ヘイトフル・エイト : インタビュー
種田陽平が振り返る、タランティーノと70ミリワイドスクリーン
鬼才クエンティン・タランティーノが放つ最新作は、彼自身のオリジナル脚本によるバイオレンスミステリー「ヘイトフル・エイト」。吹雪の雪山にある山小屋で出会った8人の密室劇で、見事なセット美術を作り出したのは、「キル・ビルVol.1」でも美術を担当した種田陽平だ。
彼が最初に見せてくれたのは、物語の大半を占めるミニーの紳士服飾店の見取り図。簡単なラフスケッチだが、「監督が最初にくれたものです」とか。「2014年夏に監督から電話があって、この作品の誘いがありました。でもはじめに、何人かオーディションしないとならないということで、まずはプレゼンを。その後、数カ月後に僕に決まり、すぐにアメリカに行くことになったんです。というのも、雪が降る前にロケ地を決めて、セットの建て込みもしないといけなかったので。そこからは急ピッチに作業が進みましたね。スケッチについては、『キル・ビル』のときにもやりとりがありました。監督が『こういうのどうかな』といって青葉屋(ザ・ブライドとヤクザが対決する高級料亭)のスケッチを見せてくれて、それからはレイアウトと図面のやりとりをしていたんです。そのときのことを監督が楽しんでいたようで。『ヘイトフル・エイト』ではプレゼンテーションのときに『今回も見取り図を描いてみたんだよ』と言って見せてくれました」
セットの中だけで物語が進行するため、役者の立ち位置や家具の位置など、完璧でないといけない。その脚本上の整合性を考えたセットを作らねばならなかった。その脚本も、もちろんタランティーノ本人が手がけている。
「オリジナルの脚本を監督が書いている分、思い入れが非常に強く、バイブルと呼んでいたんですよ。だから、すみずみまで気配りしていないといけない。もしちょっとでもイメージと違うことがあったら、『よくも俺のバイブルを!』ということになってしまいますからね(笑)。脚本の内容を成立させるために、セットを作らないといけなかった。でも、僕がプロダクションに入ったときに渡されたのは第4章まで。最後に『ここから先は作者の都合によりありません』と書かれたものでした」
じつは脚本がデータ流出事件にあい、ラストを変更することになった。そのため、撮影直前まで書き直していたそう。「第5章は撮影の準備が終わって、クランクイン直前に届きましたが、こういう経験はそうそうありませんよね(笑)」
この作品で、監督にはもう一つの大きなこだわりがあった。それが70ミリワイドスクリーン。
「『キル・ビル』と比べるとアクションも少なく一見地味な作品ですが、美術に関してはあのときよりも難しかったです。70ミリで撮るけど、大きいセットも複雑なセットもダメ、というんですから。映画美術は複雑であればあるほど多様性を持たせることができ、ある意味では楽なんですよ。逆に、さえぎるものもなく、全てが見渡せるようなワンルームというのは、意外と難易度が高い。実際の雪山にセットを建て、過酷なところで撮影したい、というのも監督のやりたいことの一つでした。とても貴重な経験をしたと思っています。じつは最近、ジョン・ウーと会ったときに、僕が『ヘイトフル・エイト』を手がけたことを『アジア人で70ミリ映画、しかも西部劇を手がけたなんておまえ一人じゃないか。しかも、70ミリ映画はこれで最後かもしれないし。いいなあ、おまえ』と言われたんですよ。70ミリは彼もやってみたかったそうです。近年ですと『インターステラー』で、一部70ミリで撮影していますが、全編を70ミリで撮影するということは、今では不可能に近い。タランティーノ監督にとってもこれは最大のチャレンジだったんですよ」
この作品に限らず、海外でも大活躍する種田氏だからこそ知る、映画美術の仕事の極意は「現場に着いてすぐに、現地人になりすます」ことだとか。
「いろいろな国で仕事していることは、僕にとっては自然なことです。たとえば、ハリウッドの人はハリウッドに軸足を、日本の映画人は日本に軸足を、と、映画業界の人はたいがいどこかにホームグランドを持って仕事しているものだけど、僕はこの仕事を始めたときからそこにはあまりこだわっていなかったから。でも、映画美術の仕事は、土着性が必要です。監督やカメラマンは、いろいろなところに行って仕事する、というスタンスで可能だと思いますが、映画美術は少し違っていて、すぐに現地のスタッフと一緒に彼らのやり方を知り、やりあわないといけません。だから、むしろその土地ならではのやり方を身につけないと難しい。着いたらすぐに現地人になりすます(笑)。じつは僕は子供の頃、転校が多くてね。そのせいか、新しいところにすぐになじむということは身についているようです。そういう転校生的な気質で言うと、現場で『いい人』と思わせるのも重要。しかもただのいい人はダメで、秀でた才能を見せ付けないといけないんですね(笑)。現地のスタッフに『日本からわざわざ来ているけど、やっぱり才能があるな』と思わせることが必要なんです。才能があっていい人、それで現場にすぐとけこむ、ということができて初めて、映画美術のスタートラインに立つことができるんだと思います」