或る終焉のレビュー・感想・評価
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介護
ティム・ロス目当てで見た。
若い頃の作品ばっかり見てるけど、今でも😏みたいな顔芸(?)が健在でちょっと笑ってしまった。
ティム・ロスが延々と介護していくお話、ではない。
徐々にティム・ロスの過去がわかっていくのはなんかゾッとした。作り方がうまい。
どうやら重い病気だった息子を自分の手で殺した(安楽死)ようだ。
その自責の念からか、セクハラと訴えられるほど患者に寄り添う。
娘との再会シーンも心がちょっと痛かった。
介護する方も辛いだろうけど、介護される側もきついなぁ、、。頭がすっきりしているなら尚更。
ちょっとした説明で過去を説明することが多く、集中していないとただの介護してるのを見るだけのお話になっちゃいそう。まぁ介護の話だけで終わっているのかもだけど。
最後は画面に引き込まれた後の事故シーンだったからめちゃくちゃびっくりした。
こんな終わり方なんだ、、
あれで死んだのか、介護される側になったのかは分からない。
この監督は終わり方が特殊らしいから、他の映画も見てみたいと思った。
【”人が生きる事と死とは何であるか”という重いテーマを抑制したトーンで描いた作品。ラストの衝撃には暫く唖然とし、無音のエンドロールが醸し出す虚無感にも驚いた作品でもある。】
ー 「或る終焉」という邦題が、ダブルミーニングを思わせる、意味深い作品である。
因みに原題は「Chronic」(慢性)である。少し、衝撃のラストの意味が分かった気がする。-
■看護師として様々な、終末期患者に寄り添うデヴィッド(ティム・ロス)。
ハッキリとは描かれないが、息子の死を境に妻と娘ナディア(サラ・サザーランド)とは疎遠となり、孤独なひとり暮らしを送る彼にとって、患者と親密な関係を持つ事は重要であった。
例え、その患者が亡くなったとしても・・。
そんなある日、末期ガンのマーサに安楽死の幇助を頼まれ、デヴィッドは苦悩の末に看護師としては許されない決断を下す…。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・作品を鑑賞して、この独特な作風は、ハリウッドでは出せないだろうと思った。
・劇中に大袈裟な音楽は流れず、デヴィッドは、自らが担当する末期の患者に献身的に尽くす。
ー 最初のやせ細った女性の身体をデヴィッドが丁寧に拭くシーンは、リアリティ感が凄い。そして、デヴィッドは、彼女の葬儀にも立ち会い、帰りバーでは隣の結婚するというカップルに”妻が亡くなった”と告げる・・。-
・次の患者、ジョンは気難しい建築家だが、わざわざ建築の本を買ってきてあげたり、エロビデオを”仕方ないなあ‥”と言う風で見せる程、親密になる。
ー だが、ジョンの家族から誤解され、デヴィッドは職を解かれる。-
・彼は、冒頭SNSである女性のページを見ている。そして、それが彼が別れた娘と分かる久しぶりの再会のシーン。因みに別れた妻とも会っている。別れた原因は、安楽死を迎えた息子の影響なのだろうか・・。
ー この辺りも、”最後”の患者、マーサの”あなたの息子と同じように安楽死させて・・”という言葉のみが、語られるだけである。-
・マーサは末期の癌に侵されており、デヴィッドは、彼女に頼まれ看護師としては、許されない安楽死の手助けをする。
ー だが、彼はマーサの望みを聞いた後、普通の表情で電話を掛けたりしている・・。-
■今作中、ティム・ロスはジムや、街中を只管に走る。死に直面した仕事をしているからなのか、自分は孤独なひとり暮らしだが、健康に生きている、と自らに言い聞かせるように・・。
<そして、あの衝撃のラストシーンである。ビックリする。あれは、安楽死を手伝ったデヴィッドに対する罰なのか、それとも生死は紙一重であると言う事を表したかったのか・・。
だが、今作の原題は、「Chronic」(慢性)である。
