「全ての積み重ねを無駄にする愚作」スター・トレック BEYOND ヲさんの映画レビュー(感想・評価)
全ての積み重ねを無駄にする愚作
まず自分は相当に面倒なトレッキーである点、前置きしておく。
2009年版から始まるケルヴィン・タイムラインの魅力を一言で言い表すなら「実時間で50年、作品時間で200年に及ぶ資産をフル活用し『宇宙大作戦』を初めて本格SFに昇華させる試み」、こんなところだろうと思う。
特に前作「イントゥ・ダークネス」の物語構造はリブートというある意味チートな立ち場を認めつつ乗り越えるべき課題から目を逸らさず大事に(でもところどころ思い切って雑に乗り越え)走りきった素晴らしいものだった。
以来3年ぶりの新作。
「イントゥ~」の下敷きとなる「カーンの逆襲」に続く「Mr.スポックを探せ」と共通するテーマが今作で語られるに違いない、と期待したのは自分だけではあるまい。
だから「兵器でありつつも平和を象徴するアイテム」として登場した遺物が今作におけるジェネシス装置なんだな、と見当をつけたのも決して深読みのしすぎではないはずだ。
ヨークタウン基地の町並や個人用転送装置、高速モノレールのこれ見よがしな描写を目にすれば「クライマックスでこいつらを使ったスピーディなアクションが見られるからお楽しみに」という前振りだと感じて当然であるし、念願だったはずのファイブイヤーミッションに徒労感を覚えヨークタウンへの転属まで考えてしまうほどの何がカークの心中にあるのかも重要な伏線として心に留め置きながら観て然るべきだ。「イントゥ~」で一度は死んだ身、やはりあの恐怖の経験が大きな影を落としているのだろうか。
スールーのゲイ設定もビックリするほど取って付けたように見えるが、ジョージ・タケイからの苦言を受けてなおブッ込んできたからには中盤以降でスパイスとして効いてくるのかもしれない。
ジェイラが繰り返し口にする「我が家」もキーワードに違いない。なるほどカークの身の置き所への葛藤とこのキーワードの対比関係が今回の物語の縦糸なんだな。
クラールの復讐心はかなり薄っぺらいが、絶対的な死をもたらす兵器だと思い込んでいた遺物が実はジェネシス装置だったと知った時の心の動きはきっと見ものだろう。そして彼もまた帰るべき「我が家」を見失った者として縦糸を紡ぐんだろう。
何しろオリジナルのスポックであるレナード・ニモイの逝去を受けての作品である。死と再生をテーマに持つ「カーン~」から「スポックを探せ」のプロットは実にお誂え向きじゃないか。
だって50周年の節目を飾る記念作品なんだぞ。
これらの期待は何一つ…何一つ満たされなかった。
基地の描写はただのハッタリ。
ポリコレの取って付けをエクスキューズで塗り固めたゲイ設定。
ポッと出の万能キャラ。
正義の相対化などビタイチできないバカな悪役。
意外性の欠片もない単なる生物兵器。ジェネシス装置?なにそれおいしいの?
…そしてどこにも見当たらない物語の縦糸。
極めつけがオリジナル・スポックの扱いの雑さだ。
そもそもスポックはモノに執着するキャラでは断じてない。
オリジナルのクルーとの思い出は彼が記憶してさえいればそれで充分のはずだ。
09年版でロミュラス消滅を食い止めようと飛び立ったスポックが集合写真などという無駄なものを肌身離さず持っていたとは到底考えられない。この手の執着はスポックではなくむしろTNGのデータが見せるべきパーソナリティである。
他の全てに目をつぶってもここだけは絶対に許せない。この写真見せて古参ファンを黙らせようという魂胆がみえみえだ。バカにするのもいい加減にしてもらいたい。
サイモン・ペッグよ、なんなのだこのホンは。
お前のコミカルな出番が増えればそれでいいのか。
「スタトレ映画を万人が見られるものにする」とは「過去の積み重ねを全て捨て去る」ことではあるまい。
「イントゥ・ダークネス」で出番が少なかったのがそんなに不満か。
ラジー賞を受賞した「新たなる未知へ」級にひどいスタトレ映画をまさか2016年にもなって見せられるとは。
いや、そもそもスタトレ映画なんてこういうものだったのかもしれない。たまさか前2作が奇跡的な出来だったばかりに勝手にハードルを上げていた自分が悪いのかもしれない。
だって50周年の節目を飾る記念作品なんだぞ。