哲学とか教育 好きだから教えてるのではない。肉体的訓練も山に暮らすのも、音楽すらも 武装でしかない。これは 誉められたいから、誰かにすごいねと認められたいから…監督はインタビューで 知的と感情の両方を表現したかったと言うが、
これは知的ぶりたい映画であって、知的ではない。それゆえに旅の道中のカルチャーショックネタ満載なのに ギャグもパッとしない 要はええ格好しい映画でしか思えなかったということか…
自分でも不思議なほどイラついた映画でした。
監督は鹿のシーンが一番大変だった もう鹿は撮らないと言ってだが、あれが自分には一番よかったなぁ そう だから鹿=自然みたいのが 話しに絡んでないのもおかしいよな~ いくらでも文句でそうな映画一位…☆5つ
Netflixで観ました
理想や理念があるのは良いことだと思うし、父子のいいシーンがたくさんあるが、
ストーリー上、何かと都合が良すぎたり、子供たち素直すぎたり、見え方が良すぎ(ボロボロの服とかがとてもオシャレ)で嘘っぽさが拭えないことで、どうしても入り込めなかった。
継ぎ接ぎやお古を着ていてもオシャレに見える点は、ビジュアルグッドなポスターなどの影響で観たいと思う人を増やすのに役立っている気もするので、全面的に否定はできないが、個人的には黒板五郎(北の国から)のほうが応援したくなってしまう。
それと、収束の感じも、義両親とのこととか、大学のことはどう話し合って辞退したのかとか、あっさり全員学校に行くことになったみたいだし(嫌がる子や学校に合わない子が1人もいないの?)、じゃあこれまでの10年何だったの?って感じで、ん? てなった。
今どき森に住んでなくても、不登校とかで学校行かずとも立派に大人になってる人はいるわけだから、「学校行く=まともな暮らし」みたいな結局既存の価値観を疑わず同調しただけみたいになってて、もやもや。子どもに選ばせるとか、ひとりひとりに最適な方法を見つけてやるとか、あのお父さんらしい熱意ある着地が欲しかった。
〈良いところ〉
下の子2人がとにかく可愛い。
劇中に登場した本が面白そう。
ああいう車ほしい。
感心したのは、車から全裸で出てくる父親の局部を、ボカシたり、障害物で遮ったりせずに、堂々と見せていたところ。あれを隠したら結局意味が変わってくるもんね。
この映画は、子育て中のパパが観るのが1番いいんじゃないかな。
アメリカや日本のような先進国の、父権の弱くなった現代の父親の涙腺にはこたえるでしょうな。
社会と合わない父親が社会のルールに則らない方法で子供達を教育する。...
社会と合わない父親が社会のルールに則らない方法で子供達を教育する。その成果はすさまじく、子供達は優秀である。「興味深い」という言葉が禁句、あらすじの紹介は考察ではない、真実はちゃんと子供に伝える。
子供だからと簡単に済ませるのではなく、1人の人間として、相手と対峙することの重要さを感じた。
最後はハッピーエンドでとても心温まる映画だった。
学ぶこととは
知識と学びについての映画だと思った。
彼らの生き方に共感できるかどうかはさておき(さておいた方が純粋に観れると思う)、知識のある彼らが何を学び、どう変わっていくかに対し、感動できるかどうかがこの作品の評価に関わっていくのかも。
ユーモアはあるけど、笑うようなコメディではない。
あと最後の方がとても美しかった。
とても良い映画だった。
最高なロードムービー!
バカ真面目に論じると娘が屋根からずり落ちて心配するのがおかしいとか、犯罪はダメだとか言いたくなるのだろうけど、フィクション映画てすから。そんなこと言い出したら他の映画にもいちいちケチつけるの?アクション映画みたことあるの?疲れるね〜。
純粋に観ていて面白い映画でしたよ!
Sweet Child of Mine のシーンは最高でした! それこそフィクション的に突っ込むことはできる曲ですけどね〜
中途半端
いい話に持っていこうとしたのが失敗じゃないか?コメディなのかシリアスなのか、どっちつかずの半端さ。ブラックジョークなのに感動させる良品には届かなかった。
屋根から落ちた娘のケガで父親が回心なんてあきらかにおかしい。それまでにもっとハードな環境で暮らしていたのに。我が子に生命の危険がある…そこまで腹をくくっての生活じゃなかったのか?
頭のおかしい親父が回心して普通の一家に戻る…なんてストーリーとしてどこに魅力があるのか?
ユーモアのある作品として
現代のいろんなものに疑問を投げかけている作品。お父さん、途中で自信無くしすぎだろって突っ込みましたが、それも愛嬌。お父さんのファシズムに子どもの反発。いいですね。子どもはお父さんを超えられるか。お父さんは自分を超える子どもを受け入れられるか。この映画の後、彼らがどうなるのかも気になる。
育った環境の違い方
ここまで育ち方が違うとなると本当に価値観も色々と変わるだろうなと思いました。
けど今の現代であの生活をしている民族の種族の方以外いるんでしょうか?
お父さんは生まれた時からあの生活をしてたわけだはないでしょうし、奥様のために森で生活して居ましたが結局躁鬱病で自殺してしまいました。
常識はどこまで常識で、非常識はどこから非常識なのかは、本当に育ち方で基準も変わるのだろうと思いました。
最後には子供達から得るものでお父さん自身の考え方が変わっていき、森での生活スタイルも入れながら家に住みご飯もシリアルを食べるなど、今までの生活とは違うスタイルに変わっていき人の変化が目に見えてわかりやすいお話でした。
面白いつまんないというより、人の変化を見る映画でした。
最後にはご飯を食べながら今まで学校に通って居なかった子供達がスクールバスを待ち勉強をしている、それを見守る父親という、世間一般的にいう普通と言われる生活になってましたね。
どれが正しくて正しくなくてなんて本当のことなんてわかりかねますね。
色々考える映画でした。
家族愛
世捨て人に近いヒッピーな父親とその子供たちとの交流を描いた物語。
家族は文明的な生活から離れ森に暮らしており、幼い子たちは森から出たことすらなく、森で暮らしていく為に必要な生活術は全て父親から学んでいる。
母親の葬式に参列するために、森を出て街に出ることになるが、私たちの常識とかけ離れた生活を送ってきた父親や子供たちは、良くも悪くも私たち驚かせる行動をとっていく。
また父親は社会的成功を納めている義父は生き方と考え方の違いで激しく対立しあいながらも、父親は子供たちの事を第一に考え、今後の生き方について結論を見出す。
この結論は父親にとっても子供たちにとっても義父義母にとってもベストなものだと思った。
ラスト15分のシーンは本当に美しかった。
はじまりへの旅
アメリカの制度に反対し森の中で子供達を正しく育てたいと言う父の教育の仕方に感動!子供に一流アスリート並の筋力と判断力や読解力を鍛え、子供に嘘をつかないと言う教育方針はどれだけ愛しているかが伝わってきます。しかし精神病になってしまった母がやっぱり可哀想!
人間として一度は観といた方がいい、素晴らしい作品です。
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