「原作を知らないとわかりづらいかも..」何者 ぽちさんの映画レビュー(感想・評価)
原作を知らないとわかりづらいかも..
私は原作既読です。なので、私なりに「何者」という作品が何を伝えたいのかを考えたうえで鑑賞しました。
しかし、正直原作を知らない方がこの映画を見ただけでは原作者のメッセージは読み取れきれないかな、と感じました。その要因の一つはセリフの言葉足らずにあるかと思います。本作の展開やセリフはほぼ原作に忠実ですが、尺の関係?でセリフを省略している部分があり、しかも重要なシーンでそれが見受けられました。
例えば、中盤でミヅキがタカヨシに本音をぶつけるシーン。「そんな姿誰も追ってないの...私たちはそういうところまで来たんだよ」というセリフがありましたが、...原作未読の方、この意味わかりましたかね?小説ではこの部分がもっと言葉で補われており、就活生という年代に向けた本作の一つの重要なメッセージとなっているのですが、どうもあのセリフだけでは伝わりにくいでしょう。また、その後サワ先輩がタクトに対し「ツイッターの140字が重なっただけで..」と諭すシーンがあります。実はこのセリフも原作より大分短くまとめられてしまいました。この場面にもSNS、ひいては現代のコミュニケーションに対し原作者が訴えたいことが詰まっていたのですが、やはりわかりにくかったという方もいらっしゃるでしょう。
もちろんメディアミックスにおいては、その担い手が伝えたいものや重きを置く部分をオリジナルとは変えていくことにも価値があると思います。しかし上記のシーンは、SNS世代の就活生に焦点を開けた本作において非常に大切な意味を持つはず。そこを省略してしまったのはとてももったいないな、と感じました。もしこの映画を見て何を言いたいのかよくわからなかったという方、是非原作を一読することをオススメします。
逆に映画化により原作が補われたと思える部分も。それが終盤、裏アカが発覚したタクトがミヅキに会いに行くシーン。実はあのシーンは映画オリジナルです。ミヅキもタクトの裏アカの存在を知っており、彼の痛々しい部分には気づいていた。でも決してリカのようにタクトを批判するようなことはせず、むしろ彼のひたむきに演劇に取り組んでいた姿を認めるのです。
私はこのシーンにこそ、本作の最大のメッセージが現れているのではないかと思います。そもそも本作で描かれている就活生たちの黒い感情やタクトのひねくれた観察は、決して見る者の嘲笑を誘うためのものではありません。誰もが持ちうる弱くて醜い部分、そこから目をそらして気づかないフリをする、あるいはそんな姿を責め立てるのではなく、自他のそのカッコ悪い部分を認め受け入れ許す。そして、その人の良い側面にもきちんと目を向けてあげる。それが社会のコミュニケーションのうえで必要なのだと「何者」は訴えているのです。まさに最後のミヅキの姿はそんな理想の姿を描いており、彼女の懐の深さと自分の矮小さを痛感したタクトはたまらず泣き崩れたのでしょう。原作では特定の場面で伝えなかったそのメッセージを、映画ではあのシーンで補完したのではないでしょうか。
長文失礼しました。繰り返しになりますが、本作を観て「結局何を伝えたいのかわからなかった」という方は、是非一度原作を手に取って頂くことをオススメします。その上でもう一度この映画を見直すと新しい発見があるかもしれませんね。