「とうとうタランティーノが枯れてしまったことが露呈した“憎むべき8作目”」ヘイトフル・エイト ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
とうとうタランティーノが枯れてしまったことが露呈した“憎むべき8作目”
俺の生涯ベスト映画はパルプフィクションである。今でも初めての映画を見るたびにパルプフィクションを超えてくれるか、という入り方をして見てしまうくらい好き。
パルプフィクションを撮ってくれた為にタランティーノは次にどんな衝撃をくれるんだろうと期待して彼の映画は全て見てきた。
ヘイトフル8の落胆に繋がるのはタランティーノの映画監督としての感覚の劣化では無いかと思う。
彼の初期作品(レザボアドッグス、パルプフィクション、フォールームス)は映画おたくのビデオ屋店員が世間へ突き立てた中指、「学も金もコネも無いけど、俺はどうすれば映画が面白くなるか知ってるぜ!」という鋭さ、世間を冷めた目で見た冷たさ、そしておしゃれ。
才能とセンスと若さ、全てがベストのタイミングで世に放たれた最高の総合芸術だった。
ただそのあとの彼の作品、具体的にはキルビル以降、タランティーノが面白いものと世間が面白いものにギャップが生じてきたと感じる。
それが現れ始めたのがキルビル、イングロリアスバスターズ以降は顕著になったと思う。
そして、それと比例するように彼の映画の才能、センス、タイミングがどうも落ちてきた気がしていた。
本作は密室劇にすることで彼の十八番中の十八番、会話劇で引っ張ることができる、また時間軸のバラシもやっている。が、それがつまらない・・・。
セリフ回しは長く、汚い言葉の羅列で不快。時間軸のバラシがただのあと出しジャンケン(物語中盤での床の下に人はオッケーなのか!?)。
そして、一番不快に感じたのは女性への扱い。極悪犯だからという理由はあるにせよ、女性への暴力を映像にして執拗に見せる必要があるのか?不快に感じた。
この作品はウルトラ・パナビジョン70という昔の大作映画で使用されていたフィルムを使用して撮られている。監督の意図としては「風と共に去りぬ」といった昔の超大作昔映画を鑑賞する「体験」を観客に与えたいということらしい。グラインドハウスでもZ級映画2本立てを汚ったない映画館で見ているような「体験」を与えてきたタランティーノだけに映画そのもので伝えることよりも、映画を見るその体験こそがタランティーノが提供したいものなのだろう。
が、昔の超大作昔映画の鑑賞体験を与える環境まで整えたはいいが、そこで繰り広げられるのは先にも述べたタランティーノの俗悪暴力映画である。鑑賞環境と映画の内容に大きく隔たりがあると感じる。
タランティーノが新しかった事は彼の描く殺しに全くカタルシスが無かった事だと思う。
人を弾みで撃ち殺してしまっても「ヤベェ、撃っちまった」とまるで犬のフンを踏んだような、おおよそ人が取らないリアクションを見せた。
そういった殺しがテンポよく繋がれていく中で、でもきちんと殺しをやった奴は制裁を受けるバランスがあった。
そもそもこういう殺しの描写が得意な人間なのだから、復讐劇が上手いとは思えない。
イングロでユダヤ人、ジャンゴで黒人とマイノリティーが受けてきた負の歴史を映画の中で暴力を用いて復讐してきたが、彼の描く復讐にはマイノリティーを盾にして暴力描写をやりたいだけのように感じる。
何かタランティーノを否定しちゃいけない雰囲気があると思う。批判したら分かってない風に取られそうで。でも、俺は映画のこと分かってないと言われても構わない。
俺が最も尊敬していた監督の落日を目の当たりした一本、本当に“憎むべき8作目”。