「もう部屋には戻らない。」ルーム gentさんの映画レビュー(感想・評価)
もう部屋には戻らない。
好きな人と別れた。「もう少しお付き合いしたい」と気持ちは伝えたけれど、届かなかった。しつこくしても仕方がないので「アリガトウ」と笑顔で手を振ったが、残った好意のやりどころに困った。
違う感情を自分のなかに入れて、気持ちを切り替えようと、映画を見ることにした。たまたま上映していたのが、この映画であった。
主人公ジャックは、それまで暮らしていた世界が狭く、外ではいままでの常識が通用しないことを知る。彼はずっと制約されていたことに気付いていなかったのだ。外の世界は何もかも自由だ。
しかし、不便だったかつての居場所の方が居心地よく感じられる。そこには安心感があった。
別れる前のわたしも、気持ちはジャックによく似ていた。彼と付き合うということは、他の人と過ごす時間が相対的に減るということでもある。彼と共有できた常識は、ふたりだけの決めごとであった。
別れたわたしは、考えようによっては自由を手に入れたのだけど、欠点もあった彼の懐はまた、居心地のよい場所だった。
それをリセットして、新しい未来を生きる。それができなくて映画館にいるわたしはジャックと同期した。
わたしの中には、他にもたくさんの過去の欠片が蠢いている。愛されていたあの頃のわたしの記憶が、成長した違う自分になることを拒む。
未知を引き受けるというのは、それまでのアイデンティティを壊すことにつながる。不都合でも、過去の方が慣れ親しんでいて、好ましいのだ。
親子が退院するとき、医者は「子どもはプラスチックのように柔軟だから大丈夫ですよ」のようなことをいう。
そして、実際に、少しずつ、少しずつ新しい世界に慣れていく。
ラストで、彼はかつての「部屋」を見に実際に訪れる。そこには、想像していたような親密性は失われ、形骸だけが残っていた。
わたしたちが戻りたいのは、場所ではなく、過去の時間と空気なのである。それは、そのときの自分と、そのときの相手にしか作れない瞬間のものだったのである。
過去と同じ空気は、どこにも存在しえない、ということは、現在もまた偶然の奇跡であり、このレビューを書く一瞬一瞬でさえ2度とめぐり会えないものなのであった。
ああ、失われた時間を惜しむ。あなたとの会話、あなたと共有した空気、訪れた場所。
バイバイと言って決別しよう。もうとらわれない。わたしたちは現在を生きるのだ。