デヴィッドは、死に近づき過ぎてしまい、死を慢性的に受け入れる男になってしまった事を、あのラストシーンは暗喩しているのではないだろうか、と私は思った。
無音で延々と流れるエンドロールが、非常に印象深い作品である。>
沈黙の中、老人介護の現実が迫ってくる
とても寡黙な映画だった。特にBGMがなくその場に少し聞こえてくる音だけで、介護される方がほとんど反応がないため、会話はないか、少ない。しかも、結構長い単調な介護作業が映し出される。
回復する見込みがなく家族も介護者に頼らわずを得ない。何度か出てくるシャワーで高齢者の裸体を洗うシーンは自ら親を介護した経験のある私にとっては、今度は自分が介護される側になるのだと、頭をよぎりながら見ていた。
一方で、介護者と高齢者の密室のプライベートな世界と、家族や親族の反応。高齢者自身のプライバシー。生きていく気力もなくなっていく様がありのままに映し出される。
ほとんど沈黙が多いがゆえに、それは何か声に出せない心に押しとどめている「苦悩」なのか、それとも仕事としての対象物ゆえの無感覚なのか。
主役のティム・ロスは一人黙々と仕事に打ち込むが、高齢者を抱える家族、ティム・ロス自身の家族。その関係性と会話のやり取り。ほとんど状況説明らしいものはないが、その言葉に注目してほしい考えさせられる映画であった。
どこかで見たことある
予備知識なしで見たので、途中までティム・ロスだと気づかなかった……。
内容はラストシーン以外とくにどこにも行かず、尊厳死についてそろそろ考えるくだりが始まったな、というところで轢かれてしまうので、なんというか惜しいという印象です。
主人公は子供を失いながら、人生を投げ出さず、それでも人に手を差し伸べたり、信じようとしていた点は救われる思いはしました。
最初に亡くなったサラという患者に対する献身度は、見ていて愛妻なん...
最初に亡くなったサラという患者に対する献身度は、見ていて愛妻なんじゃないかと思っていた。そのくらい親身に接する男デヴィッド(ロス)。次は病院で脳卒中で倒れた男ジョンの相手をするのだが、建築家だったという話を聞いてから、自ら本屋で建築に関する本を買ってきてあげるなど、看護師と患者の間柄を越えた親密さが感じられるほどだった。しかし、それが災いして、ポルノ動画を見るジョンとかを野放しにするもんだから、家族からはセクハラだと訴えられてしまう。
在宅での仕事を見つけ、また看護に励むデヴィッド。オフにはジムに通ったり、必ずランニングを欠かさないほどストイックな雰囲気。久しぶりに娘や元妻と会えたのがうれしそうだったけど、ラストは思わぬエンディング。車にはねられて終わるのだ。あぁ
走る
終末期の患者を世話する看護士。日常的に死と接する中、その献身的な姿勢に誤解を生む事になる。それとは別に「走る」という事も日常。独特の撮影、BGM無し。突然のラストには何とも言えない余韻が残る。傑作。私も「走る」ので色々考えてしまった。
ラストがツラくて
淡々と進んでいくストーリーなのに
主人公の苦悩がヒシヒシと伝わる
献身的なゆえの悩み
結果的に人の死に手を貸してしまう
ラストは歩行者用の信号が赤にも関わらず走り続け運に任せ
自ら死を選んでしまう
現場で鳴り響くクラクションが悲しさと虚しさを引き立てています
本編もエンディングも音楽なし。
謎のオープニングは約50分後に明らかになる。
衝撃の終わり方
自分で自分の死を決める
とはいえ手伝う方にはかなりのストレスがかかるだろうなとは想像できるし、最後彼はちらっと車を確認している
固定カメラの長回し
手ぶれカメラで臨場感を出すのとは対極に、フレームを動かさず無作為にありのままに現実を映し出しているのが印象的でした。
日々辛い局面と対峙しながら仕事に向き合い、時おりテクノジムのマシンで汗を流すシーンではやはり定点で、そして外で走る時にはカメラが動きました。
二回見た
淡々と進む日常をゆっくり回している。その割には、ストーリーについていけなくなる。最後まで見て、は?いつ安楽死頼んだ?二回見て、ああ、ここか、って具合。
最後、撥ねられて死んだと思われるが、その必要性があったか?
