「NFLだけでなく格闘技含むコンタクト競技のファンはこの映画を見る責任がある」コンカッション ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
NFLだけでなく格闘技含むコンタクト競技のファンはこの映画を見る責任がある
コンカッション(Concussion)。意味は振盪(しんとう、激しく揺れ動くこと。激しく振り動かすこと。)
物語の構成はキリスト教の聖書をなぞっており非常にオーソドックスな流れだと思う。
主人公はアメリカの外から来た人間(ナイジェリア人)。その主人公が人類の罪を背負い、一度死んで復活して神になる話。
ここで、
「人類の罪」は人々に希望と感動を与え、莫大な経済効果をもたらすNFLという産業が持つ負の側面(脳震盪による引退後の脳機能障害)。その負の側面を認識、公表しないこと。
「背負う」は公表すること。
「一度死ぬ」は社会的抹殺。
「復活」は主人公の功績が認められる。
「神」はアメリカ人になること。
と置き換えられて描かれている。
それよりも私に刺さったのはこの映画で告発している現役時代の脳震盪に起因するNFL引退選手の脳機能障害の問題だった。
私は格闘技、特にボクシングを好んで観戦している。この映画の中で問題を告発しようとする主人公に対しNFL側の人間が「NFLが人々に与える感動を知っているのか?」という言葉、まさに自分がボクシングから享受している感動そのままに重なって響いた。
日々厳しい練習に耐え、試合では痛み、恐怖に打ち勝ち勝利に向かって全力で立ち向かう選手の姿。そこには心を揺さぶる感動がある。
でも、それは自分が享受していない痛みであり恐怖である。
ファンはそれを選手を通して感じる。肉体的には何ら自身にダメージを受けないまま。
選手は日々厳しい研鑽を積み、ハードなダメージを追ってボロボロになって引退する。そしてそのダメージは後年、脳を蝕み心を壊してしまう。
人々を感動させてきた人間に対する最後としてはあまりにも酷い。
先日、NHKの番組で未だ現役を続けている元ボクシング世界王者の辰吉丈一郎選手を特集していた。明らかに呂律が回っておらず言葉もどもっていた。パンチドランカーの症状。
コンタクト競技のこうした負の側面に対する解決は出来ない。
なぜなら肉体的なダメージこそ人々がコンタクト競技で感動するポイントだから。
だから「知る」必要がある。自分たちの感動の代償として選手がどのようになってしまうか。その意味でこの映画は見なければいけない。コンタクト競技のファンにはその責任がある。