GAGAの宣伝に騙されました。
ティム・ロスの渋くて、知的な演技が好きで、この作品もティム・ロスだったから観たようなものでした。が、言うほど、深く描かれている訳でもなく、感情に訴える訳でもなく、ただ、情景描写と情景描写の間に家族のストーリー(といっても、大した感じではない)を挟む形。ながら見をしてしまった自分もいけないのですが、GAGAが衝撃のエンディングと言っていたものは、別に、それ程勿体ぶるものでも無く、2回目を観ることは決してないな。と、思いました。良く、ティム・ロスが出演を承諾したなぁ。という、内容でした。ギャラが良かったのでしょう。
観てはいけない映画が、また、増えてしまった。
人生は手放しで喜べるものばかりではない
終末期患者の在宅ケアをする看護師ディヴィッド。物語は入浴介助や化学療法による副作用に体力を奪われていく患者のケアなど看護の風景を淡々と描いていく。在宅看護という大変な仕事を淡々とこなし、仕事以外はほぼ何もないといった生活スタイルから、徐々にディヴィッドの過去が浮かび上がってくる。
物語は、ディヴィッドが看護する患者との密接な関係性にフォーカスしていて、その真摯なまでに献身的な看護に、彼自身の過去への深い贖罪(中毒とも思える固執)が見てとれる。
死への道程。誰にでも起こりうる肉体的な人生の岐路。看護師という最も生と死に近い役柄をティム・ロスが素晴らしい演技で魅せてくれた。
ワンカット長回しの看護シーン、少ない台詞、患者の家族と深く関わらない過去のある男性看護師、息をのむ結末、そして囚われていた過去からの解放。マイケル・フランコの脚本と演出、特に淡々と何も変わらない生と死の日常を真っ向から描いた脚本は、この映画のテーマを際立たせていて良かった。
すっきりしない。後味も良くはない。人生はいつも手放しで喜べるものばかりではない、むしろ「あからさまなもの」なのだ、ということを明確に提示した作品でもある。
ラストは「救い」「解放」という解釈はどうか?
効果音も音楽もなく、淡々とエンドロールまでいく。抑揚のないシーンの連続は、ラストの衝撃を何倍にもして観客にぶっつけてくるための布石だったのか。
そのラストは、幇助の「報い」なのか?と思った。
しかし、原題を見て考えが変わった。
英語が苦手の僕が、原題『chronic』とはどうゆう意味か?と調べてみると、「慢性的な」とか「持病」とか出てきた。それは誰の?と想像してみると、主人公デビット自身なのではないか!と思えた。
甲斐甲斐しく献身的な仕事をして患者に信頼されるデビッド。それは傍目には仕事熱心に見え、たまには過剰にも思え、セクハラの疑いさえ持たれる。そんな熱心なデビッドだからこそ、患者の過去(例えば建築家の業績)を知ることで患者の人生に寄り添おうとしているのか、と思っていた。しかし、実はデビッド自身が患者の内面に入っていきたいために率先してしていたことなのだ。
そうなると、デビットが介護していた患者たちがデビッドを必要としていたのではなくて、デビッド自身こそがデビッドを必要としている人を必要としていた、のではないか?と思えてならない。
つまり、「慢性的に」自分を頼る終末期の患者を求め続けていたのだと。息子の死が遠因で(どうも手助けしたらしいが)。ある意味、依存症ともいえるのではないか。
ならば、患者の姪が話をしたいと申し出るのを無下に断るのもわかるし、セクハラを疑われても会わせてくれと頼むのもわかる。最後の患者の願いをはじめは断るのも、またひとり自分から去っていくのが忍びないからと思えるのだ。
もし、人間の死が神の意志ならば、やはりラストは「報い」ではなく、「救い」「解放」なのかもしれない。
あまりに静か
主人公が仕事に嗜癖している感じがよく出ていました。どうしてかなぁと思っていたら、息子を看取ったことと関係があるようです。
子どもの死も一つのきっかけになって、家族がバラバラになったのかな。
ある終焉というタイトルは、ラストを強調しているけれど、原題はこの主人公の仕事への嗜癖の果ての結末と感じた。
死に方があんまり
予告みたいにへたな音楽が流れず淡々として上品でとてもよかった
なのに最後の死に方。
首吊りでも薬でも電車に飛び込みとか、自殺か事故かわからない死に方なんていくらでもあるのに、なぜトラックだったのか。早朝のランニング、fuck you!と16才の少年に言われたあと、前も後もなく走るティムロスをつぶすなんて。
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